Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

伊豆広布四十周年記念幹部会 わが境涯を大海のごとく

1987.11.23 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

前後
1  正義の厳たる証明の歴史を
 本日は、伊東、伊豆方面(静岡県)の広布開拓四十周年の意義を含め、未来を担う青年部をはじめ各部の代表が集い合っての幹部会となった。心からお祝い申し上げる。
 きょうは祝日である。本来ならゆっくりと、疲れをいやすべき日であったかもしれない。それがこのような幹部会となり、申し訳なく思うし、また本当にご苦労さまと申し上げたい。
 きょう初めてお会いする方も多いようである。スピーチは少々難しい内容となるかもしれないが、大半は青年部の代表でもあり、かえってその方が将来、「伊豆での話は難しかったな」と、深く思い出に残るかもしれない。どうか、ご了承願いたい。
2  昭和二十二年(一九四七年)の一月、戸田先生は総本山への正月登山を終えた後、即座に伊豆・下田へと地方指導におもむかれた。これが、前年の栃木、群馬に続く戦後二度目の地方指導であり、本年が広布四十周年となる淵源ともなっている。
 この折、戸田先生は下田、蓮台寺れんだいじ箕作みつくりなどで座談会を開かれている。
 また、この年の七月にも、再び伊豆の下田、蓮台寺を訪れ、さらに翌二十三年一月にも下田を訪問し、全魂をこめて弘教や激励にあたられた。
 学会再建の途上、再三再四、伊豆に足を運ばれた戸田先生の胸中に、いかなる思いが去来していたか。それは、伊豆・下田の地で官憲に検挙された恩師・牧口先生への追憶であり、そのお姿であったにちがいない。その点については、かつて小説『人間革命』(第三巻)にもとどめておいた通りである。
 昭和十八年七月六日の早朝、牧口先生は、下田の須崎で特高刑事二人に逮捕、連行された。ともにいた同志と別れる時、牧口先生は「戸田君によろしく」と、伝言を託された。
 が、戸田先生もまた、同じ日に東京・白金台の自宅で逮捕されていた――。
 この伊豆は、牧口先生の生涯最後の弘教の天地となった。弟子の戸田先生も、この地を再三訪れ、学会再建に当たった。まことに、私ども学会員にとって、ゆかり深い国土といわねばならない。
 その意味からも、きょうは、諸君とお会いしたかった。この広布有縁の地で活躍する若き諸君に、尊き人生の「師弟の絆」について、私はぜひとも語っておきたかった。
3  奇しくも、ここ伊豆は、日蓮大聖人の王難の地である。大聖人は、弘長元年(一二六一年)五月十二日から弘長三年二月二十二日まで、約二年間、この伊東に配流され、苦難の日々を過ごされた。聖寿四十歳から四十二歳のことである。
 弘長二年の正月、大聖人は、ここから、安房(千葉)の門下・工藤左近尉さこんのじょう吉隆に御手紙を書かれている。これが有名な「四恩抄」である。そのなかに、次の御文がある。
 「此の身に学文つかまつりし事やうやく二十四五年にまかりなるなり」――この身に仏法を学ぶこと、ようやく二十四、五年になる――。
 むろん、示同凡夫の御立場からの御言葉である。
 「法華経をことに信じまいらせ候いし事はわづかに此の六七年よりこのかたなり」――そのうちでも、法華経をとくに信じまいらせたのは、わずかにこの六、七年のことである――。
 これも、大聖人の御謙であられるが、仏法研鑽に没頭されていた時ではなく、立宗後、数々の大難を受けるなかに、法華経の真実の″色読″があったとの御指南と拝される。
 「又信じて候いしかども懈怠の身たる上或は学文と云ひ或は世間の事にさえられて一日にわづかに一巻・一品・題目計なり」――また、信じてはいたけれども、怠惰たいだの身であるうえに、あるいは学問のこと、あるいは世間の事に妨げられ、法華経に打ち込むことは、一日にわずかに一巻、一品、題目ばかりであった――。
 あたかも繁忙な世事に追われ、思うように行学に励めぬ諸君のことを、ズバリと見抜かれ、指導されているようでもある。
 「去年の五月十二日より今年正月十六日に至るまで二百四十余日の程は昼夜十二時に法華経を修行し奉ると存じ候」――伊豆に流罪さた去年の五月十二日から今年の正月十六日にいたるまでの二百四十余日は、昼夜ひまなく、一日中、法華経を修行していると思っている。なぜか――。
 「其の故は法華経の故にかかる身となりて候へば行住坐臥に法華経を読み行ずるにてこそ候へ
 ――その理由は、法華経ゆえにこのような流罪の身となったので、立ち居振る舞いのすべてが法華経を読み、行じていることになるからである――。
 つまり、難を受けてこそ初めて、法華経の″身読″″色読″が可能となる。
 そこで大聖人は「人間に生を受けて是れ程の悦びは何事か候べき」――人間に生を受けて、これほどの悦びがほかにあるであろうか――との深き御境界を述べられるのである。
 さらに「凡夫の習い我とはげみて菩提心を発して後生を願うといへども自ら思ひ出し十二時の間に一時・二時こそは・はげみ候へ」――凡夫の常の習いとして、みずから励んで菩提心をおこして後生を願うといっても、せいぜいみずから思い出して十二時(一日)のうち一時ひととき二時ふたときぐらいは励むであろう――。
 つまり、平凡な日常のなかで、仏道修行に自発的に励もうとしても、多くて二時間か四時間程度しか、励むことはできないものである。
 ところが「是は思ひ出さぬにも御経をよみ読まざるにも法華経を行ずるにて候か」――だが、流罪のわが身は、思い出さなくとも、おのずと法華経を読み、読まなくても、おのずから法華経を行じているのである――と。
 何という透徹した御境界であろうか。

1
1