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日蓮大聖人・池田大作

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関西記念幹部大会 生涯、青年の信仰の炎を

1987.9.25 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

前後
1  歴史に残ったリンカーンの演説
 晴れやかな記念幹部大会の開催、本当におめでとう。明後日には、歴史に残るであろう兵庫青年平和文化祭が開かれる。いよいよ大関西が、発展と躍進の軌跡を刻んでいくよう期待してやまない。
 これまでも申し上げてきたが、東京を広布の″頭脳″とすれば、関西は″心臓部″である。関西の前進の鼓動は、日本列島、さらには全世界の広布躍進への波動となっていく。こうした歴史をつづっている、まことに重要にして使命深き天地が、関西であり、その重要性はさらに大きくなっていくであろう。
2  歴史こそ、真実の証明者である。そして、時代の核心をうつ一言が、混沌とした生成・流動の世界を雲霧が晴れるように見事に整理し、新しき運動を切り拓くことがあるものだ。
 一九五七年(昭和三十二年)九月八日に発表された、創価学会の平和運動を原点というべき「原水爆禁止宣言」。戸田第二代会長の「遺訓」であるこの宣言の意義も、時とともにその重みを増し、歴史への刻印を確かなものとしている。いな、時代が進むにつれ、ますますその重要性が認められ、証明されていくにちがいない。
 「……核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。……なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」(『戸田城聖全集 第四巻』)
 生存の権利をおびやかすものは魔物であるとするこの宣言は、約五万人の青年が参加して行われた第四回東日本体育大会″若人の祭典″の席上、発表された。会場は、横浜の三ツ沢競技場であった。
 ちなみに、ここでは私が号砲を打ち、競技の開始を告げたことが、今も懐かしい。各種競技の熱戦の結果は、男子部が文京支部、また女子部は中野支部が優勝した。残念ながら関西勢の優勝ではなかったが、「東日本大会」であるので、この日は出場していなかった。
 戸田先生の歴史的な宣言は、この閉会式で行われた。それは、まことに短いスピーチであった。その簡潔なスピーチが、後世に輝く画期的な「宣言」となった。
3  アメリカの第十六代大統領リンカーンの、「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉は、余りにも有名である。が、これも実は、わずか二分ほどの短いスピーチの結びの一言であった。
 今でこそ、民主主義の根幹を示す演説として、誰もが賛同し、評価するスピーチとなっているが、当時のマスコミのなかには、称讃するものもあった反面、質の低い演説として酷評するものもあったという。あらゆる出来事に風評はつきまとうものだ。しかし、リンカーンの演説は時を経るとともに、不滅の光彩を放った。
 この歴史的な演説は、南北戦争中の一八六三年十一月十九日、ペンシルベニア州のゲティズバーグの丘でなされた。北軍が南軍の北部侵入を防いだ、この激戦の地ゲティズバーグを国有墓地にして、戦没兵士の霊を弔おうという運動が起こり、この日の式典となったのである。(以下、主に本間長世『リンカーン』中公新書)

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