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日蓮大聖人・池田大作

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8・24記念大田区幹部総会 深き「感謝の心」「歓喜の心」を

1987.8.23 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

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1  境涯を開き変化に対応
 盛大な大田の幹部総会、心から「おめでとう」と申し上げる。また参加された、すべての皆さま方に「ご苦労さま」と申し上げたい。
 私が入信して、まもなくのことである。先輩から聞いて鮮烈に胸に焼きついた話がある。それは「進まざるを退転という」との指導であった。
 信心の前進がなくなれば退転というのだ。この言葉を聞いた時、私は痛烈に思った。――この仏法は、人間を限りなく前進させる法である。無限に向上させる力である。どこまでも、どこまでも、偉大なる自身の完成に向かって、永遠に成長させ続けてくれる源泉である、と。
 この仏法をたもった以上、いささかも停滞してはならない。成長を止めてはならない。もう、これでよいと慢じてはならない。それでなくては退転である。
 では、信心で我が境涯を限りなく開き続けていくためには、一体何が必要か。その一つの次元は「感謝の心」である。また、「歓喜の心」である。
 本日は、まず、このことについて、御書を拝しつつ述べておきたい。
2  弘安元年(一二七八年)秋のことである。四条金吾は、主君から新しい領地を与えられた。しかし、金吾自身は、このことをあまり喜ばなかったようである。むしろ不満さえ持っていた。その理由は、新しい領地が佐渡あたりの遠い辺鄙へんぴな土地だったからと考えられる。
 今でいえば、たとえば会社の転勤や職場の異動の場合に、一面、似ている。また広布の組織においても、当然、人事の交流はある。いずれも、つねに自分の希望通りになるとは限らない。そうした時、その変化をどう受けとめていくか。
 金吾は、当時四十八歳前後。すっきりしない自身の心情を、そのまま大聖人にご報告したのであろう。金吾の報告に対し、大聖人は、愚痴と不満の心を戒められ、同年十月、次のように御指導されている。
 「かの処は・とのをか殿岡の三倍とあそばして候上さど佐渡の国のものの・これに候がよくよく其の処をしりて候が申し候は・三箇郷の内に・いかだと申すは第一の処なり、田畠でんぱたはすくなく候へども・とくはかりなしと申し候ぞ
 すなわち、新領地は、これまでの領地である殿岡の三倍もあるではないか、と。殿岡は現在の長野県飯田市の大瀬木、三日市場付近の土地である。今も金吾を記念する石碑が立っている。その殿岡の三倍の領地である。
 しかも佐渡の国の出身者で、身延に来ており、その領地のことをよく知っている人に話を聞いてみた。すると、もらった三箇郷のうち、「いかだ」という土地は第一の″良き所″である。田畑は少ないが、その徳分、収穫は、はかりなく多いと言っている――と。
 また「二所はみねんぐ御年貢千貫・一所は三百貫と云云、かかる処なりと承はる」――(三ヵ郷のうち)二ヵ所は年貢が千貫、一ヵ所は三百貫と、このような所と話に聞いている――と仰せである。
3  このように大聖人は、まず、金吾が不満に思っている領地が、客観的に見て、必ずしも悪い所ではないと述べられている。つまり、不満の心をもらす金吾に対し、頭ごなしに叱られているのではない。新領地が実際に、どういう土地なのか、事実を正確に把握しておられる。地域の実情をよく知っている人に確認し、年貢の高まで調べられている。その上での激励、指導である。
 まさしく、真実の指導とは観念論ではない。抽象論であってもならない。どこまでも相手の状況を正確に理解した上での的確な指導が大事なのである。
 そのためにも、広布のリーダーは、経済等の現実社会の現象に鈍感であってはならない。幅広く勉強し、客観的にして正確な情報を絶えずつかみつつ、冷静な判断力、指導力を養っていただきたい。そうでなければ、将来にわたる広宣流布の″道″を無限に開いていくことはできないからである。
 ともすれば誤った既成概念で、指導者が一方的に自分の考えを押しつけ、指導する方も、指導を受ける方も、いまだ心からの納得ができていない場合がある。それでは、あまりにもかわいそうである。両者とももはや人生そして成功への発展性はない。
 どこまでも賢明な指導者でなければならない。人物を見るにしても、その人の過去の軌跡、未来性、現在の課題、環境、心理等、きめこまかく、慈愛をもって理解していくことが重要である。その上での指導・激励であってこそ、だれ人も納得し、安心し、また信心の確信も一段と深めていける。そうした聡明なリーダーが増えれば増えるほど、広布の未来もまた、限りなく広がっていくにちがいない。ここに今後の重大な課題があると私はいつも思っている。

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