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日蓮大聖人・池田大作

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学生部夏季講習会 諸君よ、「忍耐」と「時」を忘れな

1987.7.21 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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1  ナポレオンを退けたロシアの民衆
 伝統の夏季講習会に、はるばる全国から代表が集まってこられ、心からご苦労さまと申し上げたい。どうか二泊三日という短い期間であるが、将来の大いなる成長への飛躍台となったといえる有意義な講習会であっていただきたい。
 本日はナポレオンの史実を通し少々お話ししたい。ナポレオンについては、二十二、三歳の若い時代に、伝記など多くの書物をひもといては、いろいろなことを学んだことが今は懐かしい。そのときの記憶に基づいて、メモを用意したため、記憶違いや飛躍もあるかもしれないが、未来の偉大なる広布後継のリーダーと期待する諸君の何らかの参考になれば幸いである。
2  私は五月下旬、ソ連を訪問した。四回目となった今回の訪問では、気候も冬が返ってきたのではと思わせるような寒さで、雨の日も多かった。しかし、訪問四日目の五月二十七日には、前日までの雨もあがり「五月のモスクワ」は、陽光に輝いた。
 この日、私は高等中等専門教育省の訪問を終え、モスクワ大学に向かった。その途中、時間の余裕もあったので、ボロジノ・パノラマ博物館を見学した。この博物館は、そばにある凱旋門とともに、ナポレオンのモスクワ遠征を退けた、ロシア民衆の勝利の歴史をとどめるものである。
 博物館での圧巻は、ロシア軍とナポレオン軍とで戦われた「ボロジノの戦い」の戦闘風景を、そのまま再現した巨大なパノラマ画である。このパノラマ画は、なんと縦十五メートル、横百十五メートルという壮観なものであった。
3  「ボロジノの戦い」とは、一八一二年九月七日、モスクワの西百二十四キロにあるボロジノという村で行われた、ナポレオン軍とロシア軍との戦いである。そのときナポレオン軍十三万五千、ロシア軍は十二万であった。
 ナポレオンは、一生のうち、六十回もの戦いをしている。その中でこの「ボロジノの戦い」は、彼をして″生涯最大の戦闘″と言わしめるほど苛烈かれつなものであった。犠牲者は、一説によればナポレオン軍三万、ロシア軍三万五千といわれる。
 この戦いは、双方とも「我が軍勝利」としているが、実際には、勝敗はつかなかった。ただ、この戦いで、ナポレオン軍の″無敵″の神話は崩れたといってよい。ともかく、祖国を守ろうとするロシア軍の士気は高かった。トルストイの名作『戦争と平和』で述べられた「戦いは勝つとかたく決意したほうが勝つのだ」(米川正夫訳、岩波文庫)との一文は、この「ボロジノの戦い」に臨んだロシア人の心意気でもあった。

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