Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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東北幹部記念総会 生命の救済こそ宗教の根本

1987.7.5 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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1  陰の人の労苦を知るリーダーに
 本日は、初の東北幹部記念総会を心から祝福申し上げたい。実は、この総会に先立って、市内の苦竹にがたけにある東北池田文化会館の建設現場を視察した。明年八月には、皆さまの真心の結晶として立派な文化会館が完成する。この建物が、広宣流布への城として、東北大発展の象徴となることを確信したい。
 とともに、皆さまご自身も、またご家庭も″幸福の城″を築いていただきたい。そして、会館は″苦竹″という名の地にあっても、東北の友の境涯は″楽竹″にあるような、見事な福徳の実証を築いていかれるよう念願する。
2  先ほど、建設現場を視察したさい、建設に携わっておられる方々の労を少しでもねぎらいたいと思い、冷たいものをお届けした。
 建設の作業は、大変な労働である。また、目立たない陰の仕事でもある。学会にも、東京の栄光会やたくみの会、関西の鉄人会をはじめ、各地の設営グループがある。そうしたグループの方々は、設営等にさまざまに労苦を重ねても、スポットライトの当たる場には、その姿はない。常に、陰の、地味な役割である。
 むろん、創価班や城会等も、地味で大変な作業であるが、その凛々りりしい任務の姿に、感謝の声をかける人も多い。しかし、設営グループは、作業着姿で、その働いている姿は、会合の参加者の目にふれることもない。本当に陰の任務に徹しておられる存在である。こうした方々にこそ、私は最大の敬意と感謝を捧げたい。
 往々にして、人々の注目は、華やかな立場に向きがちである。しかし、広布のリーダーは、表舞台で活躍する人も大事だが、それ以上に、見えない陰の舞台で苦労している人を、賛嘆し守っていくことを絶対に忘れてはならない。
3  日蓮大聖人の御入滅の前年である弘安四年(一二八一年)十一月、身延に大坊が落成した。この建設に携わったのは、地頭の波木井一族やとう兵衛、右馬うまの入道など、大聖人門下の人々であった。
 身延の山の奥深いところでの作業である。不自由なことも多かったし、それだけに大変な作業であったにちがいない。そのなかで彼らは、地面をならすことから始め、縄を張り、材木を切り、柱を立てるなど、すべて自分達の手で建設を進めた。
 日程としては、十月十二、三日に着工。十一月一日には小坊と馬屋が完成し、八日には「柱だて」(棟上げ)、九、十日には、屋根をき、二十三、四日に落成式を迎えている。
 大聖人は、この大坊建設に加わった人々に対して、「地引じびき御書」に、次のように仰せになっている。
 「次郎殿等の御きうだち公達をやのをほせと申し我が心にいれてをはします事なれば・われと地をひきはしらをたて、とうひやうえむま藤兵衛右馬の入道・三郎兵衛尉等已下の人人一人もそらく疎略なし、坊はかまくら鎌倉にては一千貫にても大事とこそ申し候へ」と。
 「地引」とは、地ならしのこと。つまり、石や木の根などを取り除き、土を運んで、地面を平らにすることである。
 ここで大聖人は――次郎殿等の波木井家の若殿たちは、親から申しつけられたこととはいえ、自らの真心からも願っておられたことなので、自分から地ならしをし、柱を立て、励まれた。藤兵衛、右馬の入道、三郎兵衛以下の人々も、一人も作業をいい加減にする人がいなかった。出来上がった坊は、鎌倉では一千貫の大金を出しても出来ないであろうといわれていた――と仰せられ、門下の労苦をたたえられた。
 短い御文だが、御本仏であられる大聖人が一人一人の労苦をじっと見守られ、その真心をくまなくみ取ってくださっている御姿が拝される。

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