Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「5.3」記念関西代表者会議 一人一人が広宣流布の柱に

1987.4.17 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

前後
1  人生の師と一生を共に
 私が学会本部に入り戸田先生のもとで働くようになったのは、先生の逝去の直前(昭和三十三年三月一日)であった。それまでは戸田先生の商事会社で働いていた。広宣流布の経済面を支え築くための会社である。事業を盤石にすることが、広布の大指導者である戸田先生を守ることになるという信念で戦った。
 教育者であった戸田先生が、事業の世界に入られたのは、師の牧口先生を守ろうという心からであった。牧口先生は教育者、学者であり経済力は少ない。ゆえに経済も含め、あらゆる面で牧口先生を徹底して支えられた。戦後、時代も大きく変わり戸田先生の事業も苦境に陥った。先生は、それは大変な苦労をされた。私も苦労をともにした。
 私は戸田先生を人生の師と決めていた。師弟は不二である。ゆえに師が、どこに行こうと、私も一生お供する決心でいた。順調の時だけ一緒などというのは師弟の姿ではない。私は、常に、この決心で進んできた。
2  私が本部に入った時、戸田先生は何人かの最高幹部の前で、こう言われた。「大作が本部に来たよ。これで本部は心配ない」と。
 戸田先生がどこに行かれ、何をされても、先生の広宣流布への信心は間違いない。ゆえに、あらゆる面で、先生と一体で活躍をした。事業の面でも「私がいます。心配しないでください」との信念でやってきた。組織の建設や折伏・弘教にあっても、同様であった。
 ある時、神田を一緒に歩いていた。あるビルの前で戸田先生は、立派なビルだな、と言われた。私は、必ずもっと立派なビルをつくりますと申し上げた。多大な負債のあったときである。常識ではできるわけがない。しかし、私は固く決心し、やがてその通りに実現した。
 また、ある学校の前で、教育者であった牧口先生のことを偲ばれた。その時も私は、学校をつくり、牧口先生の教育理念を生かしていきますと申し上げ、その通りにした。
 今日の多くの広布の構想も、このように、戸田先生が雑談の中で言われた一言をも心に刻み、そのまま実現してきた。戸田先生と牧口先生の関係も同様であった。ここに学会の不変の魂があるといってよい。
3  時代は移りゆき、あらゆるものが変化していく。しかし、信心の精髄と学会精神だけは、いささかも変わってはならない。
 次元は異なるが、日蓮大聖人は、御自身の御所行を久遠元初以来、「芥爾けに計りの相違」(御書一〇二三㌻)も無いと仰せになっている。信心もまた、時代を超えて″芥爾ばかりも″変わってはならない。

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