Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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青年部代表者会議 青春の誓いを生涯貫け

1986.12.27 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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1  真面目な人格が信仰者の要件
 私は明年で入信四十年を迎える。その間、実に多くの人生を見てきた。その体験の上から、一つの結論として確言できることがある。それは、人柄のよい″真面目″な人格の人こそが、結局、最後に人生の勝利者となり、幸福者となっているという事実である。平凡といえば、これ以上、平凡な原理もない。しかし、ここに最も重要にして銘記すべき一つの基準がある。
 どこの世界にあっても、真面目で真剣でなければ長続きしない。これが道理である。いわんや信仰の世界においては、心の奥底に誠実な真面目さと、謙虚な実直さがなければ、生涯の信心を全うできるものではない。
 また「信心」といってもさまざまな信心の姿がある。″火の信心″もあれば″水の信心″もある。格好のみの偽りの信心もある。見た目の華やかさや、一時の活躍の姿だけでは、分からない。
 ゆえに極論すれば、信心をぬきにしても、一個の人格として、真面目な人であるかどうか――。そこに心から信頼し、安心して後事を託せる人物か否かの分岐点がある。心根が真面目であり、その上に強情な信心が備わっていることが大切なのである。
2  「真面目」の語義ならびに語源をみてみると――真面目の意味には主として(1)真剣な顔つきであること。真心のこもった顔つき。(2)真剣な態度。(3)本気であること。真摯しんしさ。(4)たわむれでないこと。誠実であること、虚飾がないこと。率直、実直、真実であること、などがある。
 また、その語源には諸説あるが、主なものに(1)マサシキ目(正しき目)の義。(2)真シ目(真の目)の義。(3)真筋目(真のすじめ)の義、などが挙げられている。
 さらに漢語の真面目(シンメンボク、シンメンモク)には(1)ありのままの姿。本然のままで偽り飾りのないこと。真相、実相。(2)まじめ。実直の義がある――。
 ここから言えることの一つは、やはり″目″が心を表すということだ。落ち着きがあり、澄んだ″正しき目″でなければならない。
 また偽りや虚飾は、不まじめに通じる。口に美辞を並べながら、陰で要領を使い、諸問題を引き起こし、人々を苦しめたりする人間は、この類いである。不まじめな人は、長い目で見れば、必ずといってよいほど挫折し、ちている。真面目な人は、一見、華々しくは見えない場合があるが、時とともに、にじみ出る人格の光彩がある。そこに人々は信頼を寄せてくるのである。
 さらに″真剣″でなければならないということだ。一流の人物は、例外なく陰で人の何倍、何十倍もの真剣な精進を重ねている。また我が学会も、諸君のご両親等をはじめとする諸先輩が、真剣の二字で築き上げたものである。
 要するに学会は、真面目だったから、ここまで大発展をとげた。このことを絶対に忘れてはならない。真面目さのなかに凝結した自己の人格と一念が、我が人生を飾っていくのである。
3  苦労は飛翔への原動力
 悩みのない人はいない。人生は悩みと葛藤の連続であるといってよい。しかし、悩みと労苦があるからこそ成長も前進もあるのである。たとえいかなる煩悶があっても、「煩悩即菩提」の原理で、苦しみを成長と幸せへの糧としゆくところに、人間としての成長がある。その意味から労苦と葛藤こそ、飛翔への原動力である。
 広宣流布の一切を後継しゆくのは、若き諸君達である。今後、それぞれの立場にあって全責任を担い活躍していかなければいけない。それは、生死の大海に漂う苦しみの衆生を、妙法の大船に乗せ、三世にわたり真実の幸福の道へ導くための労作業である。そのリーダーとしての立場が諸君である。
 その重大な責任は、青春時代の″労苦″と″鍛え″なくして、決して果たすことは出来ない。ゆえに、若き日の絶えざる精進を忘れてはいけない。

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