Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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東京第三・第四総合本部合同代表者会議 生涯、悠々と水の信心を

1986.12.25 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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1  根本に不同の信心
 いかなる時代にあっても、根本に厳然たる不動の信心がなくてはならない。日蓮大聖人の御生涯は、大難少難やむことなき法難の連続であられた。ゆえに、その門下に連なる方々の苦労も大きかった。しかし大聖人は、妙法への殉教こそ成仏の根本原因である、これにまさる幸福はないとして、ひるむことなき不退の信心を厳然と指導されきっている。
 家庭においても、教育の世界や一般社会においても、厳然たる不動の基準がなければ、皆が方向を見失ってしまう。いわんや信仰の世界は、峻厳なる絶対の確信の世界である。広宣流布の展開において、時代に応じて柔軟に知恵を使っていくのは当然である。しかし、根底には一切の価値判定の基準となる不動の信心がなければならない。
2  大聖人門下の二人の女性、名越の大尼と、その孫の嫁ともされる新尼の信心の姿をみると、大尼は大聖人を援助した功労もある、古くからの信徒である。しかし大聖人の佐渡流罪の折に一度、退転してしまった。後に大聖人が佐渡から帰られたあとになって、再び信心の心を起こす。このように、心に裏表があり、時の状況に応じて信心を左右していくずるさがあった。これに対し、若き新尼は大難の時にも、凛々りりしく信心を貫き通している。まことに対照的な二人であった。
 のちに二人は大聖人に御本尊の授与を願い出た。世間的には大尼は新尼より長上である。また大聖人も″重恩″のある人と言われている。しかし大聖人は二人の信心の姿勢を峻厳に問われて、新尼には授与を許され、大尼には許されなかった。ここに永遠に銘記すべき厳しき信心の世界の一つの縮図がある。
3  信心の世界では信心の厚薄、浅深が基準である。世間の法や人情にとらわれ、その根本を動かしてはならない。
 なお、今まで功労があったが、ある時は組織を乱し、ある時は増上慢となって人々のひんしゅくを買い、またある時は、諸問題で信用を失った人がいる。私が、その人達を遠ざけていかざるを得ない場合もある。それは、その人達を慈愛で包容しても、多く後輩達が、その不公平さに苦しみ、悩むからだ。ゆえに私は、たとえ無慈悲のように見えたとしても、厳然と、広布の未来のため、また多くの人達の納得を得るために、やむを得ず、その人達を厳しくそばに寄せつけない場合がある。この点をどうか、ご了承願いたい。

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