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日蓮大聖人・池田大作

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大宮広布三十五周年記念代表者会 時代は「永遠の生命観」を希求

1986.12.21 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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1  使命の道をさっそうと前進
 大宮は、苦難の風雪にも屈せず、数々の凱歌の歴史を刻んできた、いわば″連戦連勝の地″である。その大宮を久方ぶりに訪問でき、本当にうれしく思う。
 また、広布の拠点の「大宮城」ともいうべき西大宮文化会館が、皆さま方の信心と真心の結晶として、このように立派に誕生した。まことに慶賀にたえない。きょう、お会いできなかった同志の方々にも、くれぐれもよろしくお伝え願いたい。
 私が小学校四年生の頃のことである。学校の先生が、ある国の学者の話をしてくれた。
 第一次世界大戦のさなかであったにもかかわらず、その学者は、世界的な大戦が行われていることを知らなかった。その人は一心不乱で研究に取り組んでいたにちがいない。それは、人類の福祉に寄与するための研究であった。だが、″世界大戦という非常時に何たることか″と非難された。さらには、物にかれた狂人として侮辱もされた。しかし彼は、研究を続行し、見事に成し遂げ社会に貢献した――というのである。
 私には、この話が大変に印象深く、今もって脳裏を離れない。当然、社会の動向に無関心であってよいということではない。しかし、仏道修行に励み、広布の活動を進める私どもにも、ある一面で相通ずる話であると思う。
2  世間の人々は、たとえば休日ともなれば、ゆっくりと休む。テレビでも見ながらのんびりと一日を過ごす。または、行楽に出かけ、レジャーを楽しむ人も多い。そうした人々から見れば、私どもの日常は、いささか異様に映るかもしれない。
 私どもは休日であれ、広布の活動を休むことはない。むしろ皆さま方は時間を見つけては友のために走り、広宣流布のために尊い汗を流しておられる。大法興隆にいそしんでいる。そのために、″狂信″とか″法華気違い″などと、さげすまれたこともあった。
 しかし広宣流布の運動は、恒久平和と全人類の幸福のための戦いである。これほど崇高な使命はないし、尊い人生はない。三世十方の仏・菩薩が「善哉よきかな、善哉」と、皆さま方を深く賛嘆されていることは、経文に照らし、間違いないことと確信する。
3  何事であれ、一事を成す人の人生、生活というものは、とかく常識外に映るものだ。一流のマラソン選手が、神宮外苑を走っている姿を見かけるが、その鍛錬と真剣さは並外れたものである。マラソン選手だけではない。学問でも、仕事でもいかなる分野であっても、一事を究める人は、一心不乱に研さんと修行を積んでいる。その、いわば″狂人″のような執念があってこそ、人並み以上の実績を築けるわけである。
 しかし、こうした人々の鍛錬と成果は、いかに素晴らしいものであれ、来世にまで持っていくことは出来ない。あくまで今世限りのものである。この世で獲得した財産や名声も、また、同じである。
 それに対し仏法の妙縁は、永遠に消えることはない。信心の修行による福徳は三世にわたり輝き、自身の生命を飾っていける。私どもの信心の目的は永遠に、自在・無礙むげの境地に遊戯ゆうげしていくことにある。ここに、単なる「現世論」を超えた「三世論」としての仏法の壮大さがある。どうか、これからもこの点を確信し、誇りとし、妙法流布の使命の道を、さっそうと進んでいただきたい。

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