Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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大学会・豊島区合同研修会 信心と人格光る後継者に

1986.12.7 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

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1  旭日の青春の君らを祝福
 最初に、はるばるヨーロッパから総本山参詣ならびに研修のため来日された求道の友に対し、最大の歓迎の意を表したい。また満腔まんこうの敬意を捧げ、心から「ご苦労さま」と、申し上げたい。また同じく参加されているアメリカ、中南米、インドの友に対しても、私は同じ気持ちである。
 恵まれた日本にいても退転する人もいる。しかし皆さまは、その何倍も大へんな環境にあって、このように強盛な信心を重ね、広宣流布に活躍しておられる。御本仏・日蓮大聖人が、どれほどまでに賛嘆され、お喜びか。最高に素晴らしき人生であると、皆さま方の信心をめで、たたえられているにちがいないと確信する。
 また本日は広布後継の十六の「大学会」が結成された。″旭日輝く青春″の若きいのちほとばしる諸君にお会いでき、私は本当にうれしい。また、きょうの日をどれほど楽しみにしていたかということを申し上げておきたい。
 本日も少々、時間をいただき、話をしておきたい。多くの方々からの強い要望もあるし、指導者として、言っておくべきことは言い、残すべきことは残しておかなければならないと思うからだ。また、せっかく集ったのに、きょうの話は短すぎると、大きな不満の心を残しては申しわけないからである。
2  私は、この二十数年間、立場上、日本各界の多くの著名人と会った。また、さまざまな分野における世界の指導的人物とも会見・会談を重ねてきた。また数限りないほどの、内外の市井しせいの方々ともお会いした。
 そうした出会いを通して、私が痛感することは、会って、大へんに誠実な印象を受ける人がいる。すがすがしさを残す人もいる。反対に何とも卑しさや、臭みを感じさせる人もいる。明朗な人もいれば、陰険な人もいる。傲慢な人もいる。飾らない人柄で、会うだけで友情の心を通わせていく″友好の名人″もいる。腹ぐろい策の人もいる。また軽率な人もいる。重厚な人格者もいる。権威をカサにきて、いばっている人もいる。当然、初対面の姿だけで、相手を評価することは難しい。また危険でもあろう。しかし、その初対面の実相の中に、直観的に、また経験の上から、その人の傾向性を多々知ることが、できることも間違いない。
 ともあれ、その方々の長い軌跡を通していえることは、初対面で感じとった傾向性の延長が、それぞれの人生の結果の姿となっているような気がしてならない、ということである。つまり、要領や策で会いにきた人、利用する下心できた人、驕慢やふざけの心できた人、心に侮辱をもって接してきた人等々と、反対に、信頼の心でぶつかってきた人とは、その結果はおのずから明確な違いがあるような気がしてならない。これが二十数年間の体験を経た、私の一つの結論である。
3  いずこの地もみな使命の舞台
 諸君は、まさに、これから社会に出て、活躍していく人達である。また、すでに実社会の舞台で苦闘している人もいる。社会も人生も、人間と人間のつながりなくしては決して成り立たない。その意味で、諸君は自分らしく、人々の友情と信頼を勝ち得ていける一流の人物へと自己を磨きぬいていってほしい。
 日蓮大聖人は「自体顕照」と仰せである。これは妙法の光によって、ありのままの自己を照らし、輝かせていくことであり、本来のすぐれた個性を発揮しきっていくことともいえよう。また「無作三身」とも仰せである。これは別しては御本仏のことである。総じては妙法を信じ行じている私どもが、人間らしい、つくろわぬ、ありのままの姿で、生き生きと、正しき人生を闊歩かっぽしていける姿を教えられているとも拝せる。
 こうした観点からも、私どもが仏法を受持したという事実が、価値ある人生を生きゆくうえで、いかに深く重大な意義を持っているかを銘記してほしい。

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