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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部合同研修会 慈愛の心、良識の振る舞いを

1986.11.23 スピーチ(1986.11〜)(池田大作全集第68巻)

前後
1  慈悲の絆の拡がりが理想を実現
 本日は、学会の発展を根本的に支えてくださり、広布の推進に尽くしてくださっている尊い婦人部の方々の集いである。
 広布の活動において、さまざまな人々がいた。なかには、挫折と撹乱かくらんと利用と怨嫉の人もいた。しかし、皆さま方は、広布と学会の発展のために″調和″をとり″前進″と″進歩″の人々であった。
 今日の、広布の前進と学会の発展を思うとき、皆さま方をはじめ婦人部の方々の存在と活躍が、いかに大きなものであったか。私は心から感謝し、その功労をたたえたい。
 とくに創友会の方々は、青春時代から、経済的にも大変な環境の中で、すべてをなげうって広宣流布のために健気に頑張ってこられた。私は、その活躍は絶対に忘れないし、後世にまでたたえ、宣揚していきたい。
 学会の組織でも、また家庭、地域にあっても、婦人部の方々は、多くの苦労があったことと思う。男性の傲慢ごうまんやエゴに辛い思いをし、耐えてもこられた。しかし、仏法の世界ではすべて平等である。
 決して、女性に対して威張ったり、自尊心を傷つけるような言動があってはならないと、男性の幹部の方々に強く申し上げておきたい。
2  きょうは婦人部の指導者である方々の集いであるので、ここでナポレオンを通してリーダーの在り方を一言申し上げておきたい。
 ナポレオンの軍隊は、革命への進歩的な理想をヨーロッパのすみずみにまで浸透させていったといわれる。理想とは大義名分であり、その大義名分を掲げていったところにナポレオンの勝因があった。
 戸田先生も「戦いには大義名分がなければならない」と、よく言われた。社会に多くの団体や運動があるが、理想を失い、大義名分を欠いた団体、運動は、たとえ一時は隆盛を誇っても、決して長続きはしない。
 私どもは広宣流布という最高の理想、未聞の大義名分を掲げて日々の活動を進めている。その理想が、正しく、人々の共感を得ていくことが、広布の前進を増していく大切な原点である。
3  しかし、ナポレオンにも致命的な失敗があった。それは、相手国に対し″征服者″として、すなわち敵として向かっていったことである。それでは、どんなに進歩的な理想を掲げ、立派な大義名分があっても、人々に共感をもたらすことは絶対にできない。そこには、人間の傲慢ごうまんさがひそんでいたからである。
 人々に、心から納得と共感を与えていく道は、″真心″である。それに対し、傲慢、驕慢、増上慢が心にひそみ、相手をみさげていく時に、必ず人々の心は離れていってしまうものである。表面上はいかなる美辞麗句を並べようとも、また華やかな立派そうな振る舞いをみせても、それは一時的なものであり、長続きしないからだ。
 人の心は賢明である。私ども広宣流布にむかいゆく指導者としての心構えもこの一点を決して忘れてはならない。
 あるドイツの著述家は、このナポレオンの在り方に論及し「ここにふたたび、自然の人情が、逆児さかごのような進歩思想よりも、はるかに強いものとして登場する」(カール・B・レーダー『戦争物語――人類に平和が保てるか?』西村克彦訳、原書房)と分析している。
 つまり″人情″というものは、理想よりも、また武力、権力、名声よりもはるかに強いということである。私どもから見れば、それは、より深い″慈悲″の精神にほかならない。
 今日の広布の大きな伸展も、権力や権威によるものではなく、仏法の″慈悲″を根幹にした心のきずなによって、互いに結ばれてきたからである。
 いかに権力者や権威の人が、その権力や権威で人の心を引っ張っていこうとしても、人々は心から納得することはないだろう。
 また、人々を見下すような増上慢では、人々の心の奥まで納得させることはできないと、庶民の知恵は、鋭敏に見抜いているものだ。しかし彼らは、それで自分が偉いと思っているから始末におえない。
 ともかく、この″慈悲″の絆の広がりのなかに、広宣流布という民衆の凱歌と真の幸福への大道があることを確信していっていただきたい。

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