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看護 健康をつくる芸術

「健康対話」(池田大作全集第66巻)

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1  池田 病気になって、いちばんお世話になるのが看護師さんです。優しい看護師さんの存在が、どれほど病気の人に希望をあたえているか、計り知れません。「白樺」の代表に、「看護」について、お話ししていただきたいと思います。うるさい医師もいませんから(笑い)、遠慮なく語ってください。
 稲光礼子白樺会総合委員長 ありがとうございます。
 松本佳寿子白樺会副委員長・小島明子白樺会書記長 よろしく、お願いします。
 池田 稲光さんは今、大学で看護の教育をされているのでしたね。
 稲光 そうです。
 池田 現役の看護師さんのころは、どんな科を担当されましたか。
 稲光 最初は婦人科で、次に消化器・血液・内分泌内科、眼科など、いろいろなところを経験しました。
 池田 松本さんは?
 松本 神経内科と外科です。
 小島 私は、感染症科、消化器病棟で多くのがんの患者さんを看護してきました。
 池田 三人で総合病院ができそうですね(笑い)。看護師になろうと思った動機は何ですか。
 稲光 中学生のときに、地域の弁論大会があり、ナイチンゲールをテーマに参加しました。そのとき、彼女の伝記を読んで感動し、「看護の道に進もう」と決めたんです。
 池田 ナイチンゲールに感動して看護師になった人は多いようですね。
 松本 はい。私もナイチンゲールの「女性は誰もが看護婦なのである」(薄井坦子代表編訳『ナイチンゲール著作集』1、現代社)という言葉が大好きです。
 池田 どうして看護師になろうと思ったのですか。
 松本 小学校一年生のときに、プールでおぼれたのが、きっかけです。運ばれた病院の看護師さんが、親身になって面倒をみてくれました。「もう、大丈夫よ」という、優しい一言が忘れられません。そのときから、「自分も看護師になりたい」と思い始めたんです。
 小島 私は母が看護師でした。母の苦労を聞いていたので、本当は看護師になりたくなかったんです(笑い)。ただ、健康を守る知識だけは身につけておきたいと思って、看護学校に通いました。ところが、一年生のときに、自分が病気で入院することになってしまいました。そうなって、初めて看護師の影響の大きさを実感しました。
2  「忘れられない看護師さん」
 池田 貴重な体験ですね。自分が体が悪くなって、初めて体の悪い人の心がわかる。私にも忘れられない看護師さんがいます。戦争中のことです。兄たちは四人とも戦争に行き、私は鉄工所で働かなければならなかった。
 私は結核にかかっていました。病状も、かなり重かった。しかし、若い男が家にいると、笑われた時代でした。無理を重ねながら、仕事を続けていました。青年学校の軍事教練もあった。体はやせて、頬はこけ、注射を打つでも、すぐまた熱が出る。職場から人力車に乗せられて帰ったこともあります。三九度の熱を押して、仕事をしたこともありました。
 その後、とうとう、やむを得ず、事務系の仕事にかえてもらった。医師にかかるゆとりもありません。食糧事情も最悪な時代でした。十分な栄養をとることもできません。「健康相談」という雑誌だけを頼りに、自分で自分の健康を気づかうしかなかった。
 そんなとき、職場の医務室にいた年配の看護師さんが心配して、病院に行くよう勧めてくれましたしかも、レントゲンの撮影のために病院に行くのに、わざわざ付き添ってくれた。そのとき、「池田さん、何とかして転地療養したほうがいいですよ」「戦争って、いやね。早く終わればいいのにね」と励ましてくれたのです。診断の結果、地方の療養所に入ることが決まったのですが、まもなく終戦になって、入院どころでは、なくなってしまった。
 いずれにしても、そのときの看護師さんの親切は、身にしみて、うれしかった。また、戦争に対して、堂々と自分の意見を語った彼女の強さに、勇気と希望がわきました。今でも、その光景は忘れられません。
 稲光 私たちも、そういう「忘れられない看護師さん」になりたいと思います。
 池田 お願いします。ナイチンゲールは、家庭もふくめ、広く、健康を守る看護は「健康についての芸術である」(前掲『ナイチンゲール著作集』2)と言いました。画家はカンバスを相手に、彫刻家は大理石を相手にする。看護は、もっとすばらしい、人間の生命を相手にした「最高の芸術」である。これが彼女の誇りでした。
 私も、看護は「芸術」であると思う。技術と知識と人格とが一体になった「人を癒す芸術家」です。これほどすばらしい存在はない。看護師さんを、もっともっと大切にしなければならないと思う。皆さんが看護師として、大切だと感じている点は何で何ですか。
3  「よく聞く」こと
 松本 まず、「患者さんの話をよく聞く」ことです。聞いてあげることで、患者さん自身も自分で状況が整理でき、問題点が明確になってきます。「白樺」のHさんの体験を聞いたことがあります。
 Hさんは、のどの病気で声帯をとったIさんと出会いました。Iさんは、七十三歳という高齢でしたが、少年野球の艶督や町内会の会長を務めるなど、社交的で、周囲の人望も厚い方でした。手術の経過は順調でしたが、Iさんは日ましに落ち込んでいきました。そんな様子を見ていたHさんは、「Iさんの胸のうちを知りたい」と祈っていました。
 ある日のことです。その日も元気のないIさんに、Hさんは声をかけました。「みんなが心配していますよ」。すると、Iさんはメモ用紙を取り出して、せきを切ったように心情を書き始めたのです。
 「手術したくなかった。ちっともいいことがない」「もう家には帰れん」「みんながきっと笑う。こんなんじゃ恥ずかしゅうて外に出られん」。そう書くと、ペンを投げ出し、険しい表情になりました。
 池田 声を失ったことで、自分の全部を失ったように感じていたんですね。
 松本 そうなんです。Hさんは懸命に訴えました。
 「ここには、同じような手術を受けた人が大勢いるのよ。若い人でも、みんな、悩んでるよ。だから、Iさんから″あんたも頑張らないかん″って、みんなを励ましてやってほしい。みんな、絶対、喜ぶよ。それがIさんの役目だと思うよ」
 話が終わるころには、Iさんの目に明るい光が感じられました。以来、Iさんはすっかり元気をとりもどし、退院後も、少年野球の監督などを続けられたそうです。
 池田 病気の人というのは、いつも葛藤があるものです。自問自答というか、いつも自分の中で苦しく戦っている。その苦しさを「聞いてあげる」ことは、それ自体が「抜苦」になります。抜苦与楽(苦を抜き、楽を与える)の抜苦です。それも形だけで聞くのではなくて、本当に親身になって聞いてあげる。その温かい「心」が、病を癒す力になるのではないでしょうか。

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