Nichiren・Ikeda
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はじめに
『健康の智慧』―仏法の眼・医学の目―
「健康対話」(池田大作全集第66巻)
前後
1 健康にまさる宝はない。
ある大富豪は「健康が買えるならば、全財産も惜しくない」と言った。毎日を「生き生きと生きる」ことは万人の願いであろう。
現在、わが国は世界一の長寿国。しかし、現実は「長寿」即「健康」とはなっていない。また「長寿」即「幸福」とも言いきれないのではないだろうか。
心身ともに、はつらつと、充実した日々を生きるには、何が必要なのか。「楽しく長生き」の人生は、どうしたら可能なのか。その答えを、現代人は求めている。
こうした課題を「仏法の眼」と「医学の眼」の双方から、創価学会のドクター部や白樺会(看護者の集い)の代表の方とともに語りあった。
「聖教新聞」に「『健康の世紀』を目指して――仏法の眼・医学の眼」として、一九九六年四月から十一月まで連載された対話をまとめたのが本書である。
本来、医学と仏法は対立するものではない。釈尊の出家の出発点は「生まれる苦しみ」「老いる苦しみ」「病む苦しみ」「死ぬ苦しみ」を、どう乗り越えるかにあった。「健康」「長寿」という医学の課題は、そのまま仏法の根本課題なのである。
医学は知識を使って、病気と闘う。仏法は人間の内側から″智慧″を開発して、医学の知識を賢明に活用する。さらに生命のリズムを整え、生命本源の力を高めていくものである。
「聖教新聞」に連載が開始された日(一九九六年四月七日)は、WHO(世界保健機関)の発足の日(一九四八年四月七日)にあたっていた。
「健康とは、身体的、精神的、および社会的に完全によい状態」――WHOの″健康の定義″は、よく知られている。
かつては身体の次元だけに向けられがちだった人々の関心も、精神の次元、そして社会的次元における健康の大切さを無視できなくなっている。
ゆえに、独りよがりでない科学的な立場から、また深い哲学をもっ根本的立場からの「健康の智慧」が必要とされているのではないだろうか。
医学用語はむずかしく、一般の方にはなじみがない。そのため、語らいでは、できるかぎりわかりやすい言葉を心がけた。読者にかわって、素朴な疑問を投げかけた場合も多い。
本書を第一部として、第二部の対話も計画している。(=本巻収録の『健康と生命と仏法を語る』が、第二部にあたる)
読者の皆さまの健康をつくる一助になれば幸いである。
一九九七年二月十一日
思師戸田城聖先生の誕生の日に
池田大作