Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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将来について  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

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1  問1 将来、なりたい職業が次々に変わってしまう
 僕は、将来、政治家になろうと思っていますが、何かすばらしい映画をみると映画監督になりたいと思うし、また、本を読むと学者になりたいという気持ちがわいてきたりして、自分でもよくわからなくなります。こんなバラバラな気持ちでいいのでしょうか。
 少年時代は、人の一生のなかでも、いちばん好奇心の強い時代です。また、気持ちが純粋なので、何か新しいことにふれると、すぐ気持ちが動き、それに憧れをもつようになるのも当然です。君たちの年齢で、そのような夢や憧れがないほうがおかしいでしょう。
 ですから、君が、政治家になりたいが、映画をみたら、あんなすばらしい映画をつくる人になりたいとか、非常にためになる本を読むと、学者になりたいとか、いろいろ思うのは、決しておかしくはないのです。むしろ、いろいろな機会に接して、さまざまなことを見、それを吸収して、多くの夢と希望を育てていくことが大事です。
 また、政治家になりたいという、君の希望も、そのように、いろいろなことを経験し、吸収しておいたほうが、より実りある、豊かなものになるでしょう。というのは、政治家になるといっても、君たちの年ごろで、とくに、そのために、こういう勉強をしなければならないということはないからです。
 いや、政治家の根本は、温かい人間の心と広い視野をもつことです。イギリスのマーシャルという経済学者は「冷静な頭脳と温かい心」(A. C. Pigou, ed. ''Memorials of Alfred Marshall'' 1925)こそ指導者に必要であると述べましたが、政治家の要件として、的を射た名言といえましよう。
 今の政治家の多くは、この温かい人間の心が不足しているようです。だから本当に、国民のことを思った、血の通った政治が行われないのです。もし、君が、政治家になろうと強く思うのならば、感受性が強く、純粋な少年時代の今こそ、人生の真実に迫った文学作品や、映画や芸術を、どんどん吸収し、幅広い視野と人間性を養っておくことが肝要です。
 さらに、少年時代の夢と、その人の将来ということについて述べますと、少年時代の希望が、そのまま、その人の将来を決めてしまうとはかぎりません。むしろ少年時代の希望とは、まったく違ったコースを歩んでいく場合も少なくないのです。多くの場合は、いろいろあった幼いころの夢が、その人の成長につれて、やがて一つのことにしぼられてくるものです。
 私自身のことを振り返ってみても、君と同じ年ごろに考えていたことと、現在とは、まったく違っています。私の今の人生は、ほとんど想像もできなかったものです。
 しかし、だからといつて、少年時代に、夢や希望をもつことが無意味だというのではありません。私の現在の仕事は、想像もつかなかったものですが、少年のころにもった夢や憧れは、今の仕事にも、生かされています。純粋な心に映った感情を、どんなに年を経過しようとも、失わず、もち続け、反映させていく人生でありたい――というのが、私の願いであり、モットーです。
 少年期は、希望の時代です。多くの夢があって、そのために、何になっていいのか決まらないというのは、むしろ健全な少年の姿だと思います。
 したがって、そのことで、将来のことを不安に思う必要は、まったくありません。夢が広がっているほうが、楽しいではないか――これくらいの大きい、広い気持ちで、これからも、さまざまな勉強をしていっていただきたい。そして、そこでつちかった清らかな願望を、大人になっても忘れず、生かしてほしいと思うのです。
2  問2 夢があるのに家業を継ぐように言われた
 僕は、プロ野球選手になりたいのですが、父は歯科医です。それで父は、僕に、歯科医のあとを継げと言いますが、どうしたらよいでしょうか。
 これは、少しむずかしい質問ですが、今の段階では、まだ、そんなに早く結論を出さなくてよいのではないでしょうか。
 今、プロ野球の選手になりたいという君の気持ちが、将来、変わるかもしれないし、なりたいと思っていても、体力に自信がないとか、自分の実力の限界を知るとか、あるいは、相当、実力には自信があるけれども、プロになるためには、やはり力不足であるとか、というような気持ちも、途中で起こってくるかもしれません。
 また、もし、君に、本当に、プロ野球の選手として成功する才能と実力があって、それが認められれば、君のお父さんも、あるいは気持ちを変えるかもしれません。お父さんにすれば、実際、君にどれだけの素質と実力があるかがわからないため、反対しているのかもしれません。
 小・中学生時代の男子の志望で、一番多いのは、プロ野球選手だと言われています。私の知っている人たちのなかでも、子どもが野球選手になりたいと言っているという話をよく聞きます。
 大勢の観客や、テレビをみる何百万という人の前で、だれをもうならせるファイン・プレーを演じたり、スカッとした逆転ホームランを打つ選手の姿を見ていると、元気な男の子なら、自分もやりたいと思うのも、ごく自然のことです。
 それだけに、お父さんとしても、野球選手になりたいという君の希望も、ふつうよくある男の子と同じような、一時的なものであると、軽く考えているのかもしれません。
 ですから、今は、そんなことに、くよくよせずに、君の好きな野球を、うんとやっておきなさい。スポーツは、健全な精神と体をつくるうえで、欠かせないものです。
 私は、少年のころから体が弱かったもので、そのことを痛感しています。少年時代に大事なことは、勉強ももちろんですが、将来、どのような立場になっても、十分働いていける体をつくっておくことです。
 いくら学校の成績が優秀であっても、体が弱くてすぐ寝こんでしまうようでは、大事な時に役に立ちません。また、頭がいいとか悪いとかいっても、全体観からみれば、そんなに大きな差はありません。むしろ、体が弱くて、一生棒に振ったという人のほうが多いようです。実際の社会では、体が根本だといっても、さしつかえないでしょう。
 ただ、君ぐらいの年齢で、いくら野球が好きだからといって、自分の将来は、野球選手以外にないと決めることも、必要ありません。成長するにつれて、途中、いろいろな希望も生まれ、願いも増えてくるでしょう。そして、そのうちに、自分は、やはり、これでいきたいと思える道が出てくるものです。
 それが、野球選手であるか、歯科医であるかは、私にはわかりません。しかし、もし、それが、お父さんのあとを継ぐ道ではなかったならば、そのときに、じっくりと、自分の将来について、お父さんを含め、家族の人と話しあうことが必要です。君の今の質問に対する具体的な回答は、そのときまでお預けにしましょう。
3  問3 自分の″天分″はどうすれば見つかるのか
 僕は、将来、何になるのが自分に適しているかわかりません。よく、人それぞれに″天分″があると言われますが、それを見いだすには、どうすればよいのでしょうか。
 自分が何に適しているかを見極めるのは、簡単なことではありません。幼い時から、自分はこれに適していると自覚して、その方面に特別な才能を発揮する人もなかにはいますが、それはむしろ例外的なことといえるのではないでしょうか。
 多くの人は、高校に進学し、大学の進学を決める時や、あるいは社会に出て、どういう職業につくかという時に、自分の道を決めるようです。しかし、その場合でも、はっきりと自分の適性を見いだしているかというと、決してそうとは言いきれない。ある時には″何となく、こちらに向いていそうだ″という、漠然とした気持ちで決めている場合も、少なくはないでしょう。
 ですから、社会に出て、成功した人の例を見てみると、実際には、大学や高校時代に専攻していた道と、まったく畑違いの場で活躍している人も多いのです。私は、高校や大学では、もっぱら理科系の勉強をした人が、詩人になり、あるいは評論家として名を成している例も、知っています。
 このようなことがどうして起こるかというと、これは、自分の″天分″をどうすれば見いだせるかという問題と関係してくることですが、結局、人それぞれに、その人らしい持ち味と才能、個性はあっても、それは自分ではなかなか発見できないものなのです。しかし、ある機会に接すると、急速に自覚できる場合がある。たとえば、それまでは不得意であった科日でも、好きな先生がいて、非常におもしろく授業をしてくれるので、自然と、その不得意科目に興味をいだくようになり、最後には、その方面に関係する仕事をしたいと思うようになるといったケースは、よくあります。
 また、その機会が、先生でなくても、一冊の本であったり、友だちとの討論であったりする場合もあるでしょう。そういう機会を通して、眠っていた天分を見いだし、自分の道を決めるようになることもあるのです。
 君は、まだ、その段階に達していないわけですが、中学時代の現在で、進むべき方向と適性がわからないからといって、あせることはありません。今は、学校で習う、いろいろな科目や実習を、しっかり吸収していくことが大事だと思います。
 とくに、中学時代で教わるものは、そのまま実社会に出た時にも、社会人として、十分に通じる基礎ばかりです。その基礎を完全にマスターしていれば、大学を卒業しても、なまはんかに勉強していた人と比べると、はるかに優れた力をもつことができるとも言われています。
 ただ、自分の適性はわかりにくいといっても、人には、何らかの興味や関心をもつことがあるはずです。そこに、その人の天分や適性があるとは、必ずしもいえないにしても、そうした興味や関心のあることがらは、それに通じる面が多いのも事実です。
 したがって、学校の勉強とともに、君が、日ごろ、好奇心や興味をもつ問題については、自分自身で積極的に取り組み、それをはぐくんでいくべきです。そうして青年時代において″これだけはだれにも負けない″と誇れるものを、何か一つでいいからもつことです。それをもっている人は強い。たとえ、仕事や職業が、自分の関心とは違うものであったとしても、それをもっている人は、実際の社会の場で生かせるものです。また、それがあれば、社会にあって、必ず、価値ある人だと尊敬されるものです。

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