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日蓮大聖人・池田大作

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親に反発してしまう  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

前後
1  ―― 今回は親子がテーマです。二年生の女子から、こんな相談がありました。
 「両親の期待にこたえたい。こう思って、ずっとがんばってきました。喜びでもありました。でも最近、その期待が、とてもうっとうしく、いやになることがあります。両親は、私のために言ってくれていると思うのですが、素直に喜べません。私は、どうしちゃったんでしょうか」
 池田 う―ん、少し「疲れちゃった」のかな。これはむずかしい。難問だ。というのは、家庭の問題は、あまりにも千差万別で、違いが大きい。
 簡単に「こうすればいい」という答えは出ないからです。もちろん、ほかの問題も、一人一人状況が違うのだが、家庭の問題はとくにそうです。
 ―― 彼女によれば、「お母さんは完璧主義者」なんです。「お母さんの言っていることは正しい」とわかるのですが、「自分には、とても無理だ」と感じる。それで反発して無視してしまう。今、ほとんど話もしないというのです。
 池田 大変だね。お母さんも悩んでいると思うよ。それがわかっているから、ますます自分もつらいのだろうけれども。
 これは、あくまで「一つの参考」として聞いてもらいたいが、あなたがそうやって悩むのは、どうしてだろう?……それは、あなたが「大人」になってきたからです。だから、本当は、とってもいいことなんです。きっと、あなたは、とても、まじめな人だと思う。そして、優しい人なんだと思う。だから両親の気持ちを考えて、一生懸命やってきた。そして今も、自分を責めている。それは、あなたがすばらしい人である証拠です。
2  反発は成長の証拠
 自分をおさえ続けると苦しむ
 池田 人間が、だれかの期待にこたえようと思ってがんばる――それはとても美しいことだ。しかし、それだけだと、「続かない」のです。いつか「疲れちゃう」んです。
 それは、どうしてかというと、どんなに自分のためを思ってくれる両親の言うことでも、両親は両親であって、自分じゃないからです。
 自分で自分をおさえこんで、がんばっても、だんだん疲れが、見えない心の底のほうに、たまっていってしまう。それが続くと、「自分は本当はこうしたいんだ!」という思いが、ガス爆発みたいに噴き出す場合がある。いや、それならまだいいほうで、自分が本当は、どうしたいのか、わからなくなってしまうこともある。あんまり長い間、「自分」というものをおさえつけていると、そうなってしまう場合がある。
 ―― たしかに、「期待」というのも、一つにこたえたら、「次はこれ」「次はこれ」と、どんどんハードルが高くなっていって、「きりがない」面があります。「いやになる」のも無理ないかもしれません。
 池田 「いやになる」のは、どうしてか。それは、あなたが「人間」だからです。「ロボット」じゃないからです。人間だから、「自分のことは自分で決めたい!」と思うのです。それが正しいし、それが「成長」ということです。それが人間なんです。
 もしも、自分で決めたことなら、「苦しい」ことはあっても、今のあなたのように、「うんざり」したり、「いやになる」ことはないでしょう。もし、あっても、そんな愚痴は許されない。だれにも文句は言えない。自分で決めたのだから。
 だから、今、あなたは、大きな「境目」にいると思う。自分で自分の人生を考え、何のために生き、何をめざして、どう生きるのか。自分で悩み、自分で決めていくべき″時″がきたのです。
 ―― たしかに、中学生の年代は「境目」だと思います。だから一方では、まだまだ「親に甘えたい」という気持ちもあるし、一方では「私のことは、放っておいて!」という気持ちもある。その両方の間で揺れている人が多いと思います。
3  「人のせい」にしない人が「大人」
 池田 揺れるのが当然だ。それでいいのです。みんな、そうなんです。そうやって、少しずつ「大人」になっていくのが自然です。
 「大人」というのは、簡単に言うと、「人のせいにしないで、自分のことは自分で責任をもっていける人」のことです。
 その意味では、「どうして両親や学校の先生は、私のことをわかってくれないのか。もう、いやになった」と愚痴を言っている間は、厳しくいえば、まだ「大人」じゃないのです。
 ―― その分、甘えている……。
 池田 そう。それがいけないと言うんじゃないが。「大人」であれば――本当に、心が「自立」していれば、親ほどありがたいものはないということが、よ―くわかるよ。何しろ、「ただ」で食べさせてくれて、住まわせてくれて、学校へ行かせてくれて……「口うるさい」くらいは、安い「税金」みたいなものだ。(笑い)
 親の言うことが、「自分」の意見と合わないのは、むしろ当然です。世代が全然違うし、感覚も、生きている環境も違う。時代の変化も猛スピードだ。
 だから「違っていて、当たり前」です。問題は、その「違い」を乗り越えて仲良くしていくのか。「違う」から「けんか」してしまうのかです。

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