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日蓮大聖人・池田大作

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勉強しにくい  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

前後
1  ―― 「勉強」や「進路」の悩みは、だれもがもっています。今回は、中学二年生の男子からの質問です。
 「学校で勉強する気になりません。大キライな先生もいます。頭のいい人ばかり、ひいきするからです。また、つまらなくて眠くなる時間もあります。興味のある科目もありますが、クラスの人の私語が多くて、先生の話が聞こえません。もっと楽しい授業を自由に受けることは、できないでしょうか」
 中学生は、すごく潔癖な年代と言えるかもしれません。先生が一度でも、ひいきをしたり、ウソをついたら、もう大変です。徹底的に、きらいになったりします。また、女子生徒ばかり大事にする男の先生も許せなかったりします。ともかく、勉強がきらいになる大きな理由の一つが、「先生がきらい」ということです。
 池田 そうだろうね。人間は機械ではない。感情がある。好ききらいがある。
 好きになれない先生だと、授業だって、予習・復習だって、どうしても、気が向かない。だから、ますます、わからなくなつて、ますます、その教科がきらいになる。それは、つらいね。
 ―― ある中等部員の数学の先生は、「ただ板書するだけ」のように思えて、数学がどんどん、きらいになりました。三年生になるころには、「どこがわからないのかも、わからない」状態です。先生がきらいだからといつて、その科目まできらいになっては、本当に損をします。
 反対に、国語の先生は、教科書だけに終わらないで、いろいろな本の話や自分の体験を語ってくださり、日本の古典が大好きになったそうです。
 池田 本当に、先生の影響は大きい。大切な仕事です。多くの先生は、一生懸命、努力しておられると、私は信じています。
 その上で、もしか、みなさんが本当に心の底から「学びたい!」「知りたい!」「わかりたい!」という熱い願いをもっているなら、そして、その叫びに、先生が応えようとしないなら……「それならば先生がよくない」と、私は思う。
 ―― それほどの情熱が、自分たちにあるかどうか、ですね。
2  学びたいんだ!
 池田 諸君とは、状況が、まったく違うけれども、「ぼくたちは学びたいんだ!」と立ち上がった生徒たちがいます。南米・コロンビアの生徒たちです。
 ―― 長い間、混乱が続いていた国ですね。麻薬の密売組織のために……。
 池田 そうです。殺人が、まん延して「麻薬戦争」と呼ばれるほど、社会が乱れてしまった。勉強どころではなかった。
 しかし、コロンビアの子どもたちは「私たちにとっていちばん大切な権利は、平和の権利です」と立ち上がった。自分たちで、平和のための「子どもの投票」や「子ども会議」を行った。
 そして、「私たちに平和をください」と訴えて、街頭行進した。その行進には、いつしか大人たちも加わっていたといいます。投票には、三百七十万人もの子どもたちが参加しました。
 運動を推進した子どもたちは「ノーベル平和賞」の候補にもなりました。(ユニセフ・コロンビア事務所 ''Movement of Children for Peace''より、日本ユニセフ協会)
 ―― 本当に、勉強がしたかったのですね!
 池田 世界には、戦争のために学校に行けない人や、勉強したいのに働くしかない人がたくさんいる。悪い指導者が、国中の知識人を殺したので、学校の先生がいなくなった国だってあった。
 旧ユーゴスラビアの戦争で、勉強のチャンスを奪われた少女は言っています。
 「ああ、戦争が始まる前に戻ることができたら、どんなにいいでしょう。あの二年間の失われた時を取り戻したい……」(樫達京子・稲川英二『失われた思春期』径書房)
3  環境に負けるな!! 負ければすべて弁解
 「日本の中学生だから幸せ」?
 ―― そういう世界の友だちから見たら、日本のほとんどの中学生は、学校に行けて、一人一人にイスや机があって、先生方がそろっていて、服や文房具も買うことができて、何より「平和」で……幸せですね!
 池田 いや、そうではない。日本の中学生には、日本の中学生になってみなければわからない苦しみがあると、私は思う。
 「恵まれた環境だから幸せ」とはかぎらない。「大変な環境だから不幸」ともかぎらない。
 幸不幸は、環境で決まるのではない。自分で決まる。環境に負けるか、打ち勝つか。それで決まる。
 勉強だけに、かぎらない。人生には、困ったこと、つらいこと、イヤなこと、悩むことがいっぱいある。そんなとき、二つの生き方しかない。
 一つは、文句を言って、環境のせいにして、敗北してしまうことだ。人は同情してくれるかもしれないが、結局、自分が損だし、何を言っても弁解になる。
 もう一つの生き方。それは、環境がどうあれ、自分の道を自分で開いていくという「負けじ魂」の生き方です。
 どっちを選ぶかは、自分で決めることです。
 インドには「カースト制度」が、今も習慣として、根深く残っている。人を「生まれ」によって分けてしまう。
 そのいちばん下の出身でありながら、国の大統領になった人がいる。
 現在(二〇〇〇年)のナラヤナン大統領。私の古い友人です。以前にも紹介したことのある話です。(『世界の指導者と語る』参照、本全集第123巻収録)
 ナラヤナンさんは、七人きょうだいの四番目。家は本当に貧乏で、お風呂もなかった。いつも飢えに苦しんでいたそうだ。小学校まで片道七キロメートル。来る日も来る日も、歩いて通った。雨の季節には、足首まで泥だらけです。
 そのなかを、ナラヤナン少年は、いつも何かを読みながら歩いた。本が買えないので、目にふれる新聞や本を片っぱしから読んでは、メモを取った。

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