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ボタンティアの行動  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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1  進まざるは退転
 松岡 百三歳の神奈川・多宝会の高橋ヨシさんが、NHKの「百歳バンザイ!」という番組に出演されました。(一九九八年一月放送)
 池田 私も拝見しました。じつは年末に、高橋さんの娘さんからお手紙が届き、″お時間があれば、ぜひ見てください″と、予告していただきましたから(笑い)。本当にお元気で、お話の内容もすばらしかったですね。
 松岡 番組放送後、すぐに池田先生の伝言を高橋さんにお伝えしました。
 「テレビの収録の時は、風邪ぎみで体調が悪く、六割程度のできだったとお手紙で心配されていましたが、本当にお元気です。本当にすばらしかった。とても喜んでいます」という伝言でした。
 先生と奥さまにテレビを見ていただいて、高橋ヨシさんは「うれしい! うれしい! ありがたいことだね。これから、ますます頑張らなくちゃ! 二十一世紀まで、頑張ります」と言っておられました。
 また、娘さんのコト子さんは、先生のこまやかな心遣いに感激されて、「一人の老人のために、先生が大事な時間をつぶしてくださり、申し訳ございません」「今年は、必ず折伏をやります。もう、それしか、お応えすることができませんから」と喜びのなかで決意を新たにしておられました。
 池田 高橋さんのご活躍は、このてい談でも紹介しましたね。
 佐々木はい。大反響でした。百歳といえば、中国の周恩来総理の生誕百周年(一九九八年)ですね。
 池田 私がお会いした時は、すでに七十六歳。ガンに侵されて、重体のお体でした。それでも、病室を執務室に替えて、十億の民のために指揮を執っておられたのです。
 佐々木 どこまでも、「人民のため」を貴かれたのですね。
 池田 周総理が六十歳のころのエピソードがあります。
 総理とともに新中国の建設に汗してきた年配の幹部たちの部隊があり、「黄忠隊」と呼ばれて、尊敬を集めていました。
 佐々木 黄忠とは、『三国志』に出てくる高齢の武将ですね。
 池田 ある日、作業の休憩中に、青年たちが、″黄忠隊の皆さんで、歌でも歌ってください″と呼びかけた。そう言われて、ある幹部が、こうつぶやいた。
 「歌か。そりゃあもう二〇年も前のことで、いまはもうだめだよ」(新井宝雄『革命児周恩来の実践』潮出版社)と。
 その一言が、仲間にも連鎖反応して、イヤな空気が広がったのです。
 その時、周総理が立ち上がって言った。
 「二十年前に歌えたのに、二十年後に歌えない、ということがあるかね。それはつまり″もうろく″したというものだよ。もう少し元気をだして、(長征中の)あの延安時代の意気ごみで、ひとつおおいにやろうじゃないか」(同前)
 その声に応えて、皆、立ち上がり、大きな声で歌い始めた、と。総理は、幹部の心に生じた一瞬のスキも見逃さなかったのです。「もうだめだ」という雰囲気を打ち破ったのです。いわんや、信心には、「もうだめだ」はありません。「進まざるは退転」です。若い人に遠慮する必要も、毛頭ありません。
 周総理は言っています。
 「たえず、″焼き″をいれることによって、身も心も銹びないようにしなければならない」(同前)と。
 人生八十年といえども、一瞬一瞬の積み重ねです。所詮、良くなるか悪くなるかのどちらかしかない。それを決めるのは自分自身なのです。
2  阪神・淡路大震災での救援活動の教訓
 松岡 話は変わりますが、阪神・淡路大震災から、ちょうど三年を迎えます。高齢社会とボランティア活動について、考えてみたいのですが。
 佐々木 日本でボランティアが、前向きに幅広く語られるようになったのは、大震災がきっかけでした。
 創価学会の災害救援活動が大きな力を発揮しました。真っ先に立ち上がったのは、被災地・兵庫の青年部でした。学会の会館は、緊急の避難所として、被災者の方々に使っていただきました。全国にも、支援の輪が広がりました。
 池田 その迅速かつ不眠不休の献身の行動は、永遠に語り継がれていくであろうと思っています。また、震災で亡くなられた犠牲者の方々には、いつもいつも追善の題目を送っております。
 佐々木 ボランティアに関して、京都の赤松玲子さん(区副婦人部長)に取材しました。
 赤松さんは、「心の花束」というボランティア・グループを結成されて、十五年目を迎えます。回収した牛乳パックを使ったハガキづくりやリサイクル運動などを通して、環境保護の活動を展開してこられました。
 松岡 ボランティア活動の基本は、「みずから進んで」「無報酬で」の二点です。赤松さんが環境保護をめざされたように、「社会をよりよくしていこう」という心が大事です。
3  ″助けあい″失った社会は衰退
 池田 みずから″誓い″″願って″人々のために尽くすのですから、「菩薩」の行動に通じます。
 今では、企業のなかにも、ボランティア活動をする会社が増えてきています。教育の現場でも、ボランティア活動に単位を与えるようにもなってきた。
 「物の豊かさ」より「心の豊かさ」が求められる時代が、確実にやってきている。
 その点、私は、創価学会が長年にわたり、営々と続けてきた無償の地域貢献の活動こそ、「ボランティア時代の先駆」であると確信しています。
 佐々木 赤松さんも、おっしゃっていました。「十数年前は、ボランティアというと、バカにされたものです。しかし、それでも続けられたのは、学会活動のなかで、人に尽くす喜びと使命を教えていただいたからです」と。
 還暦を超えられましたが、ボランティアと学会活動を両立させて、豊かな人間関係を広げていらっしゃいます。
 池田 立派です。人間関係には、その人の境涯が表れる。人間関係を広げることは、境涯を広げることに通じます。
 松岡 社会の高齢化に伴って、赤松さんたちの活動は、民間の老人ホームや独り暮らしのお宅を訪問することが多くなっているそうです。そこで、ボランティアに求められることは、「対話」です。
 福祉の現場に行くと、お年寄りが、温かなふれあいや話し相手を渇望していることを痛感するそうです。
 池田 人間は一人では生きられない。そこが見落とされ、寂しい老後を送っている方が少なくない。
 佐々木 赤松さんは、福祉が進むデンマークに研修に行き、老人施設で百三歳の女性とお話しされたことがあるそうです。
 通訳をはさんで、しばらく話していると、その方が赤松さんの手を握って、放さないのです。その老人施設は、個室でリハビリ設備も整っている立派な所ですが、いくら環境が良くても、いや、良くなればなるほど、人の温かみを欲するようになることを実感されたそうです。
 池田 スウェーデンやデンマークなど、福祉行政の先進国でも、心の交流の部分は、主にボランティアが担っているという。
 ボランティアの世界には、命令も、強制もない。利害も、地位も、関係ない。一切平等な人間と人間の関係です。みずから進んで行う行為です。
 だからこそ、本当の意味の心のふれあいができるともいえるでしょうね。
 松岡 ボランティアをする側も、他者と痛みを分かちあい、同苦するなかで、大きな充実感を感じておられるようです
 池田 震災によって、形あるものは、ことごとく破壊されました。しかし、そのなかで被災者の方やボランティアの若者たちが、「お金や物ではない、目に見えない大切なことがあると知った」と口々に語っていた。私は感動しました。
 こうした「無償の行動」を軽んじて、ばっさりと切り捨ててきたのが、戦後の日本社会だったのではないでしょうか。
 佐々木 まさに野獣のごとく金儲けに走ってきました。必然的に、生産力の乏しくなった高齢者は、「役立たず」のレッテルをはられ、社会の隅においやられてきました。
 そのなかにあって、学会は一貫して「心こそ大切なれ」と警鐘を鳴らしてきたのですね。
 池田 ボランティア活動の広がりは、真に人間らしい「無償の行為」を見つめ直す契機となるはずです。と同時に、私たちは、高齢者の魅力にあらためて気づかされることでしょう。
 なにより、その揺るぎない信念の固さ。たゆみない慈愛の行動。なにものをも恐れぬ勇気。絶妙な対話の力。気品と威厳、そして忍耐の心。なにが起こっても微動だにせず解決していく大海のごとき知恵――。
 どれもこれも、お金に換算はできません。しかし、すべてが、今の混迷する日本にもっとも必要な「人間としての資質」ではないでしょうか。

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