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日蓮大聖人・池田大作

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スウェーデンの微笑み  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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1  スウェーデンの″平和の母″
 松岡 欧米の先進諸国は、日本よりも一足早く高齢社会を迎えました。池田先生は、一九八九年六月、北欧のスウェーデンを訪問されました。
 池田 首都ストックホルムは、初夏の緑と美しい湖につつまれていました。この国の優れた点を挙げるとすれば、第一に「平和の伝統」ではないかと思います。
 なんといっても、ナポレオン戦争以来、百八十年間、一度も戦争をしていないのです。その間に、多くの社会資本を蓄えることができました。それが先進的な福祉社会を支える礎石となっています。
 佐々木 平和のリーダーを、数多く輩出している国でもありますね。
 池田 ″平和の母″と称されるミュルダールさんも、その一人です。国連の軍縮会議の議長や、スウェーデンの軍縮大臣を務めた方です。八十歳の時にノーベル平和賞を受賞しています。
 スウェーデン訪問の折、ご存命であればお会いしたかったのですが。
 松岡 ミュルダールさんのご家族は、池田先生の平和行動をよく知っておられ、娘さんのボクさんが、先生に著作を贈ってくださったこともありました。
 池田 娘さんも、有名な平和学者です。私の二度目のハーバード大学の講演にも出席してくださいました(一九九三年九月)。良き母であり、優れた外交官であり、偉大な平和運動家であったお母さまの姿を、彼女は、こう語っていました。
 「母は、さまざまなことを一度にやりとげるという、スーパーウーマンのタイプではありませんでした」
 「人生は長い。子どもを育て、仕事をし、そして他の課題に、一つ一つ着実に、挑戦していけばよい。一つの体験をしたら、その体験の上に、また新しい体験を積み上げ、人生をより豊かなものにしていきたい――母は、そういう生き方に徹していました」と。
 ミュルダールさんが、本格的に平和運動を始めたのは五十九歳の時でした。
 この年齢から出発して、八十四歳で亡くなられるまで、杖を使いながら人に会い、人と話し、徴笑みをたやすことなく、一歩また一歩と、歩み続けたのでした。
 信心の世界にあっても、誠実こそ宝です。
 でした。
 松岡 スウェーデンのSGIメンバーであり、長年、ホームヘルパーとして活躍するお二人に話を聞きました。
 ヒサコ・グスタフソンさん(支部総合婦人部長)と、岡野優さん(副支部長)です。グスタフソンさんは、港町イエーテボリで、十七年間、ヘルパーをしてきました。
 スウェーデン人のご主人と結婚して、日本から、移住されたのでしたね。
 佐々木 はい。グスタフソンさんは、近所の二地域をへルパーとして担当しています。港町らしく、その地域名を日本語に訳すと、「魚の住む湾」「海辺に面した長い道」というそうです。童話に出てきそうな名前です。(笑い)
 松岡 早朝、彼女を含めて地域の十一人のへルパーが事務所に集まり、その日のスケジュールを確認して一日をスタートします。ふだんは自転車で回りますが、道が凍ってしまうと車を使います。
 佐々木 「スウェーデンと日本は、どこが違いますか」と尋ねてみました。
 彼女は、「スウェーデンでは、身障者も、一人の人間として見ます。その人の意思を尊重して、希望と自信をもった人生を過ごせるように、あらゆる方面から努力しています」と。
2  高齢者、身障者が街の中へ
 福祉の最前線で働く人だから、鋭い人権感覚をお持ちですね。
 カール十六世グスタフ国王ご夫妻との会見を思い出します。
 シルビア王妃は、「人間は、だれでもなんらかの問題をもっています。身障は、決してハンディキャップ(負い目)ではなく、だれもがもっている問題の一つにすぎない。そう考えるべきです」と発言されました。
 生命を見つめる眼差しが温かいのだなと感じました。
 佐々木 シルビア王妃は、ドイツとブラジルで育ち、ミュンヘン・オリンピックの時、西独を代表してコンパニオンをされました。その時、皇太子だった国王に見初められて、「オリンピックが結ぶ恋」として世界に知られました。
 池田 結婚されて、スウェーデンでの生活が始まり、王妃は、ちょっとした変化に気がつきます。スウェーデンの街の中に、たくさんの身障者の姿を見かけたのです。
 松岡 初めは、たんにそうした方々が多いからだろうと思われたようですね。
 ところが、調べてみたところ、映画館やトイレなどに身障者用の施設が整えられ、車イスでも、また一人であっても、安心して外出できる街だった、というわけです。
 池田 この点もまた、スウェーデン社会の優れたところです。
 松岡 日本では、障害を持つ人は、自分とは違う世界に住む人だと、考えがちですね。
 池田 スウェーデンでは、たとえば、近視であっても眼鏡をかければ大丈夫なように、身障者や高齢者であっても、車イスで動けるよう道路の段差をなくし、環境を整備すれば、街の中で一緒に暮らせるではないかと考えるのです。
 決して、障害を無視するということではなく、人間として、ふつうに生きる権利を守っていくということです。
 駅や学校など公共の施設は、車イスが使えるよう配慮することなどを、法律で義務づけています。
 「社会の中でともに暮らせる」環境をつくることが、国の共通目標になっているのです。
 佐々木 「ノーマライゼーション(正常化)」の考え方ですね。日本でも、高齢者福祉の場で使われるようになりました。
 松岡 身障者の方に優しい社会は、即、高齢者の方に優しい社会といえますね。
 池田 この「ノlマライゼlシヨン」の思想の生みの親といわれるのが、デンマークのバンク=ミッケルセン氏です。
 彼は、この思想を実現していくうえで大切な点を、こう語っています。
 「いちばん大切なのは、『自分自身がそのような状態に置かれたとき、どう感じ、何をしたいか?』。それを真剣に考えることでしょう」(大熊由紀子『「寝たきり老人」のいる国いない国』ぶどう社)
 相手の身になって考えなさいということです。なにも特別な力や才能が必要なわけではないのです。
 佐々木 今すぐにでも実行できることですね。
3  「一人を手本として一切衆生が平等」
 池田 仏法では、「一人を手本として一切衆生平等」と説きます。一人――つまり私自身に尊貴なる生命があり、仏界があるのと同じように、世界中の人々に平等に仏界の生命があるのです。
 ゆえに、「同じ人間として」発想していくことです。スウェーデンでは、福祉だけでなく、平和運動や環境保護運動も活発です。女性や子ども、在住外国人の方も大切にされています。そこには、国籍や人種が違っても、第一に「同じ人間である」という考え方があるからではないでしょうか。
 佐々木 そうですね。
 ホームヘルパーの一人当たりの人数にしても、スウェーデンは、日本の数十倍の割合といわれるほど充実しています。
 池田 こうした厚みのある在宅介護体制と、ヘルパーさんたち一人一人の献身によって、高齢者の「ふつうの生活」が維持されているのですね。
 松岡 グスタフソンさんは、現在、四人の方のお世話をしていますが、そのうち二人は中枢神経を傷め、全身の筋肉が動かない病を患っています。グスタフソンさんは、朝も昼も行って介護します。
 佐々木 あるとき、リウマチの方のお宅を訪ねると、痛みに悶え苦しむ患者さんが「足を切り落としてくれ!」と泣いていました。その叫びを、じっと聞き、励ましながら、「顔を洗いましょう」「少しでも食べましょう」と挑戦してもらうのです。動かないで、一日中寝ていると、寝たきりになってしまいますから。
 池田 「一人を大切に」の実践ですね。
 日本の場合、介護する人の手が足りなくて、「寝たきり」というより、「寝かせきり」になっている実態があると言われています。
 佐々木 寝たきりにさせない責任を、社会全体で、分担して支えていくのがスウェーデンです。日本の場合、家族が、全負担を背負っているケースが少なくないのです。
 日本に話は戻りますが、福岡・北九州の荒巻好美さん(支部副婦人部長)は、嫁姑の確執を超えて、お義母さんを十三年間にわたって介護しました。
 お義母さんのお嫁さんへの態度は、痴呆を患ってから、露になってきました。たとえば、好美さんのへアピンが座布団の上に落ちていると、「お前は私を殺そうとしている!」と。
 松岡 好美さんは、葛藤を繰り返しながら、周囲やご主人にも励まされ、「お義母さんの姿こそ、自分の心を映す鏡なんだ」と信心でとらえて、真心の介護を続けたのです。
 そして、心から、そう思えたとき、「お義母さんを心底、愛しいと感じ、宿命の鉄鎖から解き放たれたのです」と言われていました。すでに要介護となって十数年、お義母さんは、齢九十を超えていました。
 そして、「姑は、冬枯れの木が折れるように、私の腕の中で力尽きて逝きました」と――。
 池田 介護を通して、じつの母娘以上の愛情で結ばれたのですね。
 現実は、矛盾だらけの世界です。しかし、いちばん苦労した人がいちばん成長するし、境涯を大きく開くことができる。それが信心であり、人生です。絶対にムダはないのです。
 松岡 一方、スウェーデンの岡野さんは、ストックホルムで二十一年間、ヘルパーを続けてきました。異国の地で、神経も体力もすり減らす毎日です。「生命力なくしては不可能な仕事です。この仏法なくしては、私は二十年以上の勤務はできなかったでしよう」と話していました。
 佐々木 岡野さんもグスタフソンさんも、長年たずさわってきて、理想的な国である反面、手放しで喜べない現実があることも指摘していました。たとえば、さまざまなサービスを当たり前と思ってしまい、向上しようという意欲が薄れてしまっている姿が、とくに若い人々のなかで見られるそうです。「人間が弱くなっていないか」ということです。

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