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生きたようにしか死ねない  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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1  挑戦の心が健康長寿のエネルギー
 池田 先日、著名なユゴー研究家・辻とおる先生のお父さまであられる、洋画家・辻永画伯の「挑戦の人生」の一端をど紹介しました。(一九九七年十二月、第十七回本部幹部会にて)
 辻画伯は、八十歳で脳血栓で倒れられた後も、記憶力がすばらしかったようです。その理由を尋ねられて、画伯はこう言われています。
 「私の記憶力が、もし優れているとすれば、それは頭がよいからでなく、私は日本人の誰よりも努力して覚えようとしたからだ」(日野原重明『死をどう生きたか』中央公論社)と。
 人の名前を思い出せないときは、ア行のアから、ワ行の最後まで、順ぐりに「言葉さがし」をされました。
 松岡 隠れた努力があったのですね。
 池田 「頭がぼけてしまわないように、毎朝目がさめたら、庭にある百種以上の草花を思い出し、それを漢字で書いて、花の名と漢字を忘れないように努力した」(同前)ともおっしゃっています。いくつになっても、伸びよう、前進しようとしている人は美しい。
 なんでもいい、挑戦していこうという心が、尊いのです。それが、健康長寿のエネルギーになるのです。
 松岡 池田先生と同じ昭和三年生まれの方々からなる「昭和三年会」の集いが、盛大に開かれました(一九九八年一月)。結成二十五周年と、七十歳という古希のお祝いの意義をこめたものでした。
 池田 「昭和三年会」も、もう七十歳ですか(笑い)。光陰矢の如しだね。
 佐々木 ちょうど大雪の翌日の会合でしたが、会場は「いよいよこれから!」という熱気で雪も溶かさんばかりだったといいます。
 メンバーの一人、神奈川・相模原圏の植木昭次郎さん(副圏長)は、学習教材を販売する会社の現役社長さんです。
 昭和三十五年に入会した後、岡山から風呂敷包み一つで上京、草創期は、一家七人が六畳一間に暮らしながら生活をつないだそうです。
 植木さんは、「信心根本で、学会とともに歩んできて、今、夢のような境涯にしていただきました」と感謝しておられました。
 「学会とともに」のなかにこそ、真実の健康人生があるのですね。
 松岡 一方で、命長き時代は、だれもが「介護する人」にもなれば、「介護される人」にもなる時代ともいえます。
 ご夫妻とも六十八歳という大阪・羽曳野市の石崎友一さんにお話を聞きました。石崎さんは、重度アルツハイマーの奥さんを介護して七年目になります。
 佐々木 石崎さん宅の在宅介護は、一カ月に「延べ五十人」の力をお借りして、成り立っています。医師が週一回、看護師が週三回、ホームヘルパー週三回、マッサージが週三回、リハビリが週一回、以上で週に延べ十一人。一カ月では四十四人。これに月二回の入浴サービス(一回につき三人)を合わせて、五十人の援助態勢となります。
 池田 支えあう人の輪が、できましたね。
 松岡 はい。支えてくださる方々が皆、いい人で、チームワークも抜群です。
 石崎さん夫妻が同心円の中心にいて、「お元気ですか」「きょうは顔色がいいですね」といった励ましの言葉が部屋中を飛び交っていました。
 佐々木 今でこそ模範的な在宅介護ですが、最初は絶望からの出発でした。痴呆の奥さんは、当初、病院をたらい回しにされ、行き着いた先が精神病院。そこで手足を抑制されて、粗末な部屋に放置されていたのです。
 ご主人の石崎さんは、病院と大げんかをして、奪うように奥さんを家に連れて帰りました。「俺がみる」と言ったものの、部屋には″話すことも食べることも拒絶する″痴呆の奥さんと自分の二人きり。
 三人の子どもたちの応援が頼りでしたが、現在は皆さん他県にいて、大阪にいるお孫さんの洋太郎さんの存在が支えになっています。
 石崎さんの在宅介護は、奥さんの乾いた口を、ぬらしたガーゼで潤してあげることから始まりました。食事・排泄の世話、床ずれの治療など、ご主人の献身で、奥さんは、薄紙をはぐように良くなっていかれたのです。
2  「地域友好型」「他者貢献型」
 松岡 老いが老いを看る「老老介護」の時代となって、とくに男性は今までとは違った生き方が必要になってきています。
 石崎さんの介護体験を通して、次のような点が浮かび上がってきます。
 一つは「会社型」から「地域友好型」になることです。石崎さんは、最初の二年間、一人で介護をしていました。近所の民生委員さんや同志の方々が奔走してくださり、現在の五十人の支えができたのです。
 地域とのつながりがなければ、行政サービスの情報も之しく、孤立し、夫婦共倒れになりかねません。
 池田 「いざ」というとき、近所に助けてくれる人がいれば、安心です。しかし、中高年の男性は、ほとんど会社の人間関係しかもっていない。
 松岡 阪神・淡路大震災後の仮設住宅で、働き盛りのはずの五十代の男性が比較的多く「孤独死」されているというのも、このへんに原因があるといわれます。専門家の話では、こうした年代の男性は「私は苦しい、だれか助けて!」と自分からは言い出せないのだそうです。
 佐々木 もう一つは、「自己実現型」から「他者貢献型」への転換です。
 石崎さんのように、介護につきっきりになると、自分が描いていた老後の人生計画は、まったく崩壊してしまいます。それは生きるうえで、本当に辛いことです。
 しかし、石崎さんは、必死に題目を唱えるなかで、「私の体験をなにかで役立たせたい」と思い立ち、さまざまに手を打った結果、介護者の集いで講演したり、執筆活動もできるようになりました。
 それが今、生きがいになっています。
 池田 すばらしいですね。どんな環境に置かれても、他者の喜びをわが喜びとするかぎり、無限に「生きる力」はわき上がってきます。
 佐々木 さらにいえることは、男性が「家事も育児もできる自立型」に成長することです。
 妻が病に倒れたり、先立たれた場合、残された男性は、炊事も洗濯もまったく自分だけでやらねばなりません。
 池田 男女がそれぞれの役目を果たしながら、平等に家のこともやっていくことが、おたがいの老後を助けるわけですね。
 地域友好も、他者への貢献も、すべて学会活動に含まれています。炊事や洗濯も、自立という意味では、男性も積極的に分担していくことが大切ですね。
 仕事もたいへんで気苦労も多いなかで、壮年部の皆さんは、日々、広宣流布のため、祈り、行動しておられる。婦人部を、青年部を、そして学会を守ってくださっている。
 そのときは、たいへんかもしれませんが、学会活動を通して築いた信頼の絆は、かけがえなき人生の宝です。
 座談会も、折伏も、新聞啓蒙も、家庭指導も、友人づくりも、あらゆる行動が、すべて総仕上げの糧になっていく。「第三の人生」を豊かに輝かせていくのです。
 佐々木 石崎さんのお宅に来られていた看護師さんは、白樺会の富盛万記子さんです。訪問看護では、患者さんの病状と同時に、介護者が元気かどうかを、注意して見ているそうです。
 介護疲れが出ているようなときは、ご主人と対話をして、愚痴を聞いたりしながら、家庭全体を″介護″していくのです。
 まるで家庭指導ですね。人間を見る眼を要求されます。
 医師も看護師さんも、家の中に入って、その暮らしにふれてこそ、患者さんの本当の苦しみがわかるともいえるのではないでしょうか。
 牧口先生は、「教育者は、みずからは尊敬の的となる王座から降りて、王座に向かう後輩を指導する公僕たれ」と、おっしゃっていました。医療にたずさわる人々も、患者さんと同じ目線に立つことが大切だと思います。
3  福祉の現場で人間学を学ぶ
 松岡 青年部にも、高齢者福祉の現場で活躍するメンバーが数多くいます。福岡・大牟田市で副本部長の大野哲也さん(三十五歳)も、そんな一人です。
 大野さんは、十四年間、市内の特別養護老人ホームで生活指導員をされています。
 佐々木 それが絵に描いたような好青年で、「なぜ、高齢者福祉の仕事を始めたのですか」と尋ねますと、「人間を知りたかったからです」と。
 池田 偉いね。人生経験の豊富なお年寄りから学ぼうということですね。
 佐々木 はい。学生時代から肚が決まっていて、福岡にいたのに、わざわざ佐賀の西九州大学を選びました。
 九州にある四年制大学のうち、社会福祉学科があるのは、当時、そこだけだったからです。
 松岡 創価学会への入会は、老人ホームで働き始めて三年目のことです。友人が隣のおじさんに折伏され、迷っているというので、心配して一緒に行ってあげた。横で話を聞いているうちに、「そんなに良いものなら僕もやります」と、友人と一緒に入会したのです。その友人も、男子部で頑張っています。
 池田 求道心があるんだね、何事にも。
 佐々木 お年寄りに喜んでいただくため、日本舞踊を習い、名取になったほどです。また福岡ドームでのアジア青年平和音楽祭には、人文字で参加し、「初めて先生にお会いできました」と目を輝かせていました。
 松岡 特別養護老人ホームは、お年寄りの「終のすみか(最終の住まい)」です。大野さんも数多くの臨終を見て、つくづく「人生の総決算は『死』に表れる」という池田先生のど指導を痛感するそうです。
 わがままで、人に迷惑ばかりかけて、友だちもいない人が、死に臨んで、気管と胃にチューブを通され十日ぐらい苦しんで亡くなられたりするのは、とても悲しい、と言っていました。
 佐々木 一方、寮母さんからたいへんに好かれていたご婦人で、周囲にもよく気を使う方が、食事をすませ、お風呂にも入って、横になられていると、申しあわせたように、娘さんたちが相次ぎ面会にきて、そのまま子どもたちの手をにぎって、すっと亡くなられたのも、見ています。
 池田 ″人間は生きてきたようにしか死ねない″とを実感しますね。
 佐々木 まだあります。腹巻きにお金を隠していると公言していた方が亡くなられ、いざ、腹巻きを見てみると、お札ではなく新聞紙だった。それを見て、集まっていた親戚などが蜘妹の子を散らすように帰っていったとか。

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