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日蓮大聖人・池田大作

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介護は皆で  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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1  介護保険の課題
 松岡 「介護保険法」が成立しました(一九九七年十二月)。介護保険とは、これまで主として家庭内の問題とされてきた高齢者の介護を、皆で保険料を支払って、社会全体で支えていこうという試みですね。
 佐々木 実際は、介護基盤の整備の遅れで、保険料は徴収されても、いざ介護が必要となった場合、欲しいサービスが受けられないのではないか、といった心配の声を多く聞きます。
 「保険あって介護なし」では困ります。介護保険がスタートする二〇〇〇年四月までに、施設の面も人材の面も、急ピッチの準備が必要です。
 池田 いろいろ論議があるでしょうが、時代の少子・高齢化にともなって、介護を家族だけで支えるのは不可能になっているという背景があります。
 しかし、保険料が重すぎる負担にならないか心配ですし、施設にしても高齢者の要望を最大に尊重して、気軽に苦情や相談をもち込めるものでなければならないでしょう。「自分たちの地域は自分たちで」という時代です。運営主体である市区町村への地方分権や、住民参加の視点も大事であり、行政は、十分に情報提供していくことが求められます。
 松岡 介護を家庭のなかに閉じこめてきたことが、女性に、「介護地獄」といわれるほどの過大な負担を強いてきたといわれます。介護を必要とする高齢者は二百万人にのぼり、その人たちを介護する七五パーセントが女性です。その点で介護の社会化は、避けて通れません。
 池田 「介護の社会システム」を整えることは、女性の人権を守り、社会進出をうながすことにもなります。考えてみれば、日本の男女の平均寿命は、女性のほうが六歳も長い(女性八十二歳、男性七十六歳。一九九七年)。
 つまり、高齢社会とは女性が半数以上を占めている社会です。ということは、女性の能力が健全に発揮されれば、当然、社会は繁栄するし伸びていくでしょう。
 佐々木 高齢社会は「女性の時代」でもあるわけですね。
 池田 女性が、自由闊達に意見を交わし、伸び伸びと行動している組織には、勢いがあります。
 台湾の中国文化大学の一行とお会いしましたが(一九九七年八月)、そのうち林彩海りんさいかい学長と付属博物館の陳国寧ちんこくねい館長のお二人は、女性でした。ほかにも、図書館長や学部主任など、学内の要所で女性が活躍されている。それが、台湾有数の総合大学に発展した要因の一つになっている、とのことです。
 先日は、ガーナ共和国のローリングス大統領ご夫妻が来日されました(一九九七年十二月)。同大統領のご夫人は、女性の地位向上のために戦われている方で、山地や農村にみずから分け入って、女性の悩みを聞き、病気や貧困で苦しむ人々に、手を差し伸べてこられました。
 女性が変われば、家庭も、社会も、男性も、子どもも、すべてが変わる。世界が変わる。女性は、絶対に遠慮してはいけない――それが同大統領夫人の結論でした。私も同感です。
 ガーナでは、子育て中の女性が、仕事に出たり、教育を受けられるよう、昼間、子どもを預かる「デイケア・センター」をつくられているそうです。
2  男性は「介護の体験」を
 佐々木 現時点では、介護を社会に開いていくと同時に、家庭のなかで男性がもっと積極的に介護の役割を果たしていかなくてはいけないと思います。
 千葉の井上美佐子さん(副本部長)は、ほぼ八年、脳血管性の痴呆のお義母さん(八十四最)を自宅で介護しています。重度痴呆にもかかわらず、表情豊かで、血色も良く、食欲旺盛。訪問看護師も驚くほどです。寝たきりにしないよう車イスを常用し、タ食も家族と同じテーブルで一緒にとります。ご主人の奉国さん(副支部長)の協力があるからできるのです。
 池田 さまざまなご苦労があったのでしょうね。
 佐々木 最初は、痴呆に関する情報や知識がなかったために、家族の意識が追いつかなかったようです。
 溶接工の奉国さんは、現場に出ていることが多く、痴呆の母親が「ご飯を食べさせてもらってない」と不満を言うのを信じていたというのですから。
 池田 男性はわかっているようで、わかっていないことが多いものです。
 佐々木 痴呆が出て五年たったころでした。美佐子さんの外出中に、母親が下の粗相をしました。奉国さんは、母親の体をふきながら、強烈な臭いで幅吐しました。「手におえないな」と途方に暮れつつ、ふと、「妻は、いつもこれをやってるのか。たいへんなことだ」と、あらためて感謝の思いがわいてきたといいます。
 何事も体験してみることです。また介護者の話をよく聞いて、まかせきりにするのではなく、夫婦双方の責住で取り組んでいくことが不可欠でしょう。
 佐々木 以来、奉国さんは、「いつも、よくやってくれるな」と、感謝とねぎらいの言葉を忘れないようになり、おむつの交換、手足の運動のほか、ベッドと車イスの移動や入浴など、力仕事を中心に協力しています。
 池田 親を介護したり、感謝を言葉で伝えることは、もっとも人間らしい行為であり、自分自身の心を豊かにすることにもなるでしょう。
 日蓮大聖人の有力な門下であった富木常忍の家には、九十代の高齢の母がいました。看病していたのは、夫人の尼御前でした。
 その母が亡くなった時、富木常忍は、大聖人のもとにご報告に訪れており、一部始終を聞かれた大聖人は、すぐさま、夫人の尼御前に、お手紙をしたためられました。
 そのなかで大聖人は、「あなた(尼御前)の夫である富木殿が、『このたび、母が亡くなった嘆きのなかにも、その臨終の姿がよかったことと、あなたが母を手厚く看病してくれたことの嬉しさは、いつの世も忘れないであろう』と喜んでおられましたよ」(御書九七五ページ、趣意)と、尼御前に対する富木常忍の思いを代弁され、感謝の心を伝えておられるのです。
 富木常忍は、鎌倉幕府の役人ですし、時代が時代です。大聖人には報告しても、夫人の尼御前を前にしては、ありのままに感謝の気持ちを示していないだろうと、大聖人は察せられていたのでしょう。大聖人のお手紙を拝し、尼御前は、夫の感謝の心を知り、どんなにか喜ばれたことでしょう。
 大聖人のお手紙は、高齢の姑の看病をやりきった尼御前への最高のねぎらいであり、励ましであったと思います。
 仏法は、最高の″人間学″に通じるのです。
 松岡 夫人の美佐子さんは、八年の介護体験を通して、「信仰という、自分の心と命を映す『鏡』があったから、自分に負けないでできました」とも言われていました。
 池田 心は風のように、水のように、瞬間瞬間に変化する。美しくも、醜くもなる。夫婦の心の絆も一定ではありません。だからこそ、感謝と尊敬で接し、いつも心の絆を新鮮に保っていきたいものです。
3  福祉は人の振る舞いで決まる
 佐々木 福岡の有吉久美さん(ブロック担当員)は、脳内出血で、半身マヒになった母親を八年間、介護されています。
 その母親の入院と同じころでした。今度は、父親が肺結核で入院を余儀なくされました。しかも、追い打ちをかけるように、母親に痴呆に似た症状が表れ、病院からは家で引き取るか、精神病院に移るかを迫られていました。幼子を抱えた有吉さんは、「もう、どうにでもなれ」というのが正直な気持ちでした。
 松岡 そんな時、トラックの運転手をされている夫の憲治さんが、「家を増築して、車イスで動ける部屋をつくり、お義父さん、お義母さんに来てもらおう。年老いて帰る家がないことは辛いことだから」と、うなだれる久美さんの肩をたたきました。
 久美さんは、当時を振り返って、「夫の勇気ある決断にハッとさせられました。夫の一言があったから、心が決まり、介護を続けられたのです」と感謝されていました。
 池田 介護を通して、夫婦の鮮が強くなっていったのですね。
 高齢者の住まいのことは、住宅事情の悪化や核家族化を背景に、大きな社会問題にもなっています。高齢化に備えて、バリアフリー(障害物のない)の家づくり、町守つくりも必要でしょう。
 佐々木 そうですね。
 三ヶ月して、有吉さんのお宅の増築も終わり、両親との同居生活が始まりました。不思議にも、母親が大声で何事かを叫ぶ声がピタリと止まりました。
 父親は、後に肺ガンを患い亡くなられましたが、母親はリハビリを重ね、おむつがとれ、車イスを自分で動かせるまでに回復しました。
 松岡 「諦めなかったからです」と言うその母親は、御書を生命に刻んできた方でした。脳内出血で倒れた時も、意識不明のまま二十分間、「佐渡御書」や「開目抄」などをそらんじ続けて、医師や看護師を驚かせたそうです。
 現在、六十八歳です。部屋の壁には、池田先生からいただいたポストカードが大切に飾られ、調子の良いときには、近所の方々と御書を研鎖されています。
 池田 お母さんも、娘さんも、本当によく頑張られたね。ご主人の協力もなければ、とうてい続かなかったでしょう。
 ところで、皆さんは、行政のサービスを利用されていましたか。
 松岡 千葉の井上さん宅では、訪問看護が週一回、往診が月一回、入浴サービスが月三回、それに尿道につないだ管の交換で月一回、看護師さんが来ます。
 福岡の有吉さん宅では、デイケアが週二回、訪問看護が週一回です。
 池田 援助が足りない点はありませんか。
 佐々木 有吉さんは、玄関から外に出るのに、三メートルほどの階段があり、その間だけ、車イスを運んでくれる援助があれば、もっと気軽に外出できるのですが、と、おっしゃっていました。
 松岡 井上さんは、ショート・ステイなどで病院に数日間預けると、必ず床ずれができているそうです。手が足りない面があるのでしょうが、寝かせきり状態にしているのではないか、と心配していました。「『痴呆でも心は生きている』という、このてい談での池田先生の言葉を、多くの人がもっと知って、人間らしく対応してほしい」と言われていました。
 佐々木 介護の関係者に取材するたびに実感するのは、創価学会が広げてきた「一人を大切に」「他者に尽くす」といった思想が、介護の現場で、切実に求められているということです。
 池田 牧口先生はいち早く、「軍事競争の時代」から「政治競争の時代」「経済競争の時代」となり、必ず「人道競争の時代」がくると予見された。
 戸田先生も、人間主義こそ学会の行き方とされ、「社会政策というものを強調して、貧しく、年老いた者に、いくらかの金を与えたとしても、それだけでは、その人個人の幸福を決定してはいない」と、おっしゃっていた。
 社会制度を整えるだけでなく、そこに血を通わせていかなければいけない。根本は、一人一人の愛情であり、「心」の次元にかかってくるのです。
 福祉の係の人が、親身になって悩みを聞いてくれた。病院でベルを押すと、いやな顔ひとつせず、看護師さんが駆けつけてくれた。病人にとっては、それがなによりの喜びです。
 行政の窓口であれ、病院であれ、ホームであれ、家庭であれ、福祉といっても要するに、全部、「人」なのです。私たち一人一人の「振る舞い」が、社会の在り方を決めていくのです。

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