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日蓮大聖人・池田大作

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「魂の日記帳」につづる  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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1  求められる老いの哲学
 松岡 十月(一九九七年)から始まった、東洋哲学研究所主催の連続講演会「高齢社会を考える」が好評です。毎回、一流の講師を迎え、幅広い年齢層の方が参加しています。
 質疑応答の時、会場で白熱した議論が交わされることもあり、高齢社会への関心の高さをひしひしと感じました。
 佐々木 全五回で、仏教学者の三枝充恵氏をはじめ、創価大学の福島勝彦教授、日本生命倫理学会前会長の星野一正氏、日本健康医学会理事長の野田喜代一氏、東京家政大学の樋口恵子教授と、講師はすばらしい方々ばかりです。
 皆さんに喜んでいただける企画になったと、東洋哲学研究所の関係者も語っていました。
 池田 「生きるということは、老いること」と書いた作家がいましたが、老いと無関係な人はいないですからね。東洋哲学研究所の着眼点がとても良かったわけですね。
 松岡 私も毎回、参加していますが、第三回の星野先生の講演会では、「生活の質・生命の質」を高めるという点から、終末期の医療と生命倫理の問題が語られました。
 池田 むずかしい問題です。医療技術が進歩し、これまでなら寿命が尽きて亡くなっていた人が、生命維持装置などによって長く生きられるようになった。これも「命長き社会」の一断面です。
 愛する人の死に、そして自分自身の死に、どう向きあって生きていくか。元気なときから「死」を見つめることは、「生」を真剣に考えることになる。それ自体が「生命の質」を高めることにも通じます。
 ともあれ、高齢者がはつらつと生きられる「長寿社会」の真髄が求められている時代なのでしょう。
2  題目も学会歌も忘れない!
 佐々木 ここでも、介護をテーマにしていきたいと思います。
 京都に住む看護師の藤田勝美さんから、お話をうかがいました。副ブロック担当員さんで、創価大学の通信教育部でも学ばれている、向上心の強い方です。感受性豊かにお年寄りの方々に接しておられます。
 藤田さんの務める病棟は、痴呆でも、とくに徘徊のある人の生活を支えるのが目的です。
 その病棟へ、一九九七年七月に、七十八歳のMさんという女性が入院してきました。二年前にアルツハイマー型痴呆と診断された方でした。
 松岡 入院の日、藤田さんは、病院の玄関まで迎えにいきました。「おだやかで、おとなしい方」というのが第一印象でした。
 環境が変わると最初は、緊張して話もできないのですが、Mさんは、午後からのレクリエーションの輪にすっと溶け込んで、他の患者さんと風船バレーを楽しんでいました。「ずっと前からいるような顔をされてるね」と、その適応力に担当医も感心していたようです。
 佐々木 じつは、Mさんは、昭和三十三年(一九五八年)の三月十六日に入会され、草創期から学会活動に頑張ってこられた方でした。結核のご主人を支え、三人のお子さんを立派に育てながら。
 池田 そうでしたか。痴呆になると、その人の生きてきた姿勢や本来の情感が、そのまま表れるといいます。短気な人は、より短気に、涙もろい人はより涙もろく。
 Mさんが、すぐに溶け込めたのは、いつも学会活動に走り、人々の輪の中に入っていった体験が生きているのかもしれないですね。
 佐々木 看護師の藤田さんも、同じことを言われていました。
 Mさんが学会員と知ってから、藤田さんは、始業時間の三十分前に出動。ベランダに出て、耳元で題目を聞かせることにしました。すると、ちゃんと題目三唱され、「ありがとう、うれしいわ」と感謝される。その時だけは、ボケてない普通の会話です。
 また、学会歌「常勝の空」を一節、歌うと、
  ♪君と我とは久遠より
 と一緒に口ずさまれる。
 三番まで歌い終えると、また「うれしいわ」と。
 池田 お題目も、学会歌も、生命に刻まれているんですね。
 松岡 病院のホールを徘徊するMさんは、いつも軽快で、会合に向かっているようだといいます。他の患者さんの手を引っ張って歩いていることも……友人を誘って、ということでしょうか。(笑い)
 またMさんは、病院でも″聞き役″だそうです。他の患者さんがプツプツ言うのを、いつもうなずきながら聞いてあげていて、個人指導の姿のようです、と。
 池田 自行化他の修行に励み、南無妙法蓮華経と唱えぬいた思い出は、三世に永遠です。たとえ認知症になっても消えることはない。厳然と「魂の日記帳」に綴られているのです。
 人生の最高の誉れは、学会活動です。人のために祈り、動くことで、自分も幸福になる。これほどの価値ある人生はないのです。
 御書にも、「どこまでも一心に、南無妙法蓮華経と自分も唱え、人にも勧めていくのです。まさに、それだけが、人間界に生まれてきた今世の思い出となるのです」(御書四六七ページ、趣意)と仰せです。
 だから、なんの心配もいらない。信仰で積んだ福徳は、老いることはないのです。認知症になっても、生命に冥伏されているのです。
3  「心のつながり」が大切
 佐々木 かつてのMさんは徘徊が激しく、ご家族は、振り回されっぱなしでした。それが病院のゆったりした共同生活のなかで、落ち着いたのですね。
 息子さんが支部長、その奥さんが地区婦人部長です。京都で、ご活躍です。
 松岡 徘徊は入院までの一年間がとくにひどく、警察に保護されたのが十数回……。一晩中、行方がわからない日もありました。朝になって、通報を受けて息子さんが駆けつけるとMさんは、溝に落ちたらしく、顔中が青く腫れ、足も打って、もう一歩も歩けない状態で、道路の脇にたたずんでいました。
 Mさんの変わり果てた姿に、息子さんは、「母さん、何をしたいんや。何が不満なんや」と声をあらげざるをえなかった。
 池田 介護の現実です。ご家族のご苦労には頭が下がります。
 しかし、まったく目的がなく徘徊しているのでもないようです。昔の記憶が残り、「実家に帰りたい」と、だれもいなくなった故郷の家に帰ろうとしたり、退職した職場に出動しようとしたり……。
 佐々木 Mさんの場合、ご主人の七回忌も終わって、独り暮らしもなにかと心配だからということで、息子さん夫妻に呼び寄せられ同居することになりました。その結果、長年、住み慣れ、深い人間関係をつくってきた土地を離れたことが、認知症のきっかけになったようです。
 池田 「人間は、何によって生きるか」を鋭く問いかけていますね。
 高齢社会は、人と人の″心のつながり″が、あらためて見直される時代です。
 佐々木 藤田さんの話で、ハッとさせられることがありました。
 それは、人間関係が豊かな人、協調性のある人は、認知症になりにくい、と。たとえなっても、ひどくならず、周囲とうまくやっていけるというのです。
 Mさんの場合は、引っ越すことで、それまでの強い人間関係が断ち切られた形になったのです。
 松岡 住み慣れない環境もそうですが、ご家族はお母さんを大切に思うあまり、炊事や洗濯の仕事を、結果的には奪ってしまったことも反省しておられました。
 池田 だれが悪いのでもないのです。前向きにいきましょう。現在は、病院に入院されて、安穏な日々を送っておられるのですから。

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