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沖縄の長寿社会(下)  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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1  絶望から希望へ、心の師となれ
 佐々木 沖縄県学術部書記長の尾尻義彦さんに、健康科学の視点からお話を聞きました。
 琉球大学医学部保健学科の助手で、基礎保健学講座を受け持つ博士です。
 琉球大学では一九九六年末から、沖縄の気候・風土と長寿の関係について本格的な研究調査を始めました。尾尻さんは、その研究プロジェクトの一員です。
 松岡 痴呆の多くは、脳血管障害から起こるとされています。寝たきりは骨折がきっかけになることが多いですが、主な原因は骨粗懸症です。では血管障害や骨粗軽症を予防するにはどうしたらいいか。
 尾尻さんは、運動習慣がどれくらいコレステロール値や骨の密度と関係するかを調査して、体を動かすことの大切さを科学的データで示そうとされています。沖縄県と他県との数値を比較するのは、これからということです。
 池田 大切な視点だね。健康は知恵です。知恵で勝ち取るものです。
 病気になる前に、どうすれば予防できるか、また、みずみずしく健康を維持できるか――老いを漫然と受け入れるのではなく、積極的に老いと向きあうことが大切です。それを教えるが知恵の学問が、健康科学でしょう。
 欧米の大学では、医学部とは別に、専門の学部ができるまでに進んでいるが、日本はこれからのようです。
 佐々木 尾尻さんは長寿に欠かせないのは、(1)ストレスを残さない(2)体を動かす、の二点としていました。ストレスがかからない生活は無理ですから、ストレスを残さないように、どう対処するかが大事です、と。
 池田 先日、アメリカ心理学会の次期会長のセリグマン博士と会見しました(一九九七年九月)。博士は「自分中心の人は、悲観主義におちいる」と指摘されました。
 配偶者など家族の死、離婚、会社の倒産など、人は思いがけない大きなストレスに襲われます。高齢になるほど、そのショックは大きい。目の前は真っ暗になり、ただ一人、苦しみに耐え、煩悶する。
 孤独も、悲哀もある……人間だもの、当然です。だからこそ、その心の奥底を深く見つめ、自分自身が画家となり、芸術家となって、わが心を「希望」の色に塗りかえていくのです。
 自分中心――つまり心を師としているかぎり、悩みは尽きない。そうではなく、心の師となって、自分の一念を、明るいほうへ、楽しくなるほうへと向け、周囲もその方向に向けていくことです。
 松岡 ストレスへの対処の根本は、そこにありますね。尾尻さんも「創価学会には、なにかあれば相談できるシステム、いわゆるカウンセリングの体制が、自然のうちに活動の中にできあがっている」と言います。幹部がたくさんいて、この人に聞いて納得できなければ、この人、次は、この人と、納得できるまで話ができます。
 池田 この人、あの人まではいかなくても、「なんでも相談できる先輩を一人つくりなさい」というのが、戸田先生の教えでした。ストレスへの対応も「心こそ大切」なのです。
 佐々木 二番目の「体を動かす」について、長寿村宣言をしている沖縄本島の大宜味おおぎみ村が注目されます。そこの喜如嘉きじょかという集落は芭蕉布の産地で、長寿の里とされています。芭蕉布は国の重要無形文化財です。
 松岡 尾尻さんは、琉球大学の研究チームの一員として、かつてこの地域の長寿の方々の生活調査をしたそうです。
 ここでは九十歳になっても、糸をつむぎ、手先や体を動かします。と同時に喜如嘉の特産物をつむいでいるという立派な社会的責任があります。それが長生きにつながっているようです。
 池田 芭蕉布といえば、二年前、沖縄研修道場で、たしか喜如嘉の長寿の学会員の方々だったと思いますが、布を織る様子を見せていただきました。とても興味深くて、二度、様子を見におうかがいしたんですよ。
 松岡 先生と、お会いした八十六歳の平良和さん、八十二歳の仲田美喜さん、八十歳の前田ヤスさんの三人は、とてもお元気です。
 皆さん、先生と握手した時の感激が鮮やかで、「やわらかい、あの手が忘れられません。奥さまが『どうぞ、お元気で』と優しく微笑まれていたことが忘れられません」と目頭を熱くされていました。
 佐々木 長寿の秘訣について尋ねると、とたんに百家争鳴、三人三様の答えが返ってきました。「気候がいい」「空気がいい」「食べ物が野菜中心」――と。でも「豚も食べてますよ。おいしいですよ」と一人が言えば、「貧乏ひまなしで、よく働くからだ」との説も。(笑い)
2  人のために点せば、自分の前も明るい
 池田 沖縄では、伝統的な「ヨコ社会」の良さが地域に生きていると言いますね。
 たとえば、大宜味村のあたりでは、″外が暗くなっても家の中の電気がついてゃないのは、よくない。帰ってくる人が明るい家に入れるように″と考えて、おたがいによその家の電気が消えていると、電気をつけてあげるそうです。ふだんから家に鍵はかけないし、泥棒も事件もない。安心して、住める所なんですね。
 御書に「人のために火を点せば、自分の前も明るく照らされる」(御書一五九八ページ、趣意)とあるが、高齢社会では、″人のために点す″心が大切です。それが、最後は自身をも照らすことになる。
 松岡 都会のような独り暮らしの老人の孤独死は、考えられない環境ですね。
 佐々木 畑仕事で、トマトやキュウリ、ニガウリなどが取れると、自分が食べる分以外の余った分は、よその玄関の前にそっと置いて帰ってくるそうです。
 池田 地域共同体の助けあいが、肩が凝らない形で、ごく自然に行われていて、いいね。
 沖縄社会の相互扶助の精神は、「ユイマール(結ともいう)」が有名です。たいへんな労働を一時に必要とするサトウキビの収穫などに、皆が持ち回りで協力するのです。こうした心が長寿社会を支えているのだろうね。
 松岡 芭蕉布の作業工程は、三十以上もあって、背丈ほどもある芭蕉の原木を鎌で切り倒して、炊いて、水洗いして、竹ばさみでしごいで、乾燥させて、糸をよりわけで、それをまた大鍋で煮て、しぼって、染めて……と完成まで、とにかく気が遠くなるような作業の連続で、力仕事。なおかつ繊細な熟練の技を必要とします。
 佐々木 村の女性たちが、熟練度に応じて、それぞれの作業を分担し、結果として共同作業をします。それが楽しみであり、生きがいだそうです。生涯現役で、働く場があるのです。
 池田 平良和さんは、数少ない「芭蕉布保存会」のメンバーで、機織りの名人とお聞きしました。素直な心根が、人生の風雪を刻む笑顔厳に表れている印象的な方でした。
 佐々木 和さんは、母子家庭で育ち、食べていくために母親から半ば強制的に、糸つむぎを覚えさせられました。それが、いやでいやで、県外の紡績工場で働いたこともあったそうですが、今では「手仕事を身につけさせてくれた母に感謝しています。そうですね、八十歳を過ぎて、やっと母に感謝できるようになりました」と話していました。
 松岡 「私たちには学会活動がある。忙しい、時間がない」というのが三人の口癖なのだそうです。
 地元の支部婦人部長が、「おばあちゃんたちが『働く』という場合、朝から晩まで働くことで、二、三時間でも手を抜くと『きょうは遊んでしまった』という。とてもかないません」と敬服していました。
3  ヨコ社会に温かい人間関係
 池田 沖縄の心を象徴する言葉に「ヌチドゥタカラい(命こそ宝)」がありますが、御書には「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり」とある。相通ずる生命尊厳の思想です。
 また沖縄にはかわいそうという相手を下に見た同情の表現はなく、苦しみを分かちあう「チムグリサ(胸が痛い)」という言葉を使う。言うまでもなく学会の「同苦」の精神です。「イチャリバ・チョーデー」という言葉は知っていますか。
 佐々木 「出会う人は皆、兄弟」という意味ですね。
 池田 そう。これも「ヨコ社会」の人間関係から生まれた知恵でしょう。
 仏法では、「皆が恩ある衆生だから、皆の成仏を祈っていきなさい」(御書一五二七ページ、趣意)と教える。
 人間が大切にされている。人間関係が大切にされている。そこに長寿社会の急所があるね。
 沖縄には、長寿者を親戚はじめ地域ぐるみで祝う習慣があり、とくに、数え九十七歳の祝いは「カジマヤー(風車)」といって、風車を持ってオープンカーで町中をパレードします。沿道の人もまた風車を掲げて祝福します。
 名前の由来は、この年になると、童心に返って風車で遊ぶからだという説が一般的です。いずれにせよ、多くの人からの祝福が、高齢者の生きがいにも、目標にもなっている……。
 佐々木 沖縄の三盛洲洋副会長が言ってましたが、今、那覇市など都市化が進んだ地域は、こうした、良き伝統が壊れ始めているそうですそれゆえ、心ある識者は、創価学会の座談会など、地域にネットワークを広げる運動に大きな期待を寄せてくださっている、と。
 池田 草創期には、沖縄の「ヨコ社会」の強靭さがかえって障害となり、一族のなかで信心するのはむずかしい現実もありました。
 しかし、学会がめざすものは何か――それを粘り強く語り、生活でも実証を示しきっていったときに、着実に理解の輪は広がったのです。
 いわば″臨界点″ともいえるだろうか。ある段階を超えると、仏法への理解がグンと広がり、深まっていく。その土壌が沖縄にはある。
 松岡 三盛副会長のお母さんは、九十一歳でかくしゃくとされています。竹富島のど出身で、親族で最初に信心されました。
 「初めは誤解もありましたが、そのなかで、母がきちんと人間革命の姿を示したとき、結束が強いだけに一気に広がった」と言われていました。今では、全員が信心に励んでおられます。

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