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日蓮大聖人・池田大作

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総仕上げの醍醐味  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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1  忘れ得ぬ「大楠公」の演奏
 松岡 琵琶奏者で「人間国宝」の山崎旭萃きょくすいさんを取材した「聖教新聞」の記者から話を聞きました。
 山崎さんは芸術部員(芸術活動にたずさわる創価学会員の人材グループのメンバー)で、九十一歳です。
 琵琶界初の「人間国宝」となった今も、「芸には、これでいいというのはありません。死ぬまで勉強です」と精進されています。
 佐々木 八歳から琵琶を始め、厳しい師匠について、十代から筑前琵琶の名手として名をはせ、全国に普及してとられた。その功績は比類なきものです。しかし、その間、リウマチでバチを持つ右手が変形したり、障害のあるご主人を介護し、女手で家計を支えできたり、もうご苦労の連続でした。
 池田 よくお聞きしてます。お元気で活躍され、うれしいですね。
 松岡 山崎さんの演奏は、識者からも、「珠玉の輝き」「愛の音楽の光」と高く評価され、「芸術にかかわる者の師表」と尊敬されています。
 平成七年(一九九五年)、東京での芸術部の会合で演奏されましたが、芸の迫力に場内はシーンとなりました。
 「磨きぬかれた声と音に、自分の芸を反省させられた」と、芸術部員の方々が敬服していました。
 池田 私も、山崎さんが関西で弾いてくださった、あの「大楠公」が忘れられない。
 佐々木 山崎さんは、池田先生の前で演奏して「今日は、良かった!」と肩を抱きかかえていただいたことを″生涯の思い出″と言われていました。
 琵琶を手にされると、じつに大きな存在感があるのですが、会合で会うと、後ろのほうに端然として座っておられ、琵琶をきわめられた名人とはわからなかったことがあるといいます。
 松岡 今もお元気で、毎月の稽古に加え、毎年のように新曲も作られる。「年をとって声は落ちてきたけども、曲づくりに関しては、新しいものが次々に浮かんでくる。不思議ですわ」と笑っておられた。
 佐々木 そのへんのところを直弟子の方に聞くと、「先生の演奏は聴くたびに発見があるんです。これが最後や、最後やといいながら、死ぬまで登っていきはるのとちがいますか、先生は。そやないと門人もついていきません。琵琶の技術もそうですが、執念はますます衰えません」と。
 池田 戸田先生もそうでした。最後まで、死の床にあっても、「追撃の手をゆるめるな!」と弟子を叱咤してくださった。偉大な師をもつことは、人が生きるうえで無上の幸せです。
 松岡 肝に銘じます。
 山崎さんですが、日課は朝一番に「眉を描くこと」だそうです。いつ来客があっても恥ずかしくないいように、身だしなみだけは忘れない。心に張りがあるんですね。肌もつやがあって、すみれ色の着物を端正に着こなされる。
 佐々木 いちばん楽しい時は、同居している息子さん一家との晩酌といいます。ビールをコップ二杯。飲むと、ひときわ朗らかになって、よく話される。そとに大好物のフライドチキンがあれば、もう大満足だそうで。(笑い)
 池田 明るい家族のだんらんが長寿を支えている。家族の力は大きいね。
 松岡 琵琶の弟子でもある、お孫さんの美江さんが、自宅での様子を教えてくれました。
 「どんなに疲れて帰っても、唱題は絶対に欠かさない。ちゃんと新聞も読んで、池田先生のご指導を求めているのです。その素直な信心に学ぶことばかりです」と。
 今は「先生ご夫妻のご健康」と「琵琶界の発展・若手の育成」を第一に祈っておられるそうです。
 佐々木 九十一歳で、すばらしいですね。みんな山崎さんのようにいつまでも道を究めようと自分と格闘できれば理想なのですが、なかなかそうもいかない。
2  老いは人生の総仕上げの時
 松岡 そこで、読者の方からの質問があります。
 「日々の時間の過ごし方がむずかしい。そうすればよいか」という質問と、「年をとるにしたがって、人生の目標を見いだしにくくなるのはなぜか」という質問です。
 池田 多くの方がぶつかる問題でしょうね。現代人の悩みが凝縮されている。
 『ガリバー旅行記』で有名な作家のスウィフトが、こんな言葉を残しています。
 「誰でも長生きしたいと思う。が、年をとりたいと思う人はいないだろう」(「雑観集」、外山滋比古編集代表『英語名句事典』所収、大修館書店)と。
 この言葉にはさまざまな意味がこめられていると思うが、私は、そこに彼一流の警句を読みとりたい。
 つまり″人間は長生きすることを望むが、果たして長生きをすることによって得ようとするものは何か、それを見失ってはならない″ということです。
 松岡 私たちは、命の長い社会、すなわち「長命社会」を手にしました。
 そこで、命の長さをどう使えばよいのか、向きあう時間が増えた「老い」にどう臨んでいけばよいのか――。その解決への道を探り、長い命を寿ぐことのできる社会、すなわち「長寿社会」を築いていきたいものです。
 佐々木 一般に、なにか「老い」というと、マイナス・イメージがつきまとうことが少なくありませんね。
 仏教でも生老病死を「四苦」といって、「老い」を生命の根源的な苦しみの一つに挙げていますが。
 松岡 そうですね。仏教の原点は、生老病死の克服にあった。そのことは、釈尊が出家する理由となったと伝えられている。「四門遊観」のエピソードにも、象徴されているとおりです。
 池田 二人が言うように、仏教は生老病死の解決を眼目としている。しかし、日蓮大聖人の仏法の真髄は、その「四苦」を乗り越えることだけにあるのではない。
 御書に「四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり」とあるように、仏法ではさらに一重深く、四苦そのものが「一身の塔」、すなわち「生命の宝塔」を荘厳する宝に変わる、と説いているのです。
 松岡 つまり、「マイナスをゼロにする」だけではなく、「マイナスをプラスへと変えていく」妙なる力が、人間の生命には内在しているというのですね。
 池田 「愚者にとって、老年は冬である。賢者にとって、老年は黄金期となる」という言葉もある。
 いっさいは、自分の心をどの方向へ向けていくかに、かかっているのです。
 老いを、たんに死にいたるまでの衰えの時期とみるのか、それとも、人生の完成へ向けての総仕上げの時ととらえるのか。老いを人生の下り坂とみるのか、上り坂とみるのか、上り坂とみるのか――同じ時間を過ごしても、人生の豊かさは天と地の違いがあるのです。
 佐々木 寄せられた、お便りの中にも、こんな提案がありました。
 「私は、日常使う言葉の中から『もう』という言葉をなくしていこうと、皆さんに呼びかけています」
 「『もうええ』『もういや』『もうでけへん』『もう年や』『もうあかん』、これらは″あきらめ″の言葉です」
 「これを『まだ』に変えれば、『まだ負けへん』『まだ若い』『まだできる』『まだ大丈夫』と、なります。そう言い換えていくと言葉だけでなく、行動も積極的なものに変わるのです」
 松岡 なにか聞いているだけでも、元気が出てきますね。(笑い)
3  「自分には余生はいらない」
 池田 奥底の一念の違いがもたらす歴然たる差を、御書では「秘とはきびしきなり三千羅列なり」と説いている。同じ人生の延長線のようでも、「余生」と「第三の人生」では決定的な方向性の違いがある。
 「生の歓びは大きいけれども、自覚ある生の歓びはさらに大きい」(「西東詩集」、梶山健編『世界名言事典』所収、明治書院)と謳ったのは文豪ゲーテだが、その″自覚ある生″は目標を定めることから始まるのです。
 かつて、南米ペルーのベラウンデ大統領と、お会いした時の言葉で、忘れられない一言がある。
 佐々木 一九八四年三月に、先生が「ペルー太陽大十字勲章」を受章された時ですね。
 池田 大統領は、当時七十一歳。ペルーが軍政から民政に復帰した後、初の大統領に選出されるなど、民衆からたいへんに慕われていることでも有名な方だった。
 「私は今期で大統領をやめます。その後は、今まで研究してきた建築学に対して、一生涯、勉強し、国家と人類に貢献したいと念願しております」と淡々と語られた後、大統領はきっぱりと言われた。
 「自分には余生はいらない。大切な一生をさらに生きぬくために、余生は考えない」と。
 大統領は、今もお元気で活躍されていると聞いています。
 松岡 ぺルーの理事長が言っていましたが、大統領は、つい最近も池田先生の写真集を見ながら、「私も先生と一緒に世界各地を旅しているような感じがします。先生と、お会いしたことは、いつまでも忘れません」と語っておられたそうです。
 佐々木 そういえば、先生が、一九七四年三月にペルーを訪問された時は、南米最古のサンマルコス大学と教育交流を推進されました。
 また、炎天下で、ぺルー社会の発展に貢献するメンバーを励まされ、激務が続き、体調を崩されたことがありました。同大学のゲパラ総長が心配され、宿舎までお見舞いに来られたことも覚えております。先生がどれほどぺルーと日本の友好交流のために辛労を尽くされたか計りしれません。
 松岡 ″自分のための余生はいらない。生涯、人類のために尽くす″との言葉のように、明確な目標を定め、その実現をめざし生きぬくなかにこそ、自他ともに輝く「長寿社会」を築くための道があるような気がします。
 池田 牧口先生は、人生の目的を立てる意義についてこう言われている。
 「いかに迂遠に見えても、最も遠大なる究竟の目的から先ず以って最初に確立しなければ一切の生活はすべて暗中模索の不安に陥り、思い思いの勝手の方向に向かうことになる……」と。
 また法華経には「我未来に於いて長寿にして衆生を度せん」(『妙法蓮華経並開結』五二一ページ。以下、開結と略記)との言葉がある。これは、″長生きして、より長く人々のために働いていこう″という誓願の文です。
 大目的に生きるなかでしか、本当の人生の醍醐味は味わえない。他人と比べる必要は、まったくないのです。みずから決めた目的に向かって、自分らしく歩みを進めることが大切なのです。

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