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人生に定年はない  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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1  年をとっても心は太陽のごとく
 池田 「第三の人生」をどう実り豊かなものにしていくか――「人生八十年時代」を迎え、本格的に考える時がきました。
 私の恩師である戸田城聖先生は「人生は最終が大事だ。最終の数年間が幸福であれば、人生は幸福である」と述べておられた。人生途中の勝利は幻の勝利であり、最後に勝つ人が真の勝利者です。
 「老い」「病」「死」とどう向きあい、どう生きぬいていくか。テーマは多岐にわたると思うが、一つ考えていきましょう。
 松岡・佐々木 よろしくお願いします。
 池田 「第三の人生」と言っても、明確な立て分けがあるというより、高齢となって、人生の総仕上げを迎えた時期を指しているのでしょう。日本は最長寿国になりましたが、平均寿命の変化はわかりますか。
 松岡 はい。男女とも、平均寿命が四十歳を超えたのは明治・大正時代。五十歳を超えたのは戦後まもなく。今や、人生八十年です。
 佐々木 六十五歳以上は、一九九七年はおよそ七人に一人ですが、二〇二〇年には四人に一人になると予測されます。高齢化最先進国のスウェーデンを、まもなく追い抜いてしまうようです。
 池田 一生を広宣流布にささげ、人を救い、人のため、法のため、平和のために戦ってとられた各地の多宝会、宝寿会、錦宝会(六十五歳以上の創価学会員で構成される人材グループ)の皆さんは、宝寿を楽しみ、諸仏に護られ、若々しく輝いておられる。
 肉体的には老いて年をとっても、心は太陽のごとく若い――これが創価学会の精神です。一生涯、青春なのです。
 人のため、法のために戦う人の生命は若い。
 私はいつも、との学会を築いてくださった気高き方々の健康、長寿を祈り、大満足の心で人生の総仕上げを飾られるように祈っています。なんの栄誉も欲さず、草創期以来、私とともに営々黙々として歩んでこられた尊い方々のためにも、今、語っておきたいのです。
 佐々木 これまで記者として、先生の、世界に仏法を開きゆく数々の場面を取材させていただきましたが、そのたびに、先生の崇高な″本因の精神″に胸打たれました。
 池田 つねに「いよいよ」「これから」という心が大切です。なかんずく「第三の人生」を勝ちゆくには、この姿勢が必要です。
 松岡 一九九七年五月、先生が上海大学の名誉教授に就任されました。その授与式の席上、上海大学の方明倫ほうめいりん副学長が、名誉会長は世界の識者と誠実な対話をされてきたと、代表の識者の名前を挙げておられました。
 池田 周恩来、トインビー、ショーロホフ、キッシンジャー、ペッチェイ、カズンズ、マンデラなどの諸氏でしたね。皆さん、年を重ねるほど、エネルギッシュに仕事をされていました。
 齢は、この方々をますます輝かせていました。皆、みずからの使命に生きぬかれたすばらしい人物です。
 使命に生きる姿は荘厳で美しいものです。
 佐々木 幸い私たち二人は、との半数の方々との先生の対談を取材させていただいていますので、「第三の人生」かく生きるのだという、この模範の識者についても、先生に、ぜひおうかがいしたいと思っています。
 池田 わかりました。どんどん聞いてください。大いに語りましょう。
2  仏ルネサンスの舞台ロワール
 松岡 レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年滞在し、そこで生涯を閉じた館を、かつて先生は訪問されました。
 池田 そう。四半世紀も前だったね。トインビー博士との対談(一九七三年五月)を終え、ロンドンからパリに戻り、帰国までのわずかな時間、フランス・ルネサンスの舞台になったロワールに行った。
 パリから列車で二時間、丘陵に点在する古城が春の光に眠り、羊や子牛が遊ぶ平和な田園が広がっていた。清流が岸辺を洗い、森の小道は菖蒲、アヤメ、菜の花などの饗宴だった。
 佐々木 ダ・ヴインチをイタリアから招いたフランス国王の居城であったアンボワーズ城。そのすぐ近くの館で、ダ・ヴィンチは亡くなったのですね。
 松岡 その館の寝室にダ・ヴィンチの生前の言葉が、銅板に刻まれていました。先生は、その言葉をじっとごらんになって「いい言葉だね。記録しておいて……」と言われました。
 池田 ルネサンス精神を代表する万能の人ダ・ヴィンチの生涯からにじみ出る言葉だけに、強く心を打たれたんだろうね。
 「充実した生命は 長い
 充実した日々は いい眠りを与える
 充実した生命は 静寂な死を与える」
 有意義に過ごした一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸せな死をもたらす、ということでしょう。
 仏法では、死を「方便現涅槃(方便して涅槃を現ず)」とも説いています。朝のすがすがしい目覚めから一日がスタートし、夜になると疲れた体を休めるために眠りをとり、リフレッシュし、次の朝、はつらつと起きる。三世永遠の生命観からいえば、死は新たな生への旅立ちです。
 佐々木 そのダ・ヴィンチの言葉については、作家の井上靖氏が強い関心を寄せていました。
 先生が『四季の雁書』(本全集第17巻収録)として「往復書簡」のやりとりを井上氏とされていた時に、氏は次のように言われていました。
 「ダ・ヴィンチの言葉として、お示しになった″充実した生命は――″の三行の言葉は、私にもたいへん感動的なものであります。特に最後の″充実した生命は、静寂な死を与える″という言葉には、いろいろとを考えさせられます。優れた芸術家の充実した生命というものは、確かに静寂な死に結びつかずにはいられぬものであろうと思います」
 池田 井上さんは、ダ・ヴィンチのその館を訪ねたいと言われていた。生涯、挑み、戦い続けたダ・ヴィンチは、こんなことも言っている。
 「鉄は使わないと錆びる。澱んだ水は濁る、寒さには凍結する。同じように、活動の停止は精神の活力を喪失させる」(セルジュ・ブランリ『レオナルド・ダ・ヴインチ』五十嵐見鳥訳、平凡社)と。
 そして、死を前にして、「私は続けよう」と、すばらしい言葉を書き残している。
3  「さあ、仕事を続けよう!」
 佐々木 「続けよう」ということでは、トインビー博士の座右の銘も「さあ、仕事を続けよう!」でしたね。
 池田 そうでした。対談の初めにも「やりましょう! 二十一世紀の人類のために語り継ぎましょう!」と、稟と言われていた。
 「いちばん、充実した、うれしい時は何ですか」と、当時八十四歳の博士に聞くと、「文章を書き、本を読んでいる時です」と微笑んでおられた。
 朝六時四十五分に、起床し、夫妻で朝食の準備をし、寝台の整理をし、午前九時には書斎の机の前に座り、文章を書き続けることを日課とされていた。八十歳を超えても、知識欲に燃えておられた。
 松岡 私も、ロンドンのオークウッド・コートにあるトインビー博士の自宅で、池田先生と博士の対談を取材しました。赤レンガのフラット(マンション)の一階から旧式のエレベーターで、先生が五階まで上がって行かれた。
 博士は先生が到着されるのが待ちどおしくて、自宅の玄関から出てエレベーターの前で待っておられた。歓待の声をあげ、顔をほころばせ、先生の手を握りしめ、居間に案内する博士はうれしそうでした。
 佐々木 親子ほどの年齢差があっても、博士は、先生を、待ちに待っておられたんですね。
 松岡 毎日、朝の十時から五時間におよぶ対談でも、白髪、長身の博士が真剣な表情の中にも「オゥ、オウーッ」と喜びの声を連発されたり、「イエス、イエス!」と賛意をはっきりと示しておられた。生命論や仏教哲学に話題がいくと、「あなたはどう思われますか?」と先生の意見を真剣に求めておられた。
 池田 二十世紀最大の歴史家と評される博士は、終生、真摯な探求を貫き通された方です。「八十四歳の生涯で、これほどの対談をしたことはない」と述べておられましたが、年を経るごとに、学問への情熱が高まるといった感じでした。

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