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創価学園1 後記

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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1  後記    「池田大作全集」刊行委員会
 本書は、創価学園の創立者である池田名誉会長が、未来を担う学園生に語りかけたスピーチ、メッセージ等をまとめたものである。一九六八年(昭和四十三年)の開校から八八年(同六十三年)までの二十年間分を、「創価学園1」として収めている。「教育指針」としては一冊目であり、全集の通巻では第二十六巻にあたる。
 創価学園は、東京・関西の両高等学校、中学校、小学校、札幌の幼稚園で構成される。その沿革は、一九六八年、東京・小平市に創価中学・高校が、男子校として開校。七三年、大阪・交野市に創価女子中学・高校がスタートした。八二年から両校とも男女共学になり、創価女子中学・高校は関西創価中学・高校と改称した。
 東京創価小学校(小平市)は七八年、関西創価小学校(大阪・枚方市)は八二年に開校。札幌創価幼稚園も八二年に開園した。
 姉妹校として、創価大学、創価女子短期大学、アメリカ創価大学があり、創価幼稚園は香港、シンガポールに次いで、マレーシアにも開設の予定(九四年十二月)である。
  
 「教育」がいかに大事であるか。「教育の重要性は、もはや国家だけの問題ではない。世界、人類の運命、文明の未来は、まさしく青年の教育にかかっている」と、名誉会長が指摘する通りであろう。名誉会長はまた、折あるごとに、「私の最後の仕事は『教育』である」と語っている。
 その人材育成への熱き思い、教育への透徹した眼に映ずる現今の教育界が抱える病弊は何か。それは「教育理念の喪失」であり、「若人の人格を軽視する風潮」であり、「指導者の次代に対する責任感の欠如」であると。そして「こうした混乱と迷妄のなかにあって、理想的な教育の確立をめざして、わが創価学園は誕生したのである」と明言する。
  
 思えば、牧口常三郎初代会長も、戸田城聖第二代会長も、教育者であった。
 初代会長は、東京の各小学校長を歴任しながら、『創価教育学体系』を発刊。国家のためには死をも顧みず、生命をなげうつのが理想の国民であると教える当時の日本にあって、人生の目的は「幸福」という価値であり、人格の陶冶を通して、「幸福」の価値を創造していく人材を育てることが真の教育であると訴えたのである。
 「教育とは人格価値の創造なり」とする初代会長の信念は、時とともに輝きを増し、確実に現代の潮流となりつつある。『創価教育学体系』は、これまで英語、ポルトガル語、ベトナム語の各国語に翻訳されている。
 「″幸福を追求するための教育″との牧口氏の視線こそ、哲学不在の教育の空白をみたし、人間教育の未来を指し示すもの」(米ハーバード大学、ハワード教育哲学研究所長)
 「『教育は国のためにある』のではありません。SGI(創価学会インタナショナル)の皆さまが言われるように、『民衆のための教育』そして『人間のための教育』なのであります。教育へのそうした観点をはぐくんでこられたのが牧口会長であり、SGIの皆さまであると、私は感動をもって訴えるものです」(ブ・スンル、ヒンゲル教育大臣)
 世界から寄せられる、こうした高い評価と共感は、「創価教育学」の先見性、時代や洋の東西を超える普遍性を物語っていよう。
  
 創価教育の理念を応用し、私塾「時習学館」で生き生きとした教育実践を展開したのが、戸田第二代会長である。その著『推理式指導算術』は、当時、学習参考書の名著としてベストセラーになり、小学校の副教科書などにも活用された。
 「どんな劣等生も、必ず優等生にしてみせる」。そのために、知識の「詰め込み主義」を批判し、「自分で考える力」を引き出す教育に徹したのが、牧口・戸田両会長であった。
 このように、初代・二代会長が全魂を捧げ、第三代の池田名誉会長が受け継いだ教育の理想――その一つの結実ともいうべき創価学園は、歴代会長の「人間教育」の信念を継承し、人類に新しい希望の光を送る学舎として期待を集めている。
 名誉会長とも会見したことのある米デラウェア大学のディビッド・L・ノートン教授は、いみじくも語っている。
 「牧口・戸田両氏、そして池田名誉会長は、ともに偉大な教育者であり、とくに名誉会長は、世界の人々に真の『人間教育』の道を示しておられる」と――。
  
 「人間教育」といっても、つまるところは、人格と人格の触れ合いが基盤である。変化し続ける「時代」と「世代」の心を読み取りながら、つねに「体当たり」で「徹して一人を大切に」していく以外にない。
 本書に綴られているのはまぎれもなく、子どもたちの心を揺さぶってやまない「生きた」言葉であり、「人間から人間へ」の、やむにやまれぬ心情の発露である。だから感動があり、啓発があり、時を超えて生命が響き合う。このみずみずしい魂の交流の世界にこそ、「師弟」の精神は流れ通うであろう。
 名誉会長は、こう語る。
 「(成績のことについての質問に答えて)自分はいつも成績が悪いから、だめなものはだめなんだ、などと考える必要はありません。アポロを打ち上げた立役者の一人にドイツ人がいます。その人は勉強があまりできなかった。そのかわり、天文学にかけては絶対に負けなかった。学校の先生よりも勉強していて、みんなに教えたという……むろん成績はよくなってもらいたい。しかし、上であつてもかならずしもよいとはかぎらない。下だからといって、かならずしも悪いとはいえない。成績が下のほうでも、偉くなった人はいる。一人も使命のない人はいないのです」
 全員に使命がある。卑屈になってはならない。自信をもって、伸び伸びと目前の課題に挑戦するのだと。名誉会長の言葉は、つねに希望と励ましに満ちている。
 そして、こう語る。
 「深い悲しみのあった人ほど、世界の指導者になれるのです。悲しみをたくさんもてないような人間は、悩みをたくさんもてないような人間は、偉い人にはなれません」
 悩みのない人生はない。真剣に悩んだ分、人間は大きくなる。ならば、悩みが大きければ大きいほど、使命も大きいのだと。
 ただ、なぐさめるだけではない。そこから″自分で自分を強くする″生き方へと向かわせるのである。
  
 このほかにも本書には、古今東西の偉人の生き方や社会事象、名誉会長自身の体験を通しての、珠玉の指針が散りばめられている。
 「『何のため』という原点を問う姿勢を忘れるな」「変革の人、信念の人に批判があるのは当然」「民衆の側につくことが正義」「勝つことよりも、負けないことのほうが偉大な勝利」「負けじ魂ここにありと、嵐に向かって進め」「一番大事な人生の総仕上げのときに勝てる基盤を、今こそつくれ」等々。
 また、一度失敗して再度、大学を受けることになった友には、勇気を。スポーツの試合で惜敗した友には、ねぎらいと希望を。未来の女性リーダーたちには、恋愛観、結婚観を通して「福運」の大切さを――。
 名誉会長が、学園生に語りかけるとき、一筋の″矢″が、彼らを貫く。それは「信ずる」という″魂の矢″である。生命を削り、血のにじむ素手で切り拓いた「人類を幸福にする道」。そこに、かならず続いてくれるという全幅の「信頼」である。
 「私自身は、たとえどのような悪口、雑言、中傷、批判をされてもなんとも思っていません。なぜか。私には学園生がいる、創大生がいる、人材がいます。次に続く何千何万という優秀な若き人材が、雲の湧くごとくいるんです。だから、私は日本一、世界一幸福者であると自負しています」と。
  
 本書の発刊と時を同じくして、創価学園は創立二十七年を迎える。名誉会長の教育の事業は、どこまでも「一人」また「一人」に光を当てながら、さらに世界へ広がりを増し、加速度を増して進んでいく。「創立者の心は創立者にしかわからない」と、名誉会長は語る。しかし、だからこそ、その「大いなる心」を求めに求め、自らの人間的な向上ヘチャレンジしていくのが、後に続く者の心であるべきだろう。
 本書は、そのような学園生にとっての明日を照らす指標であるにとどまらない。広く未来の飛翔を期す青少年にとって、また教育者にとって、指導者にとって、そしてまた、子どもたちの大成を願う親の皆さんにとっても、つねに「青春」と「人生」と「人材育成」の指針を与えずにはおかない″座右の書″となることだろう。
  一九九四年十月二日

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