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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和62年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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1  創価中学・高等学校第二十回入学式〈昭和62年4月9日〉
 魂と魂の触発を豊かに
 希望に燃えて創価学園の間をくぐった諸君に、私は心から、「入学おめでとう」とお祝いを申し上げたい。
 また、ご父母の皆さま、本日は本当におめでとうございます。この晴れがましい出発の佳き日にあたり、私は今、考えていることを少々、お話しさせていただきます。
 それは、「すばらしい『出会い』の積み重ねを」ということであります。人生というものは、じつに多彩な「出会い」の連続です。美しい出会いもあれば、悔いの残る出会いもあるかもしれません。また、友人であってもいい、学問の師であってもいい、また、何らかの研究課題であってもよい。人生の基盤ともなる有意義な出会いは、多くは皆さんのような青春時代にこそ獲得できるものです。また、その些細にも見える出会いが、生涯を決定してしまうことも多いのです。
 『ジャン・クリストフ』の作者ロマン・ロランといえば、私の大好きな文豪です。彼の生涯を決定づけたのも、文豪トルストイとの若き日の「出会い」でありました。ロマン・ロランはそのとき、二十二歳。ある疑問にとらわれて、世界的に高名であるトルストイに長文の手紙を書いた。しかしトルストイは、当時のヨーロッパの知識人から神のように尊敬されていた大文豪です。ゆえにロランは、トルストイから返事が来るなどとは毛頭思っていなかったのです。
 ところがトルストイは、この無名にして未知の一青年に対し、何と三十八ページにものぼる丁重な返事をしたためてよこしました。トルストイはロランの書面に、将来の大成を感じるところがあったのかもしれません。
 感激したロマン・ロランは、やがて世に知られるようになってからもトルストイにならい、良心の問いかけに対しては、自分の真心として、どんな人にもかならず返事をしたためるよう心がけたのです。
 このエピソードは、魂と魂の「出会い」と「触発」が、いかにすばらしい果実をもたらすかを物語るものとして、私の胸中に深く残っております。
 よき「出会い」は、それをもった人の心に、よき思い出として豊かに飾られている。反対に悪しき出会いを重ねた人生は、灰色の後悔で暗く彩られる。私も多くのよき出会いを重ねてきたつもりです。
 本日の入学式で、諸君の周囲には、新しい学友も多いことでしょう。すばらしい学友は、何ものにもかえがたい一生の宝です。どうか、互いに勉学、人生のうえで啓発し、切磋琢磨していける、よき学友を多くつくっていただきたい。
 中学時代、高校時代と、諸君は、今まさしく人生で、もっとも多感な青春期を過ごそうとしています。ゆえに諸君にとって、何らかのよき「出会い」は、その純粋な心のカンバスにすばらしい色彩を投げかけてくれるにちがいありません。
 よき「出会い」を重ねていく人こそ、最高の人生の輝きを獲得できる幸福者であると、私はつねに思っております。どうか、自分自身を厳しく鍛えながら、「すばらしき出会い」をお願いいたします。
 次に、「努力の歩みを決して止めてはならない」と申し上げたい。いかなるときも、少しずつでも歩いておれば、目的地に到着できる。止まってしまえば、絶対に前にはいけない。動いていれば、少しでも前進できるのです。
 かつて『私の人生観』を書いていたとき、私は体調を崩し、高熱に苦しみました。しかし、書かなければ何も残らない。私は、氷を頭にのせ、少し横になりながらも、苦しいなか、きょうは一枚、あすは三枚というように、毎日、ベンを執りました。そして原稿用紙を一枚書くごとに、「正」の字で数をしるしては、書き続けました。たとえ、ほんの少しずつでも、書かなければ前に進まないからです。
 今では「正」の字を記した記録用紙は、わが家の宝ともしていますが、状況がどうであれ、絶対にやめないで努力する、これが私の生き方、信条でした。
 こうした意味から、先日、百二歳の高齢で亡くなった、彫刻家の北村西望先生のことにふれておきたい。それは、有名な長崎の「平和記念像」を制作されていたときのことです。
 ある晩、像の足もとにいたカタツムリが、翌朝みると、なんと九メートルもある像のてっぺんにのぼっていました。
 北村先生は、小さな虫の懸命な姿に感動し、「ああ、少しずつでも進むことはすばらしい。人間もまた同じである」と感じられて、「たゆまざる 歩みおそろし カタツムリ」と句に詠まれたのであります。
 要するに、努力し続けることの大切さを教えてくれる話だと思います。
 「努力」を続けることは、決して楽ではありません。しかし、「努力」した人には、「勝利」が待っているのです。その意味でも「努力」は嘘をつきません。正直なのです。
 諸君がこれから過ごす学園生活も、決して金色に輝くような楽しいことばかりではないでしょう。むしろ、平凡な日々の連続かもしれません。学業との苦しい戦いも続くことでしょう。しかし、努力を忘れぬ力強い精神をもって、学園生活を送っていただきたいのです。そして、卒業の日に「自分は自分らしく歩んできた」「これで私はよかったのだ」と、自分自身に自信をもっていえる三年間であっていただきたいことをお願いし、私のあいさつといたします。
2  関西創価中学・高等学校 第十五回入学式(メッセージ)〈昭和62年4月9日〉
 すべてに大きく伸び伸びと
 希望に胸をふくらませ、晴れて関西創価中学・高等学校に入学された諸君に、心からおめでとうと申し上げます。
 どうかこの三年間、勉学に励み、書を読み、友情を育み、体を鍛えながら、思う存分に青春を謳歌してください。
 諸君の晴れのスタートにあたり、私は、 二言「すべてに大きく、伸び伸びと」と申し上げておきたい。
 洋々たる可能性を秘めた青春の君たちが、小さな殻に閉じこもってしまうことほど、残念なことはない。たしかに、乗り越えるのが不可能と思われるような壁に直面する場合もあるでしょう。しかし、多くの場合、実際にそのような壁が存在するのではなく、自分がそう思いこんでしまっている。すなわち、壁があるのではなく、壁をつくってしまっているのであります。ゆえに、自分に閉じこもらず、大きく伸び伸びとした心で羽ばたいていくことが大切になってきます。
 古代ローマの五人の賢帝の一人であったマルクス・アウレーリウスという人の『自省録』という有名な本に「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう」(神谷美恵子訳、岩波文庫)との味わい深い一節があります。
 どうか諸君は、自分らしく、また限りない可能性の泉を、どこまでもどこまでも掘り下げ、汲みゆく、努力また努力の、青春の一日一日であってください。その一日一日に実り多かれと念願しつつ、また、はつらつたる諸君にお会いする日を楽しみに、私のメッセージとさせていただきます。
3  第一回友好交歓会〈昭和62年4月20日〉
 君たちよ、気迫ある勉学を
 本日は、関西創価学園と関西創価小学校の、有意義な第一回の友好交歓会を開催することができ、ほんとうにうれしい。今後、第二回、第三回と、あるときは小学校、あるときは学園で開催しながら、尊い歴史を残してください。
 きょうは小学一年生も参加しているので、話は簡単に申し上げます。
 第二次世界大戦を勝利に導いたイギリスのチャーチル首相は、パブリック・スクール時代は劣等生といわれた。とくに、古典教育のラテン語には苦しんだという。ラテン語の勉強は、日本の学科でいえば、外国語の英語にあたるといえよう。そこで彼は、国語である英語に全力をあげた。つまり、たとえ不得手な学科があっても、それを呑み込んでいくような気迫で、自分の得意とする学科を伸ばしていく努力をしたといえるかもしれません。
 試験がなければ楽で助かる、と思うかもしれない。しかし、試験がなければ、どうしても勉学ヘの姿勢が甘くなり、集中力を養うこともできない。ましてや全員が試験を受けるのであるから、自分だけが試験からのがれようという根性であってはなりません。
 ただし、試験の出来、不出来の原因はいちがいにいえない。実力にもよるだろうし、身体の調子による場合もあるでしょう。また、試験の点数が長い一生を決めるわけではありません。しかし、真剣に全力をあげていこうとするなかに、自分が深く訓練されていることを知らねばならない。これが教育です。
 ともあれ、チャーチルは、気迫をもって、他の友人に嘲笑されないように頑張ったことは事実です。彼の負けん気の魂と忍耐の魂は、この時代に培われたといえます。これによって歴史に残る仕事を成し遂げるための、特別な資質と演説と知略を身につけるようになった、と彼自身が述懐しています。
 要するに、勉学には「気迫」がなければならないと思います。偉くなった人物は、みな「気迫」ある青春時代を送っています。竹が伸び伸びと育っていくのも「気迫」です。弱々しい生命では、竹もスクスクとは伸びないでしょう。気迫は青春をつくり、気迫は勉学を進めます。
 私は若き日に『プルターク英雄伝』を愛読しました。諸君には少々、むずかしい本かもしれませんが、そのなかにデモステネスの話がありました。
 彼は古代ギリシャの大政治家です。また、史上最高の弁論家ともされている。しかし、彼は生来の口べたで、人々の前に出ると赤面した。大勢の聴衆の前で演説することなど、とても考えられなかった。しかし、彼はやがて決意する。勉学し、立派な弁論家になろうと。そして大勢の人々のために世に貢献できる人物になるには、人一倍の努力が必要だと考えたのです。彼は海岸に行き、波音高き潮騒に向かって、大声で弁論の練習をした。さらに多くの著作を学習しました。また、歩きながら演説の文句を暗唱したりもしました。こうしてデモステネスは、後世に輝く優れた雄弁家、政治家となったのです。
 どうか諸君も、気迫をもって青春を送っていただきたい。忍耐をもって学業に励んでいただきたい。負けん気の魂で進んでいただきたい。
 現代の著名な政治家の多くも、学校はつくっていない。多くの経済界の人も同様であります。有名なタレントたちも同じです。しかし、私は人間を教育することは、何にもまして尊い仕事であると思っています。ゆえに、創価学園をはじめ創価大学、創価女子短期大学、さらに海外にも、創大の分校(現アメリカ創価大学)、語学研修センター(現創価大学ヨーロッ。ハ語学研修センター)等をつくったのです。
 ここから巣立った諸君の先輩も、ある人は外交官になり、世界を舞台に活躍しています。ある人たちよ、気迫ある勉学をは法曹界で活躍しています。野球界などスポーツの世界でも、さらに公認会計士、実業界や教育界等でも、あらゆる分野で凛々しく社会に貢献しています。また、政界でも活躍を始めています。私は、海外で多くの著名な指導者に会ったときも、これらの卒業生が、人のため、平和のために活躍している事実を、胸を張っていいきっています。創立者として、未来の卓越した指導者の輩出を見ることほど、うれしいことはありません。
 裕福な人が、かならずしも偉大な人になるとはいえません。むしろ、生活の大変な家庭から、人物が出ています。
 若いときから満ち足りているような環境からは、たくましい大木のごとき人間は育たない。かえって弱々しい人間になってしまうものです。反対に、貧しいなかから、そういう逆境の大地から、根を張って育ってきた人こそが、大本となるのであります。諸君も、そうであってほしい。
 お父さん、お母さんによろしく伝えてください。そして、お父さん、お母さんを世界旅行に連れていってあげられるような諸君になってほしいのです。

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