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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和51年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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1  創価中学・高等学校 第九回入学式〈昭和51年4月8日〉
 つねに「善なるもの」を求め通す人に
 桜が咲き、ケヤキが小さな黄緑の葉を伸ばし始めました。それに符節を合わせて、皆さんにも、人生の春がやってまいりました。面倒な入学試験の難関を見事に突破されて、将来性豊かな本校ヘ籍をおくことになったのであります。
 本日の入学式、本当におめでとう。私は心からお祝いを申し上げてやみません。お父さん、お母さん方にも、心からお喜び申し上げます。また、先生方にもこれまでにも増して、どうか新入生の指導、訓育を、くれぐれもよろしくお願いいたします。
 教育の成果が上がるか上がらないか、その分かれ目は、いつにかかって、師弟が一体になれるかなれないか、という点にあります。先日のある新聞に、こういう記事が載っておりました。
 それは、神奈川県、千葉県、埼玉県では、東京のベッドタウン化で人口が急増した。それにともなって高校生もどんどん増えてきている。公立の高校は一学年に十学級から十二学級、多いのは十五学級にまでなってしまっているというのであります。
 生徒数も多ければ先生の数も多い。新聞社で調べたところ、生徒が先生全員の名前や、顔を知らないというのが、平均で三割以上もあるという調査結果が出たそうであります。そして、某校長の談話として「こうなってしまっては、いくらわれわれが努力しても、教育能率は低下する一方で、それをくいとめるのは、とうてい不可能です」という嘆きを報道しておりました。
 それに比べて、きょうの入学生諸君は、一局校へ三百人、中学へ三百人でありますから、数のうえでも多からず少なからず、ちようどよい人数であります。しかも、素質のよい人たちが集まっているのであります。世間一般に比べて、これは大変に恵まれた条件と申さなければなりません。皆さんは、ここのところをしっかり理解して、一日も早く、先生と生徒が一体の関係になれるよう、純真に努力をしてください。よろしくお願いいたします。
 次に、細かい話を一つ申し上げます。それは、うかがったところによりますと、本校の生徒の健康状態は、大都会のなかではよいほうだが、他の地域の学校に比べればやや劣るということであります。私は、どうしてかと、そのわけを考えてみました。勉強で骨身を削るためなのか。いや、どうもそうではないらしい。一つには、次の事情によるものらしいのであります。
 本校の生徒は、自宅通学者は割合に少ない。そして、大半は寮か下宿で生活しております。そのどちらでも、食事内容には、十分気をつけてくださっておりますが、なにしろ皆さんは、伸びざかり、食べざかりでありますから、三度の食事ではとても足りない。それで、腹が減ると、つい面倒のないもの、すなわち手っ取り早いものを食べてしまうらしい。つまり、菓子類、パン、インスタントラーメン、カップめんといったものであります。
 ひと月や半年ぐらいはそれでもよいが、一年、二年、三年とそれを続けていくと、高カロリーの低栄養というひずみが肉体にたまってしまい、今、申し上げたような健康状態となっているのかもしれない。そこが心配であります。
 こればかりは、一人一人が、自分自身で注意していくほかありません。ビタミン、ミネラル、アルカリ性、どうかそうしたものに十分配慮して、たくましいヤングに育っていただきたいのであります。
 皆さんは、ただいまがもっとも感性豊かな年代であります。学術用語では「インプリンテイング」といって、訳せば「刷り込み」といえますが、皆さんがその年代で経験したことがらは、いずれも強烈に記憶のなかに印刷され、それが深層心理の無意識の領域というところにたくわえられ、一生涯、その人の行動の傾向を支配するそうであります。
 でありますから、どうかこれからの三年、六年のあいだ、しっかり、あらゆる悪と戦い、つねに「善なるもの」を求め通してください。そのようにして、立派な信念の人たるべく心がけていっていただきたいのであります。
 申すまでもなく本校には、二年生、三年生という先輩がたくさんおります。この先輩たちは皆、諸君のよき兄たちばかりであります。どうか、心から打ち解けて、忠告には耳をかたむけ、指導を受けていってください。
 そして、希望に輝く立派な学園生になりますよう、心からお祈り申し上げます。
 来賓の方々にも、心から御礼申し上げるしだいです。
2  創価女子中学・高等学校 第四期生入学記念懇談会
 よき先輩に続け
 私は、皆さんの登校のようすを、八時すぎからずっと見ておりました。非常に元気そうで、私はうれしかった。
 校長先生はじめ、諸先生方の絶大なご努力によって、また皆さん方の先輩の一期生、また全員の力によって、見事にわが創価女子学園は、日本一、世界一の伝統への立派な土台を築くことができました。そして、第一期生のある人は大学で、またある人は職場で、後輩のために、地域のために一生懸命、頑張っている姿を拝見しております。
 皆さん方も、先輩の築いたこの黄金の伝統を受け継いで、三年間ないし六年間、思う存分に青春を謳歌し、学問を身につけて、そして学園っ子らしい卒業生となって、この人生を立派に飾る基礎を固めてもらいたい。真実の学園生であるならば、不幸ということはありえない。全員に使命があるし、全員が幸せになれると信じております。
 とくにきょうは、第四期生の方々と初めてお目にかかります。心から「おめでとう」と、歓迎をいたします。よき先輩に続いて、立派な伝統を築いていただきたい。伝統を築くということは、自分自身を築くということに通じます。ご存じのように、先日は皆さん方の弟、妹である創価幼稚園ができあがりました。この幼稚園も、日本一の幼稚園であります。とても可愛く、また優秀なようであります。もう二、三年で、やはり弟であり、妹である創価小学校もできあがります。全部皆さん方の兄弟であり、姉妹の学園であります。
 そういう意味から、皆さん方はその姉として、日本一、世界一の使命を確信して、幸福者として悔いのない人生を生きられるとの誇りをもって、一日一日を勝っていってもらいたい。自分に勝っていってもらいたい。このようにお願いするものです。
 この席を借りて、校長先生はじめ、諸先生方に衷心より御礼、感謝申し上げます。また、皆さん方が健康で、この二年間、六年間が、人生のうちでもっとも光り輝く黄金の日々の連続であるように、どうか仲良く、朗らかに、そして英知を磨いていってください。
3  創価中学・高等学校 第九回栄光祭〈昭和51年7月14日〉
 社会に有為な人材に
 学園の草創期を思わせるような、大変に見事な栄光祭でした。心から感動いたしました。すべての来賓を代表しまして、衷心よりご苦労さまと申し上げ、かつ御礼申し上げます。ありがとうございました。
 きょうは栄光寮の、ある寮生の一室に入って、四、五人の寮生とかりんとうを食べ、お茶をごちそうになりながら、座布団のかわりに新聞紙を敷き、横になって話をするような気持ちで、雑談をいたします。幼稚園、小学校、中学校、高等学校、それから大学とありますが、そのようなたくさんの人材をつくりゆく原点は、創価学園、なかんずく男子学園であることは、論をまちません。学園が最初に創立されたという経緯からいってもそうであります。
 先日、ある先生からうかがつた話ですが、卒業生の一人が母校を訪れてきた。その卒業生は、パイロットをめざして猛勉強をしている。その先生は、自分の教えた生徒があまりにも立派になっていたので、もう涙が出てしようがなかった。ふだんは涙なんか流さない先生なのに、うれしくてうれしくて仕方がなかったというのです。
 その生徒は、「自分のことを宣伝めいていうべきではないが、はやく一級のパイロットになって、世界の平和のために働きたい。大勢の友達を飛行機に乗せたい。なかんずく、一番最初に創立者を乗せたい、これが自分の願いです」といっていたということを聞きまして、私も本当に驚き、また、うれしく思いました。
 このように諸君の先輩も苦難の道を切り拓き、この学園の伝統を社会に昇華させるために、懸命になって活躍していることを、知っていただきたいと思います。私も十分、それを理解しております。
 また校長先生からお聞きしたことですが、ある卒業生(当時は目立たない生徒であったようでありますが)が職場で働いて、安い月給だけれども給料をもらつた。そして、校長先生を訪ねてきて、そのお金の中から「学園のために、あるいは寮生のために使ってください」といって、若千のお金を差し出したというのです。百万言の立派なことはいえても、事実の姿としての尊い行為はむずかしいものであります。
 名もない、日立たない一生徒です。しぜんの振る舞いのように、寒いときにも、暑いときにも、毎月お金を届けてくる。校長先生がその尊い行為を、非常に感銘深く話されておりました。その生徒は「一歩学園を出たときに、学園生活が本当に楽しかった。本当に自分の道をつくってくれた。自分を鍛えてくれた。外に行ってみてよくわかった」といってくれているようであります。この気持ちが尊いし、私も深く胸を打たれたわけであります。
 ともかく、自分の決めた道をなんとか一つ一つやりぬいていこうとする努力、これが大切です。調子のいいときは、しつかり成長し勉強しようと思う。反対に、調子が悪いときはすぐ苦しみ、おうのうたいだ嗅悩して、確信がなくなってしまったり、いやになってしまったり、怠惰に流されてしまったりする。そうなりがちな心との戦いです。中学生、高校生、大学の一、二年ぐらいまでは、おおむねそうであります。そのなかにあっても、諸君の世代はもっともその振幅がはげしい。あまりにもはげしい時代であります。季節でいえば梅雨時みたいなものであります。
 先日、八十一歳になる一人の老婦人をお見舞いする機会がありました。そして、その年老いた母親の言葉を、私は感銘深く聞きました。というのは、大勢の子どもさんのあるなか、貧困の連続で、親類からも、近所からも一時は韓麓される状態でありました。しかし、まさに配織どいうそのときの言葉は「私は勝った。私は勝った。今までばかのようになっていたけれども、私は勝った」であったというのです。臨終間近でありますから、そのときはお子さん方が何人も来ていた。なぜ勝ったかというと、「ただのサラリーマンとしてお見舞いに来てくれるだけでは、本当はうれしくないんだ。どんな中傷、批判を受けてもいい、男性として社会に貢献するような、そういう息子がほしかった。そして、自分の息子のなかにはそういう人間が出た。だから私はうれしいんだ。お見舞いもうれしいけれど来られなくてもいい。社会のためにどれだけ活躍したか、挑戦したか、それを見たかったんだ」というのです。その母親の姿を見、かつ聞きまして、私は真実の母親の姿というものは、女性というものは、そういうものかと仰ぎ見る思いでした。
 したがって、諸君のなかにも家が貧しくて、やっと学費を送ってもらっている人もいるかもしれません。しかし「じっとこらえて今に見ろ」という決心で、やがて二十年さき、三十年さき、五十年さき、ご恩になった方には、かならずそのご恩は返します、その人のことは生涯胸に小んで私は忘れません、という決意をもって、この二年間、あるいは六年間の学校生活を送りぬいていただきたいのであります。負けてはいけません。
 私自身は、たとえどのような悪口、雑言、中傷、批判をされてもなんとも思っていません。なぜか。私には学園生がいる、創大生がいる、人材がいます。次に続く何千何万という優秀な若き人材が、雲の湧くごとくいるんです。だから、私は日本一、世界一幸福者であると自負しています。
 私は、世界平和のために戦ってくれる後世の人たちの犠牲になっていくのが、本望なのです。私個人のことなんか、なんとも思っていません。これが、私のいつわらざる心境であります。諸君を大切にします。一生懸命、健康を祈っております。これが、創価学園の創立者の境涯であるということを、諸君は、今一度、わかってください。
 多忙でなかなか学園にも来られませんが、「獅子は伴侶を求めず」です。一つの伝統はできあがっています。あとは先生方を大切にし、また、先生方とともどもに、友情深く連携をたもちながら歩んでいってください。

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