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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和50年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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1  創価中学。高等学校第八回入学式(メッセージ)〈昭和50年4月8日〉
 学ぶ基本を身につけよ
 希望あふれる健やかな門出、諸君、入学おめでとう。伸びゆく生命の鼓動をたたえた皆さんの将来を思うとき、頼もしいかぎりです。ご父母の皆さまにも心からお祝いを申し上げます。
 学園も今年で開校八年を数えました。第一期生のなかから、今春、初めて大学卒業生も誕生し、有為な人材の第一陣を社会に送り出すことができました。あとに続く皆さんも、理想を太陽と輝かせて自己を磨き、力をたくわえて、学園生活を実り多きものにしていただきたい。
 すべて、事を行うにあたっては「何のため」というめざすべき一点を、鮮明に意識に焼きつけてこそ、挑戦への情熱が燃え、不屈の忍耐も生まれてくるものです。皆さんは学園での新しい生活を始めるにさいして、学園寮歌(現校歌)にも歌われているように、「何のため」に学ぶのかという、勉学の基本にして究極でもあるこの命題を、わが胸に問い、きょうからつづられる心の日記帳の一ページに、鮮やかに書きこんでいただきたい。
 私がイギリスの歴史家アーノルド・J・トインビー博士と対話したとき、博士は次のようなことをいっていました。「教育を受け、知性をみがいた人は″ヒポクラテスの宣誓″を行うべきである」と。
 ヒポクラテスは西洋医学の祖ともいわれる人ですが、医師になる人が「自分の専門的な知識や技能を、人間同胞の搾取に向けるのではなく、人間への奉仕に用いる」と誓うことを「ヒポクラテスの宣誓」といいます。このことは、学問を学ぶすべての人に通ずる真理であり、私もまったく同感であります。諸君は、生涯、人のため、社会のために学んでいただきたい。
 隣の中国でも、諸君と同じ世代の少年たちが、やはり真剣に努力しています。私は、この四月の中ごろに、三度目の中国訪問の旅に出発する予定です。これまで三度の訪問で数多くの青年や少年に会いました。いずれの青年も少年も「人民に奉仕する」精神を学ぶために「身体、学習、工作」に挑戦するのです、と目を輝かせ、誇りと喜びに満ちて自己の向上に努めていました。
 諸君も、次代の世界を担おうとの巨視眼をもって英知を磨き、自己を鍛え、人間賛歌が途絶えることのない平和社会を築いていってください。
 全生命、全情熱をかたむけて、悔いのない壮大な仕事に立ち向かう諸君にとって、学ぶということは人生の基礎づくりの作業といえましょう。学ぶ過程では、たんに知識を吸収するだけでなく、物事について基底部まで掘り下げて、考える力、事の善悪、真偽を鋭くとらえ、判断する力などを培うことを心がけていきたいものです。そのように、学ぶ姿勢がしっかり身につけば、学校を卒業してからも学び続けることができると思います。
 そして、よき友をつくることです。諸君の魂は萌えでたばかりの若葉のようにういういしく、清純で、繊細です。そのときに、友情という純粋にして強靭な信頼関係を結ぶということは、人生に宝を得るようなものです。互いの人格を不断に高揚しあう友情は、青春の華です。人生を美しく彩るとともに、人間形成に計り知れない影響を与えてくれます。友を信じ、みずからも友の信頼にこたえようとする生命の共鳴――それは人を思いやり、いたわるという人間理解のあたたかな心の芽生えが奏でる協奏曲といえましょう。
 みずみずしく豊かな情感は、健康な肉体に宿るものであります。武蔵野の自然が薫る学舎で、春秋に富む若き諸君は、四季折々の移ろいに妙なるリズムを感受し、時にせせらぎに心を洗うこともあるでしょう。この環境を舞台に、自然に親しみ、スポーツに汗を流し、未来に続くであろう何千、何万キロもの人生の長征に、敢然と進みゆける体を鍛えあげていただきたい。
 ときには、失敗もあるでしょう。多感な青春期には、劣等感にさいなまれることがあるかもしれません。だが諸君には尊い目的があります。弱い心を克服して、希望と努力の挑戦を貫き通していくことを、私は願います。
 イギリスの小説家ゴールドスミスは、こう述べています。ヨロ人の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなくて、倒れるごとに起きるところにある」と。
 若き日の失敗は、また前進ある失敗は、決して失敗ではありません。一人一人が失敗をよき経験として、次の飛躍の因にする粘り強い発展の人生であっていただきたい。
 ともあれ、諸君のそのような人生の一切の基盤が、この学園生活で築かれていくのです。それを心にしっかりとおさめて、みずからの強き翼を鍛えつつ、やがて羽音をたてて飛び立つ日にそなえていただきたいことを心から祈って、私のお祝いの言葉とします。
2  創価女子中学・高等学校 第三回入学式(メッセージ)〈昭和50年4月9日〉
 人間としての軍心」を確立
 本日は、希望にあふれての晴れやかな入学式、まことにおめでとうございます。創価女子中学も高校も、本年でいよいよ開校三年目。初めて、一年生から三年生までの全学年の生徒の皆さんの顔ぶれがそろいました。春の陽光を浴びて萌えだした、この交野の里の木々の若芽のように、皆さん方一人一人の生命のなかには、力強く伸びゆく力と可能性が秘められています。
3  自分をよく知り、みずからを鍛えていこう
 門出の日にあたり、私は、皆さんにいくつかのお願いと約束をしておきたい。
 まず「自分をよく知り、みずからを鍛えていこう」ということであります。エマーソンは「偉大なことで熱意の力なしで成しとげられたものは一つもない」といっている。熱意こそは、明かりをともす発電機のようなものであり、人を動かし、眠っているエネルギー、才能をゆり起こし、偉大なる成長へと導くものであります。
 勉強とは「強いて勉める」と書きます。弱い心や障害と戦いながら、向上に努めなければならない。そのさい「だれでも、時には熱心になるものである。ある人は熱意をもつのがたった三十分であり、ある人は三十日間である。しかし、人生で成功するのは三十年間の熱意を持ち続ける人間である」とのエドワード・B・バトラーの指摘も心しておきたい。何事をなすにも、持続の二字こそ、偉大なる力なのであります。
 精神や知識の面だけでなく、肉体をも大いに鍛えて、健康をわがものとしていただきたい。磨いた人格も、たくわえた力も、健康であって初めて生きてくるからです。
 そのうえで、おのおのの特性を伸ばし、個性的な人になっていただきたい。皆さんもよく口ずさむ「春の小川」という歌に「岸のすみれや れんげの花に……」という歌詞がありますが、春の野の花々がそれぞれに「すがたやさしく 色うつくしく」自分らしく精いっぱいに咲き誇っている――こんな光景を、私は皆さんの未来の姿と二重写しに思い浮かべます。
 そうした自分らしさのなかで、つねに新しいものをつくりだそうとする創造性と、人のため、社会のために貢献しようとする社会性を、たもち続けてほしいのです。平凡な生活のなかにも、新鮮な感動、喜びを発見できる人は、自己を創造的に生きているといえましょう。風にそよぐ一枚の葉にも、脈打つ光の鼓動を聞いてほしい。道端に咲く名も知らぬ野草にも、心を養ってほしい。しかし、それは感傷であってはならない。強靭な生命力でいかなる荒波も乗り越えていく、正義と勇気のうえの心の豊かさであっていただきたい。

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