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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和49年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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1  創価女子中学・高等学校 第二回入学式(メッセージ)〈昭和49年4月9日〉
 五項目を体得し大きく成長を
 創価女子中学・高等学校に入学された皆さん、本当におめでとうございます。
 私は学園の創立者として、皆さんの希望に満ちた門出のお喜びを申し上げようと思い、ロサンゼルスから電文を書いております。
 緑深い山腱ばいだかれて、古来より万葉の歌にも謳いつがれてきた交野の地に、全国から選ばれて集ったすがすがしい新入生の皆さん、あなたたちの紅潮した顔が、ここロサンゼルスの青い空にも映えうつっています。
 きょうから女子学園は二年目を迎えることになりました。この一年間、学園の建設、発展に全魂を打ち込んでくださった教員、職員、生徒の皆さん、さらにはご父母の皆さま、学園を心から応援していただいた関係者の方々に、本当にご苦労さまと心からお礼を申し上げます。
 私は昨年の開校式、入学式のときに、当学園のモットーとして「現代におけるもっともはつらつたる学園」「人間陶冶のもっとも理想的な学園」「学び得た知識が人生の知恵として生きる学園」を創りたい、創っていただきたいと申し上げました。
 私はふたたび、このモットーを貫いていただきたいことを切望しております。
 さらに第一期生はもとより、第二期生の皆さんには在学中にぜひとも「伝統、平和、躾、教養、青春」の五項目を体得し、真の人間として、社会の人々のため、そして後輩の味方となっていける人間に成長していただきたいことを念願いたします。
 私は今年も、全力をあげて皆さん方と一体となって頑張ってまいります。
 ではまた、さようなら。
2  創価学園大会〈昭和49年4月19日〉
 正義と責任をもつ勇敢な人生を
 きょうは、せめて諸君に思う存分、食事を召し上がっていただきながら、少しでも思い出を残し、そしてまた新しいおのおのの分野で、楽しく朗らかに前進していただきたいという真心から、皆さんをお招きしました。
 ともかく、私がまず申し上げたいことは、「鳳雛よ、大空に向かって伸び伸びと飛びゆけ」また「学ばずは卑し」ということでぁります。青春時代は勉強するよりも、遊んだほうがむしろおもしろいかもしれないけれども、しかし、今、勉強しておかないと、十年、二十年、三十年、五十年さきに自分が悔いてしまう。その意味において、学園を巣立った諸君は、学ばないということは卑しいことなのだということを、生涯、心に秘めて、たとえスランプになっても、勉強することがいやになっても、決して忘れないでいただきたいと思います。
 さきほど、何人かの卒業生の代表に申し上げたのは、不満と満足という問題です。たしかに皆さんを取りまく環境は、不満の連続であるかもしれない。けれどもそのなかにあって、不満だけいって終わってしまったならば、それこそ卑しい人生で終わってしまう。地獄の人生になってしまう。その不満というものを、自分の境涯を高め、また自分の力を深めて、何とか身近なことからでも満足できるように回転させていき、自分自身の人生の最終にあって、自分としては満足だったといえる人生を送ってほしい。そうでなければ、何のための人生であったのか、ということを私は心配するのであります。不満、批判もいいけれども、しかし自分の胸中において「満足」――満ち足りたというものをつくりながら、自分の人生を回転させていこうということも、どうか忘れないでいただきたいと思うのであります。
 ある本で紹介されている物語のなかの一つに、次のようなものがありました。
 南米のチリの首都サンチアゴで、三千人以上の人を集めた教会の会合があり、そのときにカトリックのローマ法王が派遣した使節が来ました。当時、チリにおいては大変な不況時代であったにもかかわらず、多くの上流階層の貴婦人等々が大変高い入場券を買い、ぎっしりとその教会に入るくらいの盛大さであったそうです。
 その夜、会場は二万のランプと二千のロウソクで輝くばかりでした。そして最後に大きなロウソクをつけました。そのロウソクをつけたときに、一本のロウソクから布のほうに人がまわり、ずっと上のほうまで燃えあがってしまいました。しかし、信者たちはかならずイエスが火を消すであろう、と信じて黙って見ていました。そのうちボーボーと人がまわってしまい、約二千人の人が焼け死んでしまったというのです。
 そのとき、そこを通りかかった当時のアメリカ大使が、それを見てなかに入り、約五十人の人を救ったといわれています。その大使の勇敢な、献身的な姿を見て、数人が飛び込んで救出にあたったともいわれています。それに反して、ローマ法王の使節であり、人類を救うべき立場にある神父は、即座に雲隠れして、どこへ隠れたかわからない。
 なぜこんな話をするのかというと、一つは人間があって、宗教があるということをいいたいからなのです。人間の生命こそ大切である。自分自身のエゴで逃げ隠れしたり、難というものを避けようとして、ずるく卑しく逃げ隠れして長生きしてお金を儲けたとしても、自分の胸中においては恥ずかしく、悲しい人生の終末であると思う。
 したがって、諸君は自分も大事にしなくてはならないけれども、人間を大事にしていただきたい。いざという時には正義の心をもって、そのアメリカの大使のごとく、また、大使の姿を見て奮闘し、人を救っていった勇敢な人々のように、心意気と責任をもっていただきたいということを、はなむけとしてお話をさせていただいたわけです。
 諸君のなかから偉大なノーベル賞受賞者が、また、あらゆる世界的舞台、日本的舞台で活躍する人が、かならずや出ることを私は期待しておりますし、信じております。しかし、これは皆さんの四十代以降で結構なのであります。使命があればしぜんにそうなっていくでしょう。そればかりでなく、無名であっても貧しい人のなかに入って、そして、尊い庶民の仲間として、兄弟として、堂々と、地道に歩んでいく人がたくさんいることを信じたい。
 ともかく学園兄弟として、何らかの二十一世紀の偉大な脈動だけは、学園の卒業生にはある、そして、あったといわれる皆さんであっていただきたい。
 最後に「学園の卒業生万歳!」と叫び、学園の卒業生はいつまでもいつまでも学園を愛し、そして、また、学園で育ったことを誇りとして生きぬいていただきたいことを心より祈って、私のあいさつとさせていただきます。
3  創価中学・高等学校 第七回栄光祭〈昭和49年7月17日〉
 大鷲のごとく世界へ羽ばたけ
 第七回の栄光祭、本当におめでとう。学校としてのお祭りに、東南アジアの方々が来て交流をするような学校がどこにあるでしょうか。その意味においても、諸君の福運というか、世界に羽ばたく使命が明瞭である、と私は訴えておきたいと思うのですが、諸君、どうでしょう。
 私はもう四十六歳で、多少、鷲の羽もすり減っているけれども、諸君はこれから大鷲となって、社会のリーダーとして、たくましく伸び伸びと、天空に舞っていただきたい。それが私のただ一つのお願いであります。その意義をこめて、きょうの第七回の七月十七日を記念して、この「鷲」の置き物を諸君に贈呈させていただきたいと思います。
 これから上映する映画は、私が今年、中国を訪問したときのものです。その中国のおみやげとして、諸君の将来のために何らかの参考になればと思って、きょう封切りのこの映画を用意しました。

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