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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和44年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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1  創価中学・高等学校 第二回栄光祭〈昭和44年7月17日〉
 二〇〇一年七月十七日をめざして
 今晩の君たちは、どの場面を見ても、次の世代、二十一世紀を築く力ある理念と目的と信念をもって、雄々しく進んでいることはまちがいないと思いました。偉大な使命と目標をもった諸君であることを、私は世界第一の誇りとしたいのです。どうか伸び伸びと、たくましく、仲良く、この学園生活を立派に送っていただきたいことを、心から念願するものです。「健康な英才主義」という、創立者としての私の理念や希望は、全部実現されつつあります。私はそのことが何よりもうれしいのです。
 私の本命は、つまり人生の根本の総仕上げは、二十一世紀に誇る指導者をつくることです。その方法は教育しかありません。その教育に全魂を打ち込んでいくのが、私のこれからの一切の仕事です。したがって私は、学園の創立者として、諸君が偉大な大樹になってもらいたいことを、つねに念願としておりますので、どうか頑張ってください。
 きのうは、アポロ11号が打ち上げられたが、成功させたい。月の世界に第一歩をしるす、人類の長年の願望を遂げてほしいと思う。なぜならば、そうすればするほど、宇宙時代が早まってきて、人類は皆、地球号の乗組員という意識が高まっていけば、戦争はなくなると考えられるからです。あの推力三千何百トンというロケットを作るには、大変な金額が必要でしょう。大変な税金を集めなければならないでしょう。それをもっともっと不幸な人のために使っていけばいいのではないか、とも考えられますが、人類の未来に思いをいたし、戦争をやめさせるという意味においては、成功させたいと思うのです。
 きょう、なぜこのような話をするかといえば、諸君は、新たな時代を生きる指導者だからです。二十一世紀まで約二十年。諸君はそのとき、四十代です。私は四十一歳になりました。これからの十年間、また十五年間が働き盛りです。すると諸君は、ちょうど今の私と同じ年代に二十一世紀を迎えるのです。西暦二〇〇一年七月十七日、この日に諸君は、社長や重役になっているかもしれない。ジャーナリストとして、大活躍をしているかもしれない。またある人は、庶民の指導者として、地味ではあるが輝く人生を生きているかもしれない。ある人は科学者に、芸術家に、医師にと、あらゆる世界に、第一期の卒業生、第二期の卒業生として活躍していると、私は信じます。その西暦二〇〇一年七月十七日に、この時間でもいい、そのときもたくさんの諸君の後輩が栄光寮に入っていることでしょう。学校も、もっと広くなっているかもしれない。いろいろ変わっているかもしれませんが、きょう集まったこの一千人の先駆の皆さんが、その日は一人も欠けることなく、きょう集まった先生方と、全員集まろうではないですか。その日を目標にしよう。
 なぜならば、たとえば、諸君の学校も完成するまで一年数力月かかった。その学校は、木材にしても、何十年間の年輪を刻んでいるでしょう。コンクリートも、どこかから運んできた。そのコンクリートをつくっているセメント自体、その素材となった石を考えると、何十年、何百年、ある場合には何千年もかかってできたかもしれない。あらゆるものが、一朝一夕にはできません。安易にできるものは絶対にない。これが道理です。法則です。
 きょうの栄光祭のいろいろな催し物も、いくら練習不足とはいえ、やはり一日か二日はかかったでしょう。なにも用意しないでやるということは、まずないと思うのです。このように、どんなことでも、一朝一夕にはできません。したがって諸君がこれから四十代になるまで、いろいろなことがあるでしょう。けれども、やはり一つ一つ苦しいことも、楽しいことも、いやなことも、全部自分自身の指導者としての訓練として克服していってほしい。学園寮歌「草木は萌ゆる」(現校歌)に「人を愛すは 何んのため」「平和をめざすは 何んのため」とあるように、いろいろ目標があり、その目標を達成するためには時間がかかる。年月がかかる。努力が必要である。自分自身との戦いが必要です。そうして、はじめて達成されるということを、私は強調したいのです。その決勝点として、西暦二〇〇一年七月十七日の日に――健康で世界に輝く存在として集まっていただきたい。一人も死んじゃいけないよ。自分はまだ係長になれないから、行くのはやめてしまおうかなどと考えてはいけない。
 ここから巣立った人です。獅子から育った子は皆、獅子です。病弱であっても獅子です。そうでしょう。創価学園から育った人材は、どんな人であっても、栄光輝く使命を担った存在なのです。役職や、社会的地位が高いからとか、低いからとか、富んでいるとか貧しいとか、そんなものは問題ではない。大事なのは人生です。人間主義です。その二十一世紀の七月十七日を楽しみにして、私もまた道を拓き、諸君を陰ながら見守っていきます。これが私の最大の喜びであるし、私の人生です。そういうつもりでおりますから、どうか立派な人材となり、思う存分、人生を堂々と闊歩していっていただきたい。
2  (真の包容力とは何でしょうか、との質問に答えて)
 今はまだ、諸君は包容力などいりません。一生懸命自分らしく生きていきなさい。そのうちに、しぜんにわかってきます。しぜんにできあがってきます。焦ることはありません。今から諸君が、一から百まで四十歳の人と同じような人格であったら失敗です。今は現在のままで、自分らしくいけばいい。再来年は、さらに立派な青年に育ち、やがて偉大な指導者に育っていくのです。
 一つには各自の自覚も必要ですが、今は先生方がきちんと考えて指導してくれます。安心しなさい。またそのことで真剣に悩みなさい。悩んでいけば、しぜんに包容力もでてきます。人からいわれて、そうかという、そんな簡単な問題ではありません。
3  (成績のことについての質問に答えて)
 成績がよくなくても、偉大な使命を自覚し、その路線の上を進んだ人は立派になるし、偉くなります。下のほうでも偉くなる人はたくさんいるし、上のほうだからといつて偉くならない人もたくさんいます。ただ私は、自信をもって進んでもらいたいと思います。
 自分はいつも成績が悪いから、だめなものはだめなんだ、などと考える必要はありません。アポロを打ち上げた立役者の一人にドイツ人がいます。その人は勉強があまりできなかった。そのかわり、天文学にかけては絶対に負けなかった。学校の先生よりも勉強していて、みんなに教えたという。そうした場合もあります。むろん成績はよくなってもらいたい。しかし、上であってもかならずしもよいとはかぎらない。下だからといつて、かならずしも悪いとはいえない。成績が下のほうでも、偉くなった人はいる。一人も使命のない人はいないのです。全員が自信をもって、伸び伸びと、自分の前にある山を登りきっていこうという果敢な戦いだけはしてもらいたい。
 深い悲しみのあった人ほど、世界の指導者になれるのです。悲しみをたくさんもてないような人間、悩みをたくさんもてないような人間は、偉い人にはなれません、と申し上げて、本日のあいさつとさせていただきます。

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