Nichiren・Ikeda
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昭和三十四年(十二月)
「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)
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1 十二月四日(金) 快晴
横浜に一般講義。開港記念会館。
「佐渡御書」の後半。
先生のお講義の、いかに大変でありしかを、つくづくと知覚する。生命力と英知あふるる、名講義をしたいものだ。
昭和三十五年、三十六年、三十七年、三十八年と、この四年間が、学会の将来を決する、最も大切な年となるにちがいない。
先輩幹部の、求道心なきを心配する。慢心に傾きゆく姿を憂う。
優秀な青年をないがしろにしては、未来の広布の進展は決してない。若き英才が、学会を発展させていくのだ。無能な先輩になることなかれ、と忠告したくなる。
2 十二月十二日(土) 曇
午後零時三十分発にて、仙台へ。講義ならびに指導のためなり。
大支部と思いしに、さにては非ず。指導者は、決して過大評価は禁ずべきである。
S荘に一泊す。
幹部と心ゆくまで語る。皆、善人であり、東北の名将だ。嬉しい。大切にしてあげねば。
仏法の指導は、御書にまかせ、その実践は、師である戸田先生の指導を、根本としてゆくべきは当然至極である。それなのに、一幹部の売名的な指導に、皆、混乱して苦しんでいるとは──。
3 十二月二十日(日) 雨
東京午後一時三十分発で、総本山へ。
寒し。
小生の本年最後の、登山会の担当。
大講堂で質問会。全力投球す。
宿坊に帰り、ぐったりした身体を、横にして種々思索。
一日も早く、僧俗一致の実現を。
本山と学会で、毎月連絡会議を。
戸田先生の亡き本山も、また淋し。
夜半まで、雨しきり。寒さも、またしきりであった。