Nichiren・Ikeda
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昭和三十三年(八月)
「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)
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1 八月十日(日) 晴
八日──特急「つばめ」にて京都へ。三等車、またよからずや。
幹部と種々打ち合わせ。
終わって嵐山へ。鮮がなる風光、詩情あふるる日本人の心の齢殿、京都。
九日も暑し。早くから目覚む。在京都。
午後七時十分発の「雲仙」にて、九州へたつ。
K女史らと一緒。車中‥‥教学のことなどを研究し合う。
十日朝──八時少々過ぎ、博多駅着。暑い。
九州本部の落成入仏式のため。
防塁跡の名所。松に強風を偲び、石塁に防人の奮戦を想う。
ボタ山に、まのあたりに現実社会の貧を思い、玄海のアサリとりに、羽田の少年時代を偲ぶ
雑然たる会合であった。師なき今、学会に、いま厳然たる指導者、おらざる所以か。
2 八月二十日(水) 曇
十六日からの──長野方面、諏訪方面の指導より帰る。
本日、特急「つばめ」にて、一転──関西へ、そして九州へ。先生とのお約束だ‥‥私は遂に戦い始めたのだ。
鹿児島、桜島──宮崎指導へと、いよいよ師子奮迅の力を発揮。とくに青年部の嬉しそうな顔、顔、顔‥‥。この純粋なる後輩のためにも、われわれは闘うぞ。
暑き九州に、汗の歴史あり。
3 八月二十七日(水) 晴
夕刻四時三十分──東京駅着。
文京の友、葛飾の友ら、迎えに来てくれる。妻と子供も。
本部へ直行。理事長らに、報告。本部、相変わらず。
暑い日であった。
夜、葛飾ブロック大会に出席。
十一時少々過ぎに、帰宅。
休む前、『法華経』を開く。
諸子等に告ぐ 我に種種の
珍玩の具 妙宝の好車有り
羊車鹿車 大牛の車なり
今門外に在り 汝等出で来れ
吾汝等が為に 此の車を造作せり
意の所楽に随って 以って遊戯すべし──と。(法華経譬喩品)