Nichiren・Ikeda
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昭和二十九年(四月)
「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)
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1 四月一日(木) 薄曇
春暖。
再び、春来たるの感あり。
躍進の候と、せねばならぬ。
楽しみあり、憂いあり―――互いに交錯する青春の譜。
六時三十分、青年部会。
於教育会館。
青年部の歩調、実によく揃う。
次期段階を考え、全魂を打ち込む。
この人、との青年、二十年後、必ず檜舞台に立たせねば―――。責務重大なり。
命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり、法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし、閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし、日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生犬に劣る、云云(可延定業書)
2 四月二日(金) 雨後曇
朝、I君と、先生訪問。
五時、常在寺に、Tの反逆事件で談判に行く。筆頭理事をはじめ、数名にて。
八時、S宅にて、参謀会議。
講義終えられた先生来たり、原子爆弾の如く、叱る。
青い、青いと。ふるえられ乍ら、叱って行かれる。先生の真意、全くわからず、猛省する。
但日蓮一人前り此の事を知りぬ、命を惜みて云はずば国恩を報ぜぬ上・教主釈尊の御敵となるべし、是を恐れずして有のままに申すならば死罪となるべし、云云。(一谷入道御書)
3 四月三日(土) 晴
昨夜のお詫びに、戸田先生の自宅に伺う。
時に、五時四十五分。
先生、誠に、御機嫌悪し。
七時三十七分発にて、関西へ。東京駅まで、お見送りする。
なかなかお許しを頂けず、心晴れず。
夜、支部新任幹部の・お祝いの為、会食。皆は、至極元気なり。
末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、云云。(阿仏房御書)