Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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昭和二十五年(十月)  

「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)

前後
1  十月二日(月) 雨
 夕刻、恩師と共に、小岩のk宅を訪う。二人して、電車中にて、種々仕事の話。
 帰り、小岩駅前にて、おすしを御馳走になる。
 帰りの車中は、エミールの話、文学の話に花が咲く。目黒駅まで、お送りする。
 帰宅、十一時。先生のお宅まで、お送りしなかったことを悔ゆる。
 法華経は初は信ずる様なれども後遂る事かたし、譬へば水の風にうどき花の色の露に移るが如し、何として今までは持たせ給うぞ是・偏へに前生の功力の上・釈迦仏の護り給うか、たのもしし・たのもしし。(松野殿女房御返事)
2  十月四日(水) 雨
 一妙真如の理なりと雖も悪縁に遇えば迷と成り善縁に遇えば悟と成る悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり。(当体義抄)
 自覚するということは、最も大事なことだ。事に処して、自覚なき人は、風波に消えてゆく。自覚こそ、理念の根本といえようか。
 社会には、勝つ人もいる。敗れる人もいる。運、不運は計りしれない。而れども、勝っても、永久にその歓びは続くものではない。一時負けても、自覚の有る人は、勝者以上に、より高く、広く、深く、将来の、偉大さを、築きゆけるものだ。永久に、敗れざる限り、次への一歩一歩の、勝利を確信して生きぬくことだ。
 敗れしことを、味わった人とそ、真実の、勝利の歓喜を知ることができよう。
 勝って驕っている人の顔。敗れて悲しんでいる人の顔。所詮、滑稽なことだ。何を目指して、いかに自覚して、生きているか。これが、大事だ。この自覚こそ、信心よりないのだ。
 S宅、K宅、H宅を、重役と共に訪問。帰宅、十二時。
3  十月七日(土) 快晴
 六時三十分、起床。
 靴が毀れて来て、全く困る。
 洋服が破れて来て、全く弱る。
  青年よ
  君達は、若いのだ
  若いということだけで、誰よりも強いのだ。
  その、自覚を忘れずに、人は修行をすることだ。
  君達が、歓喜して、生きずして、
     人類の、歓喜は、どこにあるか。
  君達が、迷う姿、驚く姿は、
     それは、若芽が、大気に戦く幻影にすぎない。
  君達よ、若葉が香る。暑さにも、寒さにも耐えぬいて。
     この、生命の姿を忘れてはならぬ。
  君達の、思念、努力、精進、実践。
     それは、すべて、未来の血肉になることを忘れてはならぬ。
  社会は、遊戯場ではない。
     いかなる、社会でも、時代でも、耐え尽くせる、自己を作ろう。
 帰宅、十一時御書拝読。疲れる

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