Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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我時語衆生。常在此不滅。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
1  我時語衆生。常在此不滅。以方便力故。現有滅不滅。余国有衆生。恭敬信楽者。我復於彼中。為説無上法。汝等不聞此。但謂我滅度。我見諸衆生。没在於苦海。故不為現身。令其生渇仰。因其心恋慕。乃出為説法。
 我れは時に衆生に語る 常に此に在って減せず 方便力を以ての故に 減不滅有りと現ず 余国に衆生有りて 恭敬し信楽せば 我れは復た彼の中に於いて 為めに無上の法を説く 汝我は此れを聞かずして 但だ我れは滅度すと謂えり 我れは諸の衆生を見れば 苦海に没せり 故に為めに身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ 其の心は恋慕するに因って 乃ち出でて為めに法を説く
2  〔通解〕──その時(釈尊仏を渇仰する滅後の衆生の前に出現した時)に、私は衆生に語るだろう。「私はつねに霊鷲山に存在し続けており、滅することはない。方便の力で、入滅の姿や滅することのない姿を現すのである。他の国土で私を敬い、信ずる者があるなら、私はその中に出現して、その人々のために、このうえなき法を説くのだ。しかし、あなたたちはこれを聞かず、ただ私が入滅したと思っていた」と。
 私は、多くの衆生が苦しみの海に沈んでいるのを見る。それゆえ、姿を現さず、その人々に渇仰の心を生じさせる。衆生に仏を恋い慕う心が生じることによって、私は姿を現し、法を説くのだ。
3  〔講義〕仏は、人中の太陽です。仏は、求める人がいれば、どこにでも現れ、「太陽」の輝きをもって、人々を照らします。「偉大な人の輝きを見よ。まるで、空中の太陽のように輝いているではないか」(相応部経典)──釈尊の弟子の一人は、師の偉大さを讃えて、このような詩を詠みました。
 地上から見て、たとえ雲で隠れて太陽が見えなくても、太陽は、厳然と存在しています。仏も、永遠に常住です。仏の真実の姿は、本来、「常在此不滅(常に此に在って減せず)」なのです。しかし、仏がつねに衆生のそばにいると、衆生は仏に頼り切ってしまう。そこで、釈尊は弟子を自立させるために、「方便力」を用いて、「減不滅」、すなわち、″入滅の姿″や″生きている姿″を現すのです。

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