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日蓮大聖人・池田大作

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然今非実滅度。而便唱言。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
1  然今非実滅度。而便唱言。当取滅度。如来以是方便。教化衆生。所以者何。若仏久住於世。薄徳之人。不種善根。貧窮下賎。貧著五欲。入於憶想。妄見網中。若見如来。常在不滅。便起僑恣。而懐厭怠。不能生於。難遭之想。恭敬之心。
 然るに今、実の減度に非ざれども、便ち唱えて当に滅度を取るべしと言う。
 如来は是の方便を以て、衆生を教化す所以は何ん、若し仏は久しく世に住せば、薄徳の人は善根を種えず、貧窮下賎にして、五欲に貧著し、憶想妄見の網の中に入りなん。若し如来は常に在って減せずと見ば、便ち僑恋を起として、厭怠を棲き、難遭の想、恭敬の心を生ずること能わず。
2  〔通解〕──(仏は常住不滅であり、これからも寿命は尽きることはない)にもかかわらず、今、真実の減度ではないけれども、まさに、仏は滅度するだろうと唱えるのである。如来は、この方便をもって衆生を教え導くのである。その理由は何であろうか。
 もし仏が久しく世の中に住するならば、徳の薄い人は、善根を植えようとしないだろう。また、貧しく賎しい生活に落ち込み、眼・耳・鼻・舌・身が起こす五つの欲望にふけり、執着し、さまざまな間違った思想の網の中に入ってしまうだろう。
 もし如来が、つねにこの世にあって入滅しないと見れば、すぐに驕りや、ほしいままの心を起こして、厭い、怠る心を抱いて、仏に対してなかなか会えないと慕う思いや、仏を敬う心を生ずることができないだろう。
3  〔講義〕仏の寿命は本当は永遠なのに、なぜ入滅するのか──その理由を述べていきます。これは、後に自我偈のところで学ぶ「方便現涅槃」の文につながっていくテーマです。
 結論から言えば、釈尊の入滅は、衆生を仏と同じ無上の境涯に導くための最大の「方便」だったのです。仏の智慧。仏の慈悲。仏の闘争。そのすべてを、弟子たちの生命に打ち込み、同じ道を歩ませるための精神闘争の結晶が、この寿量品の説法です。

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