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日蓮大聖人・池田大作

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方便品について  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
1  ″万人を仏の境涯に″が仏の願い
 法華経は、胸中に太陽を昇らせる。胸奥に太陽が輝いていれば、いつ、いかなる環境にあっても、心には快晴の空が広がる。
 五月の青い青い空のように。そして、心が常楽我浄であれば、国土もまた常寂光土と輝く──。
 だれもが、胸中に太陽を持っている。しかし、気づいている人は、あまりにも少ない。この「仏界」という、わが胸中の輝きを教えた経典が、法華経です。
 「自分自身が仏である」「わが胸中の太陽を仰げ」──これが法華経の真髄であり、方便品のメッセージです。
 釈尊は、皆の中に自分と同じ「仏」を見た。自分が悟った道を、だれもが歩めるようにした。″人間は皆、尊い″″人間以上の人間はいない″という厳然たる道理のうえから、釈尊は民衆の輪の中に飛び込み、法を説き続けたのです。
 釈尊は方便品後半で、仏が出現した目的は、衆生の中にある仏の智慧(仏知見)を「開き」「示し」「悟らせ」「入らしめる」ためであると説いている。
 そして、″皆、私と同じ仏の境涯になれる。この法華経を説いたことによって、私の昔からの誓願は満足した″と述べています。
 こうした方便品の精神は、深い意味での「人間教育」と言えると思う。
 なぜなら、仏法は、一人の人間の無限ともいえる可能性を認めることから出発する。仏界という最高の宝が、自身の胸中にあることを目覚めさせ、それを引き出す方途を教えているからです。
2  仏法は限りない向上への道
 自身の内なる宝に気づいた人は、今度は他人の宝に気づき、他人を心から尊敬する。そして、他者に対する触発と貢献への「行動」に立ち上がっていく。
 その中でこそ、自身の宝が磨かれる。自身の可能性、尊厳性への確信が深まっていく──。こうした人間の「限りない向上」への道が、仏法なのです。
 舎利弗たち声聞も、この方便品によって目覚めていった。人間の中に入る行動を誓い、″民衆に奉仕する声聞″となった。″真の仏弟子″が誕生したのです。
 舎利弗たちは、師の深い慈悲を感じたにちがいない。自己中心に固く閉ざされていた声聞の心に、智慧の大光が差し込んだのです。心が大きく聞かれ、広がったのです。
 そして、この広大無辺の仏の境涯に導くことが、仏の本意であったことを知った。二乗(声聞乗・縁覚乗)や三乗(二乗と菩薩乗)を目指すことは、真実の教えではなかたことに気づいたのです。
 仏の境涯に導くこの教えを、「開三顕一」──三乗を聞いて一仏乗(成仏の教法)を顕す──という。この開三顕一こそが、法華経の前半、迹門の中心の教えです。なかでも、開三顕一の骨格が示されている方便品は、迹門全体の柱となります。
 「方便」とは、仏法上、仏が衆生を導くために用いる巧みな手立て、方法をいう。それを可能にする仏の智慧を讃嘆しているのが方便品です。さらに、「方便」の深い意義については、本文で講義していきたい。
 私たちが読誦している経文は、この方便品の冒頭の一部ですが、一品全体の中でも最も重要な部分です。その経文の内容を、簡潔に紹介すれば、まず、釈尊は、諸仏の悟った智慧が甚深無量であると明かしています。それは、舎利弗らがとうてい、知ることはできない境地である、と。そして、釈尊自身が、その智慧を、譬喩などを用いて衆生に巧みに説いてきたことを述べていく。
 最後に、諸仏の智慧とは「諸法実相」にほかならないことが明かされ、私たちが読誦している範囲は終わっています。
 この諸法実相こそ、「一切衆生が皆、仏である」という考えを表した法理なのです。ここで、万人の成仏への道が理論上、示されている。このように、読誦している範囲は、方便品の中でも真髄の部分なのです。

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