Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第一章 「開目」 大聖人に目を開け! 民衆に目を開け!

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

前後
1  講義
 「開目」――。
 まさに「開目抄」全編の主題は、「開目」というこの題号に尽きているともいえます。
 「開目抄」の御真筆は現存していませんが、本文を認められた和紙の上に、大聖人御自ら「開目」と書かれた和紙一枚の表紙が加えられていたとの記録があります。
 「開目」とは、文字通り「目を開く」ことです。また、「目を開け」という大聖人の呼びかけと拝することもできる。
 閉ざされた心の目を、どう開いていくのか。
 無明の闇を、いかなる光明で照らしていくのか。その解決の道を開かれたのが、末法の御本仏日蓮大聖人であられます。
 「一切衆生の救済」と「立正安国の実現」を目指し、あらゆる魔性と戦う法華経の行者としての闘争の炎は、北国の佐渡に流されても、いやまして燃え盛っておられたと拝されます。
 その大聖人の御心境が示されているのが、「開目抄」のあまりにも有名な次の一節です。
 「SC136E」
 「SC137E」
 社会的に見れば、大聖人は流人です。権力の弾圧による冤罪ではあっても、死罪に次ぐ重罪の流刑を受け、いわば、天然の牢獄に入れられたに等しい。しかし、大聖人の心を縛りつけるいかなる鎖も存在するはずが、なかった。
 古今東西の歴史で、迫害の受難に耐えぬいた賢人・聖人は少なからず存在します。しかし、迫害の地で、人類を救う宣言をされたのは大聖人だけでしょう。
 「我日本の柱とならむ」
 いかなる迫害も、あらゆる魔性も、民衆救済の誓願に立ち上がられた大聖人を阻むことはできなかった。
 そして「内なる生命の法」に目覚めた人間は、どれほど尊極な魂の巨人になれることか。
 日蓮仏法は、「人間宗」です。
 大乗仏教の精髄である法華経が開いた「人間の宗教」の大道を確立され、全人類の幸福と平和実現への方途を未来に残してくださったのが日蓮大聖人です。
 まさに、大聖人こそ、人類の「柱」であり「眼目」であり「大船」であられる。
 その「柱」を倒そうとしたのが、当時の日本の顛倒した権力者であり、諂曲にして畜生道の僧たちでありました。
2  佐渡の過酷な環境のなかで御執筆
 「開目抄」を書かれた由来については、大聖人御自身が「種種御振舞御書」に詳しく記されています。
 「SC138E」
 ――さて(塚駅問答が終わり)、皆が帰ったので、去年の十一月から構想していた「開目抄」という書二巻を造った。これは、頸を斬られるのであるならば、日蓮の不思議を留めておとうと思い、構想したのである。
 この文の心は「日蓮によって日本国の有無(存亡)は決まる」ということにある。譬えば家に柱がなければ保つことはできない。人に魂がなければ死人である。日蓮は日本の人の魂である。平左衛門はすでに日本の柱を倒してしまった。そのために、ただ今、世が乱れて、いつのまにか夢のように嘘が横行し、この北条一門が同士打ちして、後には他国から攻められるであろう。たとえば「立正安国論」に委しく述べた通りである。このように思って(「開目抄」を)書き記して、中務三郎左衛門尉(四条金吾)の使いに持たせた――。
3  この一節は、文永九年(一二七二年)二月の「開目抄」御執筆の時点での大聖人の思いを後に回顧されている内容ですが、まず「去年の十一月」つまり佐渡御到着直後の文永八年十一月から「開目抄」を構想されたと仰せです。
 大聖人が極寒の地・佐渡の塚原に到着されたのが十一月一日。
 佐渡の塚原三昧堂とは、墓所の「SC139E」にある堂のことです。一間四面の狭い堂で、祀るべき仏もなく、板間は合わず、壁は荒れ放題にまかせている廃屋同然の建物であった。
 冷たい風が容赦なく吹き抜け、雪が降り積もる環境のなかで、敷皮を敷き、蓑を着て昼夜を過ごされた。慣れない北国の寒さに加え、食糧も之しく、十一月のうちには、お供してきた数人の弟子を帰している。
 「SC140E」。筆舌に尽くせないほどの劣悪の環境のなかで、現身に餓鬼道を感じ、八寒地獄に堕ちたと思わせるような状況であると、大聖人は記されています。「佐渡の国に流されて、命を全うできる人はいない。命を全うしても、生きて帰ることができた人はいない。流人を打ち殺しても、なんのお咎めもない」(御書917㌻、趣意)と言われていた。
 そうした劣悪な環境のなかで、日蓮大聖人は、思索を深められ、人類を救う大著を書きつづられた。四百字詰め原稿用紙で言えば、百余枚に相当する著述を、約三ヵ月間で構想・執筆されたことになります。
 大聖人は、佐渡に到着されて、直ちに民衆救済の書の御執筆を開始されたのです。
 佐渡における大聖人の御境地について、戸田先生は、こう語っておりました。
 「成仏の境涯とは絶対の幸福境である。なにものにも侵されず、なにものにもおそれず、瞬間瞬間の生命が澄みきった大海のごとく、雲一片なき虚空のごときものである。大聖人の佐渡御流罪中のご境涯はこのようなご境涯であったと拝される。
 されば『SC141E』とも、『SC142E』ともおおせられているのは、御本仏の境涯なればと、つくづく思うものである」(「戸田城聖全集」3)
 事実、日蓮大聖人は、言語に絶する逆境のなかで、どうすれば全人類を仏にすることができるかを思索され、「開目抄」「観心本尊抄」を認められ、その方途を明確に築かれたのです。古来、大難を耐え忍んだ者はいたとしても、大聖人の偉大さは、その大難のなかで御自身のことよりも、民衆救済、人類救済のための闘争を始められたということです。

1
1