Nichiren・Ikeda
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末法万年へ「太陽の仏法」の旅立ち
講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)
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1 斎藤 青年の月・7月です。広宣流布の未来を担う青年のために、日蓮大聖人の未来記である「仏法西還」について語っていただければ幸いです。
森中 正法・像法時代には西のインドから東の日本へと釈尊の仏法が伝わってきました。これを「仏法東漸」といいます。これに対して、末法には東の日本から西のインドに日蓮大聖人の仏法が還っていく。これが大聖人の教えを要約して「仏法西還」ですね。
池田 釈尊の未来記は法華経の「後五百歳広宣流布」であり、「一閻浮提広宣流布」です。その実現のために戦い抜かれたのが日蓮大聖人であられる。
その日蓮大聖人の未来記が「仏法西還」に他ならない。これを実現しているのが創価学会です。
創価学会が現れて、世界に広宣流布しなければ、日蓮大聖人の言葉は虚妄になってしまったでしょう。
戸田先生は、何度も何度も言われていた。
「この仏法は、かならず東洋に弘まるのです。東洋に渡らなければ、日蓮大聖人様は大嘘つきです。かならず弘まることを自覚しなさい」
斎藤 その戸田先生の御遺命を現実のものとされたのが、池田先生でした。
池田 私は、戸田先生から遺言されました。
「君のほんとうの舞台は世界だよ」
「君は世界に征くんだ」
だから、そのとおりに必死に戦ったのです。
戸田先生は、日本から一歩も外に出られることはなかった。しかし、いつも東洋に、世界に目を向けておられた。
特に青年には、東洋広布、そして世界広宣流布という仏法の真髄を語ってやまなかった。あの男子部の結成式の日もそうでした。
森中 戸田先生が第2代会長に就任して間もない昭和26年(1951年)7月11日に、結成式は行われました。池田先生は男子部の班長として参加されていたとお聞きしています。
池田 激しい雨の日でした。西神田の旧学会本部に180人ほどの青年が集った。その時、戸田先生は、こう言われた。
「広宣流布は、私の絶対にやりとげねばならぬ使命であります。青年部の諸君も、各自がその尊い地位にあることを、よくよく自覚してもらいたいのです。」
「つねに青年が時代を動かし、新しい時代を創っているのです。どうか、諸君の手で、この尊い大使命を必ず達成していただきたいのが、私の唯一の念願であります」
こうして広宣流布こそが青年部の使命であることを示されたうえで「仏法西還」について語られた。
「われわれの目的は、日本一国を目標とするような小さなものではなく、日蓮大聖人は、朝鮮、中国、遠くインドにとどまることなく、全世界の果てまで、この大白法を伝えよ、との御命令であります。
なぜかならば、大聖人様の五字七字は、じつに宇宙に遍満し、宇宙をも動かす大生命哲学であるからであります」
青年に、普遍的にして力ある世界宗教の担い手たれと呼びかけられたのです。この言葉に、大聖人の「仏法西還」の意義が余すところなく示されるといってよい。これが日蓮仏法の精神であり、学会精神の骨髄です。
森中 この会合で、戸田先生が次のように語られたことを、池田先生は「随筆 新・人間革命」で紹介されています。
「きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会会長が現れるであろう。
必ずや、私は、このなかにおられることを信ずるのであります。その方に、私は深く最敬礼してお祝いを申しあげたい」
「今日は、この席から、次の会長たるべき方にご挨拶申し上げ、男子部隊の結成を心からお祝い申し上げる」
2 池田 だから私は、第3代会長に就任すると満を持して世界に飛び立ったのです。
私もまた、次の本格的な世界広布を青年に託します。世界広布とは、世界平和の別名だからです。
斎藤 仏法西還の心は創価学会にこそ脈打っていることを教えていただきました。
池田先生が釈尊成道の地であるインドのブッダガヤに「三大秘法抄」と「東洋広布の記念碑」を埋納されたのは、第3代会長就任の翌年、昭和36年(1961年)の2月4日でした。
この歴史の足跡に、仏法西還の遺命をなんとしても成し遂げようとの深き心を強く感じます。
森中 インド随一の法華経学者であるロケッシュ・チャンドラ博士(インド文化国際アカデミー理事長)は語っておられました。〈1998年11月〉
「インドで生まれた仏教は、幾世紀もかけて、中国へ、韓・朝鮮半島へ、日本へと伝わりました。
そして今、池田先生によって、仏教は世界へ広がり、人類を啓発しています。池田先生によって、”法華経”が日本から世界に広まったのです!これほど、うれしいことはありません。
まさに、太陽が東から西へと移動するのと同じく、法華経も東から西へと”旅”をしている。世界の各国を旅している。素晴らしいことです」
斎藤 そのとき博士は「先生のご尽力で、日本から世界に、法華経の『精神の息吹』が発信されています。池田先生こそ『新しき世紀』を体現する方です」とも言われています。
池田 恐縮です。
チャンドラ博士とは対談集『東洋の哲学を語る』を発刊しました。その中で、マハトマ・ガンジーが、道場での祈りに「南無妙法蓮華経」の題目を取り入れていたことも話題となりました。
博士によれば、ガンジーは、「南無妙法蓮華経」が、人間に内在する宇宙大の力の究極の表現であり、宇宙の至高の音律が奏でる生命そのものであることを覚知していたという。実は、ガンジーに「南無妙法蓮華経」を教えたのが、博士の父で著名な仏教学者のラグヴィラ博士でした。そのラグヴィラ博士は「ガンジーの師は日蓮大聖人である」と考えられていたという。
ともあれ、先ほどの男子部結成式での戸田先生の言葉にも、南無妙法蓮華経が宇宙根源の法であるがゆえに全世界に広まらなければならない、とあった。
日蓮大聖人が仏法西還という「世界」を視野においたお考えを抱かれたのは、御自身が顕された法の普遍性を深く確信されたからであると拝察できます。
3 「顕仏未来記」――世界を救う道の確立を宣言
森中 大聖人が仏法西還について明確に述べられている御書は「顕仏未来記」と「諫暁八幡抄」の二書です。
「顕仏未来記」は、文永10年(1273年)閏5月に佐渡で著されました。「観心本尊抄」を著された直後です。
「諫暁八幡抄」は、御入滅の約2年前の弘安3年(1280年)12月に身延で著されました。
池田 ただし、「顕仏未来記」よりも前の文永8年(1271年)11月、佐渡に到着された直後に認められた富木常忍宛のお手紙の中でも、大聖人は「一大事の秘法」を弘めることを明示されたうえで、仏法西還に通ずる内容を仰せられているね。
斎藤 はい。「SB644E」と言われています。そして、この大法が法華経で上行菩薩が釈尊から付嘱された法であることを示されつつ、伝教大師の「日出て星隠る」、遵式の「末法の初西を照す」との言葉を引いて、仏法西還を示唆されています。
池田 竜の口法難で発迹顕本された直後のお手紙です。世間的には佐渡に流された流人の身であられるにもかかわらず、日本だけでなく仏法西還、世界広宣流布を展望されているのです。
末法の時代を救う大法が赫々と御自身の胸中に輝いていたがゆえの大確信であられる。
「SB645E」と仰せです。
〈通解〉――「法」が現われ終わった。その瑞相は正法・像法時代にはない大瑞相である。日蓮があらあらこのことを考えてみると、この法が現われたのは「時」によるのである。
森中 正嘉の大地震という大瑞相に見合う大法が、今、現れたのであると宣言されています。末法を救う大法が現われたということですね。
池田 この妙法のみが、末法の濁世に生きる民衆を救うことができる。それは、妙法こそが万人に内在する普遍的な法だからです。
そして、妙法の無限の力によってこそ、元品の無明から現われるあらゆる迷いと苦悩を打ち破り、克服していくことができる。
末法の人間が真の幸福へと蘇生していく道は、妙法による以外にない。
斎藤 その功徳を万人に開くために、大聖人は御本尊を顕されました。