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日蓮大聖人・池田大作

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難来るを以て安楽と意得可きなり  

講義「御書の世界」(上)(池田大作全集第32巻)

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1  ”山に山を重ね、波に波をたたむ”
 斎藤 文永8年(1271年)9月12日は、大聖人が、御生涯で最大の難であった「竜の口の法難」に遭われた日です。学会においては、この意義深い日を「教学部の日」として心にとどめています。
 池田 大聖人の仏法の真髄がこの日に凝縮されているからです。仏法を学び、実践していく以上、この日の甚深の意義を心深く銘記すべきです。
 森中 大聖人直結、御書根本の学会教学でなければ、その意義を捉えきることはできないと思います。
 池田 なぜ大聖人は、あれほどの大難を受けられなければならなかったのか。信心の上から、それをどのように拝していくべきか。これは、ある意味で仏法の真髄に関わってくる問題です。仏とは何か、成仏とは何か――その問題につながってくるからです。
 大聖人の実像に迫る意味でも、大聖人の御生涯と「法難」というテーマは大変に重要です。
 斎藤 そこで本章では、大聖人の「法難」について、お話ししていただければと思います。
 池田 大事です。これまでも、事あるごとに語ってきましたが、これを機会に大聖人の法難を詳しく拝察し、その意義について、一歩深く掘り下げてみよう。
 森中 よろしくお願いします。
 内村鑑三が、その著「代表的日本人」の中で、大聖人について次のように述べています。
 「彼は倣うべき何らの先例なく、一つの経と一つの法のために生命を投げ出して敢然と立ったのである。……真の意味に於ての宗教的迫害は、日本に於ては、日蓮を以て始まったのである」
 そして、当時においては死罪にも等しかった佐渡流罪を乗り越えられた大聖人の精神闘争について、「彼の勝利は、心が肉体に対し、精神が暴力に対して得たる、勝利であった」とも称賛しています。
2  池田 一次元からのとらえ方ではあるが、的確な指摘と思う。大聖人が迫害を受けられたのは、法華経こそが末法の人々を救う法であると強く主張したからです。世間の咎があるわけではなかった。命をかけて、強く正義を主張したので、他の宗教者たちは震撼し、旧来の宗教的習慣に慣れた人々は不快感を抱いたのです。それが瞋恚、怨嫉として噴出した。
 大聖人は御自身の難を「法華経の故」であると言われている。命を捨てて法華経を弘めたが故に受けられた難であるということです。
 森中 強い宗教的信念に対して起こる迫害。それが内村鑑三の言う「真の意味での宗教的迫害」に当たりますね。
 池田 「万人の成仏」を説いたのが法華経です。しかも、それを法理として説くだけではない。それを実現することを願う仏の大慈悲と実践を説き、更に、仏の滅後に仏の大願を受け継いで戦う菩薩の使命を説くのが法華経です。
 このように法華経で説き尽くしている「万人の成仏」という教えが、実は難信難解なのです。
 なぜならば、まず、それを可能にする法、すなわち妙法が難解難入です。仏の甚深無量の智慧によってのみ知ることができるのが妙法です。また、成仏という尊極の価値観は凡智には分からない。
 例えば、自分が苦難に直面しているときは、その苦しさから自身の成仏などは、到底、信じられなくなる。あるいは、逆に、自分が一時的な安楽に浸っている時は、もう成仏なんかは必要ないと思ってしまいがちです。苦につけ、楽につけて、自分の成仏への信を失っていってしまうのです。まして、他の人の成仏、万人の成仏は、何か別世界のことと感じてしまう。
 さらに法華経では、「猶多怨嫉・況滅度後」と説き、法華経の難信難解を強調しています。
 斎藤 法師品第十の経文ですね。「猶多怨嫉」(なお怨嫉多し)とは、法華経は難信難解なので、仏の在世ですら法華経を説くと怨嫉が多く起こる、という意味です。「況滅度後」(況や滅度の後をや)とは、仏の滅後に法華経を弘めると、在世よりも更に多くの怨嫉が起こる、という意味になります。
 池田 大聖人が大難を受けられたのは、法華経が難信難解だからであるという「法」の次元の理由も、当然、あります。更に、それに加えて、仏の滅後、特に末法という悪世において法華経を弘めるから、更に大きな難が起こるのです。つまり、「時」の問題があるのです。
 末法は、「闘諍堅固・白法隠没」といって、仏法の中で方便として説かれた部分的な教えが宗派に分かれて互いに争うようになり、成仏という最も高い価値観を説く法華経が正法であることが分からなくなる時代です。
 森中 この時代に法華経を弘めると、釈尊が説いた種々の教えが、法華経の実践を妨げ、成仏を阻む魔性の働きを起こすようになりますね。
 池田 末法の大難の根はここにあります。根が深いだけに、執拗な迫害が起こる。その滅後の大難を、法華経では「三類の強敵」として説いているのです。
 大聖人は、この魔性との激闘を覚悟で、末法の法華弘通の戦いを起こされました。激闘を貫けば貫くほど、魔性は競い起こってきます。そして、ついに、法華経に説かれるとおり、三類の強敵のすべてを呼び起こし、その大難に耐え抜いていかれたのです。
 「開目抄」には、難が大聖人に次々と襲いかかる様が記されています。
 「SB451E」
 〈通解〉――釈尊の在世でさえ、なお怨嫉が多かった。まして像法・末法において、また日本という辺鄙国土においてはなおさらである。山に山を重ね、波に波を畳み掛けるように、難に難を加え、非に非を増すにちがいない。
 まさにこの仰せのとおり、大聖人は、立宗直後から数々の難に遭われています。その中で、大難は4度であると大聖人御自身が仰せです。
3  三類の強敵との闘争で令法久住の基盤を確立
 斎藤 はい。「開目抄」には、こう述べられています。
 「SB452E」
 〈通解〉――(建長5年に立宗宣言して以来)すでに20余年間、この法華経の法門を申してきたが、日日、月月、年年に難が重なっている。
 少々の難は数知らず、大きな難が4度あった。そのうち2度は、しばらくおいておく。国の権力者による迫害はすでに2度に及んでいる。特にこのたびの迫害は、私の命に及ぶものであった。
 そのうえ、弟子といい、檀那といい、わずかに法門を聴いただけの在家の人まで、重い罪に処せられた。まるで謀反などを起こした者のようであった。
 森中 この「大事の難・四度」とは、①松葉ガ谷の法難②伊豆流罪③小松原の法難④竜の口の頸の座から佐渡流罪と続く法難のことです。
 「王難二度」とは、国主である幕府による二度の迫害、すなわち②伊豆流罪と④竜の口の法難・佐渡流罪を指します。
 「今度」とは、まさに「開目抄」御執筆当時の佐渡流罪のことです。
 大聖人は、これらの大難を越えていくことにより、御自身が「法華経の行者」であるとの御確信を深められていきます。
 池田 大聖人は、とりわけ勧持品の二十行の偈で示される「三類の強敵」に注目されています。
 三類の強敵をすべて現し出して、妙法を永遠ならしめようとされた。即ち、正法破壊の悪をすべて打ち破り、「令法久住」の基盤を確立して下さったと拝したい。
 三類の強敵の中でも、とりわけ、第三類の僭聖増上慢は最強の敵です。「転識り難し」と言われるように、聖なる仮面で皆を欺いていて、分かりにくいのです。だからこそ、正体を民衆に暴くことが大事なのです。一部の人が目覚めただけにとどまっては、社会は変わりません。
 だから、目覚めた一人が、自ら率先して行動を起こし僭聖増上慢をあぶり出すしかないのです。
 最大の魔性と戦い、勝ってこそ、末法の成仏の道を開くことができるからです。
 斎藤 煎じ詰めれば、その社会の人々が、法華経の行者を捨てるか、僭聖増上慢を捨てるかではないでしょうか。
 池田 法華経の行者を捨てた社会は、僭聖増上慢に操られたまま、結局は亡国の道をたどっていかざるをえない。「三類の強敵との戦い」は即「立正安国の戦い」なのです。
 そして、最も手ごわい第三類をも打ち破ってこそ、令法久住が可能になる。末法万年の永遠の繁栄の基盤が確立するのです。
 戸田先生はこうおっしゃっていた。
 「(第二類の道門増上慢でも)責めようがなくなると、次に現れるのが第三類の強敵であり、これはこわい。これがでると、私もうれしいと思うが、みなさんもうれしいと思ってもらいたい。そのときこそ、敢然と戦おうではないか。
 一国を救うため、生活を豊かにするため、信心を励まし、霊鷲山で、日蓮大聖人様に、「学会員なになに、広宣流布をやり遂げてまいりました」といおうではありませんか」(同第4巻)
 これこそ、広宣流布のため、末法の全民衆の幸福のために、魔性との激闘に勇んで挑戦していかれた大聖人に直結する心です。

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