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日蓮大聖人・池田大作

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誓願に貫かれた大聖人の御生涯  

講義「御書の世界」(上)(池田大作全集第32巻)

前後
1  民衆仏法を決定づけた若き日の誓願
 斎藤 前章は、御書の核心として「広宣流布の大願」について、総論的に語っていただきました。本章では、具体的に「誓願」を一つのテーマとして、日蓮大聖人の御生涯の大綱を拝察していきたいと思います。
 池田 真の宗教は、人間のなかにある。
 民衆仏法こそ、大聖人の仏法です。民衆の「平和」と「幸福」のためにこそ、真実の仏法はある。御書を拝すると、大聖人は、その御生涯において、少なくとも二度、大きな誓願を立てられたことが記されています。
 第一は、御年十二歳のときに、有名な「日本第一の智者となし給へ」という誓願を立てられました。
 二度目は、三十二歳の時、立宗直前に立てられた誓願です。
 「開目抄」によれば、いかなる大難をも覚悟で法華誹謗を破折し、民衆救済のために正法を弘めていくことを誓っておられます。
 大聖人の御生涯は、まさに、この「誓願」に貫かれています。
 斎藤 御幼少の時の最初の誓願は、「求道」の出発点といえますね。
 二度目は、法華経の行者として立ち上がられた時の誓願です。前章でテーマとなった「SB342E」等の大願は、この時の誓願を表現された仰せとも拝されます。
 池田 まず、十二歳の時の誓願についてですが、これは安房の清澄寺に入った時に立てられた誓願です。
 数え年で十二歳といえば、今でいえば小学校の六年生の年代です。この年齢で清澄寺に入られたのは、おそらく出家というより、その準備段階として、読み書きなどの、いわば初等教育を受けるためであったと言っていいでしょう。
 斎藤 はい。当時は、各地の寺院が教育機関の役割も担っていたと考えられます。大聖人の正式な出家得度は、四年後の十六歳の時になります。
 池田 正式の出家は十六歳であったとしても、真の出家の内実である「求道の心」は、十二歳の時に既に胸中に横溢されていたのではないか。
 大聖人の「求道の活動」は、実質的にこの時から始まっていたと拝される。
 斎藤 大聖人は、御自身の出家の年について述べられる場合、「十二・十六」と併記されています。
 池田 その表現に、「日本第一の智者に」との誓願が、いかに深く大きな意義を持っていたかがうかがえるね。
2  斎藤 この誓願について大聖人は「SB343E」と述べられています。「子細」があるとは、さらに詳しく述べるべき内容があるということですね。
 池田 御書に基づいて、何点か挙げるならば、ひとつは、父母をはじめとして、民衆を救う道を切実に求める誓願であられた。
 大聖人は、「SB344E」と仰せです。これは、一般論のような表現になっていますが、御自身のことにも通ずる。また、後に御自身の出家を回想されて「仏教を習う者が父母、師匠、国の大恩に報いるには、必ず仏法を究めて智者とならなければならない」(御書293㌻、趣旨)とも記されています。
 これらの仰せから、「日本第一の智者に」と誓願されているのは、父母等の恩に報いるためであり、「民衆を真に救い得る智慧者」を目指されたことが拝察できます。
 斎藤 父母と言われているのは、「民衆」の代表としての父母ですね。
 池田 そう。そこが重要です。
 大聖人は、諸抄で仰せのように、漁業で生計を立てていた庶民の生まれでした。
 当然、大聖人は幼年のころから、力を合わせて懸命に働く、御両親と地域の人々との姿をつぶさに御覧になっていたでしょう。
 もっとも御両親は、その地域の土地を領有する領家との繋がりがあったとされることから、地域の人たちのまとめ役のような、リーダー的存在にあったとも推察されています。
 いずれにしても、大聖人が庶民のなかで成長されたことは間違いない。
 その恩に報いるために、智者となって民衆を救いたいというのが、「SB345E」との誓願がもつ一つの意義です。
 斎藤 「日本第一の智者」とは、決して民衆の上に立つエリートを目指されたわけではない、ということですね。
 池田 大聖人の仏法は、民衆が主役の、民衆による民衆のための仏法です。若き大聖人の誓願は、まさしく、この民衆仏法としての方向性を決定づけたものと拝察すべきでしょう。
3  斎藤 なぜ、父母等の恩に報いるために「智者」にならなければならないのでしょうか。
 池田 御書を拝すると、明瞭です。
 父母を本当に救うためには、生死の苦しみから救わなければならない。そして、そのためには、生死を超える仏法の真の智慧を持たなければならないからです。
 大聖人は御幼少のときに仏法を学び、「SB346E」という願を立てたと言われています。
 また、「SB347E」とも言われている。仏になるとは、何よりも「生死の苦」を超えることです。
 これらの仰せから、生死の問題が、大聖人の誓願における重要な要素をなしていたことは間違いないでしょう。
 苦労して自分を育ててくれた御両親に、そして御両親と一緒に働く人々に、真の幸福への大道を――。その深き御真情から、大聖人は、仏法の根底を究め、生死に関する究極の真理への到達を誓願されたと拝される。
 斎藤 民衆を真に安穏にするために、生死の苦を超える智慧を得たいという誓願を立てられた。それが、「所願に子細あり」と言われていることの一つのポイントですね。
 池田 御両親の漁師の仕事には、死と隣り合わせの面がある。大聖人は、幼き日から、死の問題を解決することが、人間の幸福に深く関係していくと感じられたのではないでしょうか。

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