Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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あとがき  

講義「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」(池田大作全集第24巻)

前後
1  本全集の第二回配本は「講義」編の第一巻である。「講義」は本全集の重要な柱の一つを成す。
 池田名誉会長は、御書を常に持し、生きゆく勇気と確信を人々に与え続けてきた。その根源には、入信以来四十一年後の今日まで、御書を心肝に染めてこられた不惜身命の厳しい信仰実践があったことを忘れてはなるまい。特に若年のころの日記には、連日のように、その日の冒頭に御書の一節が記されていることからもその片鱗が偲ばれる。恵まれない健康状態のもと、心身共に疲労しきって深夜アパートに帰り、一人御書に向かわれた姿の中に、現在の著者の一つの原点を見る思いがする。
 著者のスピーチには、必ずといってよいほど、御書の一節が引用される。その御書の一節は著者の言葉を通して生き生きと現代に蘇り、温かくまた激しく、聞く者の生命を包み揺さぶるのである。そのようなスピーチの中の講義を含めると、それこそ夥しいものになるだろう。しかしその多くは「講演」の部に編入される予定であり、「講義」編からは外させていただいた。
 本巻はそのように多くの講義の中から、当初から語訳、通解等を付したいわゆる講義録形式のものを除いて代表的な四編の御書講義と、若干の要文講義をまとめたものである。
 その中で「諸法実相抄」と「生死一大事血脈抄」は、昭和五十二年「教学の年」を記念して、いずれも聖教新聞紙上に掲載されたものである。「諸法実相抄」は、一月一日から六日まで四回に分けて掲載された、全文を通しての本格的な講義である。本抄は著者が講義の中でも触れているように、創価学会では草創期から広く拝読されてきた御書であり、著者自身も何度も講義してきたものの集大成ともいうべきものである。「生死一大事血脈抄」は、同年四月十八日から三十日まで六回に分けて掲載されたものである。「諸法実相抄」と同じく最蓮房日浄に与えられた御書であり、甚深の法門に全生命で肉薄した講義となっている。「観心本尊抄」は翌昭和五十三年の一、二月号の大白蓮華誌上に掲載されたものであり、同抄の中でも最重要な「受持即観心」の法門について縦横に論を展開した講義である。
 「佐渡御書」は、昭和四十一年に、当時の高等部の代表である東京鳳雛会のメンバーを対象に行われたものである。四月から五月にかけて行われた同講義は、その年の大白蓮華に二回に分けて掲載された。昭和四十一年は、高等部結成二年後であり、著者(当時会長)が本格的にその育成に取り組んだ第一年目であった。
 そして巻末に、昭和五十二年七月から十月にかけて聖教新聞紙上に「日々の教学」として掲載された御書の要文講義等九編を収録させていただいた。
 以上、本巻の内容と時代背景を略記したが、本巻収録に際し、著者に若干の添削をお願いしたことをご了承願いたい。日蓮大聖人の仏法は実践をその魂とする。その実践の仏法、実践の教学を自らに課し、広布の道を自在に切り拓いてこられたのは他ならぬ池田名誉会長自身である。
 総本山第六十六世日達上人は『御義口伝講義上』の刊行に際して「序」を寄せられ、次のように仰せになっている。
 「池田先生の死身弘法の寸暇を、さらに止暇断眠して、この大講義をなせるは、実に在世の維摩居士の、今に出現せるかの感を深くしたのである。私は、すでに『言語道断』なにも言うことはない」
 本巻を、日蓮大聖人の仏法を学びゆく、更なる発心の機縁としていただければ幸いである。

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