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日蓮大聖人・池田大作

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「法門申さるべき様の事」  

講義「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」(池田大作全集第24巻)

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1  脈打つ閣浮第一の大確信
 この御書は、比叡遊学のため京都に上った三位房日行に与えられたとされるお手紙です。ある公家の持仏堂において説法したことが、”面目”をほどこしたと日蓮大聖人に報告したことに対し、厳しく叱責されたところです。
 もとより僧の身である三位房に対する日蓮大聖人の御指南をうんぬんする立場ではありませんが、大聖人の御指南は広く僧俗一般に通ずる重要なものであると拝しますので、あえて感ずるままを述べさせていただきます。
 この御文を拝して、日蓮大聖人の、仏法に対する御確信、また大仏法を奉ずる者の内証の深さ、高さ、かつまた大聖人の仏法がいかに気宇壮大な哲理であるかを、改めて痛感するのであります。
2  又御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかかれて候事・かへすがへす不思議にをぼへ候、そのゆへは僧となりぬ其の上一閻浮提にありがたき法門なるべし
 また、御持仏堂で法門を説いたことで面目をほどこしたなどと書かれていることは、どう考えても不審なことである。そのゆえは、僧となった身であり、そのうえこの仏法は一閻浮提第一の法である。
3  公家に召されて仏法を講じたのが大変な名誉であるとの三位房の文面に接して、大聖人は非常に残念がっていらっしゃいます。
 三位房については、資料もほとんど残っていないため、不明な点が多く、この御抄の対告衆と「聖人御難事」等に出てくる人物とが同一人物かどうかについても異説がありますが、一応、ここでは同一人物として話をすすめます。
 彼は京都遊学を許され、また桑ケ谷問答に活躍するなど学才に秀で、問答に巧みな、それだけ実力もあり、門下で重きをなしていた人物であった。ところが、一面、名聞名利の心が強く、臆病で、求道心が弱く、虚栄の心に支配されやすい人間であった。
 「聖人御難事」には「をくびやう臆病物をぼへず・よくふか欲深く・うたがい多き者」と、その根底を見抜かれ、どんなに仏法を教えても「れるうるしに水をかけそらりたるやうに候ぞ」とあります。
 法門への理解がいかに深く弁舌さわやかであろうとも、名聞の念厚く臆病で慢心が強ければ、成仏の道を踏みはずしてしまう。この重大な一点を、三位房の例は後世の私どもに教えています。
 大聖人は更に、あなたは僧となったうえ、一閻浮提で最も偉大な法門を受持している立場ではないか、と諭されている。
 ここで注目すべきは「一閻浮提にありがたき法門」との御文です。大聖人の仏法は、全世界随一、偉大な哲理と実践の宗教であることの大確信が躍如としております。
 三位房は、おそらく公家の前で説法して称賛されたことを、大聖人に報告してほめてもらいたかったに違いない。しかし、案に相違して、大聖人から厳しい叱責をうけたのであった。三位房の中にある名聞の心を、大聖人は感じられていたと十分考えられます。
 大聖人はいつも、あるゆる弟子の傾向性を知り、何とか本物に仕上げたいという一念に徹せられていた。ゆえに、その三位房の一言を逃すことはしなかった。面目をほどこしたという一言の中に、三位房の根底を、御本仏は見てとられたに違いありません。大聖人は、具体的事実から三位房の全体に流れる根性を打ち破られようとなされたのでありましょう。
 こうした大聖人のお撮る舞いの中に、事に即して弟子を薫陶するとともに、更に広く深く仏法を展開していく姿がうかがえるのであります。大聖人の仏法が、事の仏法であるといわれるゆえんが、ここにある。身近な行動、生活、振る舞い……そこに人間を見、仏法を展開していく大聖人の正道の生き方を、我らは決して見逃してはならない。
 なお、僧とありますが、この御文の教示は、広く折伏弘教に励む仏法指導者を意味されていると拝すべきことは、御文の趣旨からいって当然であります。

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