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日蓮大聖人・池田大作

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「佐渡御書」講義 文永九年三月五十一歳御作 与弟子檀那

講義「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」(池田大作全集第24巻)

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1  大難の時こそ強盛な信心を
 この御書は、日蓮大聖人が、竜の口の法難、佐渡流罪という最も大きい難を受けられた時に、弟子檀那に与えられた御書です。したがって「佐渡御書」と名づけられています。
 日本では律令制の確立以来、刑罰として答、杖、徒、流、死の五種が定められていました。竜の口の法難は最も重い死罪であり、佐渡御流罪は、その死罪につぐ重い刑です。弟子門下の中には、自ら権力等によって弾圧されることを恐れて退転する人とともに、大聖人が次々と大難に遭われていることに対し「なぜ大聖人はこのように難に遭うのか。どこか間違っているからではないか」と批判する者まで出ていたのです。
 それに対し、不惜身命こそ仏道修行の根本であり、成仏の鍵であることを強く指導されたのが本抄です。
2  此文は富木殿のかた三郎左衛門殿大蔵たうのつじ塔辻十郎入道殿等さじき桟敷の尼御前一一に見させ給べき人人の御中へなり、京鎌倉に軍に死る人人を書付てたび候へ、外典抄文句の二玄の四の本末勘文かんもん宣旨等これへの人人ちてわたらせ給へ
 この手紙は富木殿の方、四条三郎左衛門尉殿、大蔵塔の辻十郎入道殿等、桟敷の尼御前などの一人一人に見てもらいたい方々へのものである。京都や鎌倉の合戦で死んだ人々の名を書き付けて送ってほしい。また、外典抄、『法華文句』の二の巻、『法華玄義』の巻四の本末、勘文や宣旨なども、佐渡に来る者に持たせて送ってもらいたい。
3  富木常忍も三郎左衛門(すなわち四条金吾)も、大聖人のもとで、最も活躍した大信者です。「大蔵たうのつじ十郎入道」についてはあまり御書に出ていませんが、このように名前をおしたためになっていることから考えると、やはり強信な人であったと考えられます。
 大事なのは「一一に見させ給べき人人の御中へなり」の御文です。これは、以上に挙げた人ばかりでなく一人一人が自分に与えられた御書として読んでほしい、という意味です。事実この御書の宛名は、弟子檀那等御中となっております。これを拝読する一人一人が「自分のために大聖人は書いてくださったのだ」との思いで受け止めてほしいと仰せられているところに、大聖人がいかに深い思いを込めて本抄をしたためられたかがうかがわれるのです。
 「京鎌倉に軍に死る人人」――この御書は、文永九年三月のものですが、この年の二月には、京都と鎌倉で、北条一門の争い、すなわち自界叛逆難がありました。その時に、日蓮大聖人の弟子、信者の中の武士で、亡くなった人達の名前を書いて寄こしなさいとの仰せです。追善供養してあげますよ、という大聖人の大慈悲と拝せられます。
 そして外典抄また『法華文句』『法華玄義』あるいは勘文、宣旨等の資料を、こちらへ来る人々に託して持ってきてもらいたいと言われています。「勘文」は学者、知識人が書いた意見書、「宣旨」は朝廷から出される命令書をいいます。
 おそらくここで言われているのは、法然の浄土宗についてこうした邪教は取り締まるべきであるとの勘文が叡山や興福寺から出され、それを受けて出された宣旨を指していると考えられます。この詳細は御書(八六㌻)にも示されています。
 日蓮大聖人は、佐渡でたくさんの重要な御書を執筆されていますが、そうした執筆にあたり参考とされるために、そのような資料を持ってきてほしいとおっしゃっているのです。

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