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日蓮大聖人・池田大作

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自由なる精神の輝き バイロン『バイロン詩集』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
1  一日一日を全魂とめて
 先日、創価大学の講堂で、来客を待つ間、一枚の絵が目に飛びこんできた。イギリス・ロマン派の詩人バイロンの若き日の肖像画であった。
 頬を紅潮させ、すずやかな眼は遥か彼方を見上げている。満天の星との無言の交信か、内なる詩心と語らいながら、一語一語をつむぎ出そうとしているのか。右手に持ったぺンからは今にも、すばらしき詩句の数々が奔流となって流れだすかに見える。背景の闇とは対照的に、じつに溌剌とした若き詩人が描かれている。その一枚を見つめて、バイロンの詩を口ずさみつつ、悔いなく送った青春の日を思い、ふと感慨にひたった。
 熱情の詩人、行動の詩人バイロン──彼については、いくたびか青年と語らった。二十代、新聞に一文を寄稿した思い出もある。苦闘とともに、喜びとともに、バイロンの詩は私の「心の友」として、かけがえのない光を贈ってくれた。
 「私は生きてきた。空しくは生きなかった」
 この言葉どおり、三十六歳にしてギリシアに散ったバイロンの生涯は、たとえ短くとも、深く、また、悔いのない「生」の燃焼であった。
 若き日、病弱であった私は、死をも予感する毎日であった。「三十まで生きられるかどうか」といわれた生命であったが故に、一日一日を全魂こめて生ききった。偉大なる師匠戸田城聖先生のもと、後世語り草となる若武者の軌跡を残そう──そう心に決めていた私にとって、バイロンの炎のごとき生涯は、ひときわ胸打つものであった。
 バイロンは詠う。
2   前進、また前進
  旌旗はたをかがやかせながら
  その兵力を加えながら
  つぎに進んでゆかねばならぬ
  休養は心をうんざりさせ
  隠遁はその身を朽ちさせる
  表えた王位などに恋々たるものではないのだ
3  新時代の息吹のなかで
 一七八八年、バイロンの生まれた年は、フランス革命勃発の前年にあたっている。バイロンの生きた時代──それは「英雄の時代」であった。ナポレオンが登場し、ゲーテ、シラー、プーシキン、ユゴーなど幾多の文豪が活躍した。バイロンもそうした英雄の一人であった。
 そのころ欧州大陸には、新時代の息吹がみなぎり、革新の波は津々浦々に押し寄せていた。しかし一方、ドーバー海峡によって隔てられたイギリスは、この時期、まれにみる反動の時代であったといわれる。
 熱血の人バイロンは、そうした状況のなかで、鋭き批判精神を培っていく。
 ところで、名門の家柄に生まれたバイロンも、少年時代は貧しく恵まれない環境に育つ。彼の父親は「気遣いジヤツク」と蔑まれるような人物で、まったく家庭をかえりみやす、賭博などにあけくれ、バイロンが三歳のとき、フランスで客死する。母親もその欝屈を幼いバイロンにぶつける。ヒステリックで逆上したら何をしでかすかわからない性格に、バイロンはいつも怯えていた。
 一片の愛もない生活──それがバイロンの少年時代であった。そのうえに、彼は生まれつき片足が不自由であった。こうした出来事は感受性の強かった彼の生涯に色濃く影響を残す。ただそんなハンディも、彼を強くすることはあっても弱くすることはなかった。
 バイロンは十歳の時、第六代のバイロン卿を継ぎ貴族となる。その後、名門、パブリック・スクールのハロー校、さらにケンブリッジ大学に進む。
 バイロンは、どのような学生であったか。ハロー時代のこんなエピソードがある。卒業間際、それまで慕っていた校長が辞職する。彼は新校長を認めず、排斥運動の先頭に立つ。教室を荒らし、校長宿舎の鉄格子を壊し、徹底的に実力行使で戦ったという。
 情熱的で雄弁家、スポーツマン、弱い者の味方。そんなバイロン青年は親分肌の人気者であった。無味乾燥な授業は大嫌い。しかし、いったん身を入れると全校で三番という好成績もあげる。一方、誰もいない墓地で独り空想にふけり、詩作にはげむという一面もあった。

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