Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

人間の大地に魂の雄叫び ゴーゴリ『隊長ブーリバ』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
1  「ロシア文学には、民衆とともに苦楽をともにし、運命共同体として生きようとする真摯な求道心がある」
 かつて私は、「東西文化交流の新しい道」と題するモスクワ大学での講演(一九七五年五月)のなかで、こう述べた。
 広大なロシアの大地から咲きいでた民衆文化の精華。その芳香は、若き日の私に大いなる励ましを与えてくれた。
 トルストイの『戦争と平和』『アンナ・カレニナ』『復活』、ドストエアスキーの『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』、ゴーリキーの『どん底』、ツルゲーネフの『猟人日記』などは、夢中になって読んだ忘れえぬ作品である。また、プーシキンの魂の歌を繰りかえし愛誦したことも懐かしい。
 「人間はいかに生きるべきか」「何が正義で何が悪か」「人間の苦悩はどこからくるのか」──ロシア文学には、そうした青春の探究に対する確かな手応えがある。
2  まず尊敬・信頼しあうことから
 昭和三十年(一九五五年)──当時二十七歳の私にとって、毎日が真剣なる闘いの連続であった。死をも予感させるほど激しく襲いかかる病魔、あまりにも無認識きわまりない世間の中傷と圧迫──。私は思師戸田城聖先生のもとで懸命に戦った。いっさいを受けとめて一歩も退かなかった。
 その闘争の最中、戸田先生は私に、矢継ぎ早に世界の名著を勧めてくださった。
 「あれは読んだか。これも読みなさい」と、あたかも真っ赤に燃えさかる鉄を鍛え打つがごとくであった。
 そのなかの思い出深い一書が、ゴーゴリの『隊長ブーリバ』である。その年の二月十六日の「日記」に、こう綴っている。
 「隊長ブーリバ』を読み始む。脳裏に去来するものあり」
 美しく広大なウクライナの天地に繰りひろげられる戦いの数々。誇り高きコサックの雄叫び。親子の愛情、正義、勇気、裏切り、悲劇‥‥。次々に織りなされる人間絵巻が、鮮烈な画像となって若き心に迫った。
 折しも、私がこの物語に接した一年半ほど後の昭和三十一年十月、日ソ共同宣言が取り交わされ、両国の国交が回復された。友好条約は将来の課題となったが、これを契機として、日本の国連加盟が可能となり、国際社会の仲間入りを果たすことになる。まさに歴史的な方向転換であったといってよい。
 そうした時代の動きを肌で感じながら、国会で行われた批准書決議の様子を傍聴したことも懐かしい。約二時聞にわたる決議の行方を見つめつつ、私も将来、自分なりの立場で両国の友好の舞台を開くことを心に期したものである。
 固と国を結び、人と人をつなぐ──。それは何よりもまず、互いを「人間」として尊敬し信頼しあうことから始まる。
 圧政や戦乱に苦しんできたが故に、ロシアの人びとは心から平和を愛し、幸福を求めている。それは、五度にわたってこの地を訪れ、多くの人と友情を結んだ私の強い実感でもある。
 どこまでも「人間」を見つめ、文化を尊重しあい、誠実な対話を重ねていくこと、そのなかでこそ、日ロ友好の新時代は大きく開かれていくであろう。
3  「人びとの苦悩」を見つめる
 ニコライ・ゴーゴリは、ウクライナの小村で、コサックの血筋をひく小地主のもとに生まれた。素人芝居の脚本を書いていた父親の影響もあって、幼少のころより文学に親しんで育った。一方で、長じるにつれ、「自分の生涯を国家のために役立てたいという、やむにやまれぬ一念」を抱く。高等中学校を卒業したゴーゴリは、その青雲の志のままに首都ぺテルスブルグへと旅立った。
 しかし、「現実」は愛国の青年を冷たく遇した。めざしていた司法官僚の仕事は得られず、薄給の下級官吏として甘んじなければならなかった。その傍らで、逼迫する生活のなか自費出版を試みた田園叙情詩『ガンツ・キュヘリガルテン』は酷評を受け、失意の彼は書店から本を回収し、すべて焼却したという。人生の第一歩における、あまりにも惨めな挫折であった。
 しかし彼は、人間の矮小化を自身のうちに感じるだけではなかった。青年ゴーゴリの目に映ったぺテルスブルグの人びとは、一様に生気を失い、沈黙していた。
 「この町の活気のなさときたら、驚くばかりです。ここの住民には、精神の迸りというものがまるでありません」と、彼は書き記している。
 当時のロシアは、皇帝ニコライ一世の強力な独裁下にあった。一八二五年、専制と農奴制の廃棄を掲げて蜂起したデカプリストを武力で鎮圧すると、皇帝はみずからの専制体制の維持のために、思想統制や農奴制の強化などを一気に推し進めた。各地で巻きおとる農民の決起もととごとく潰されていった。そして絶えず襲いかかる貧困と飢餓。人間の尊厳を事もなげに蹂躙する独裁者の冷酷に、社会は急速に冷えきっていった。
 「私は自分の周囲を見回した。私の心は人々の苦悩に切り裂かれた」──十八世紀のロシア解放思想の父ラジーシチェフの言葉である。私の友人であるキルギスタン出身の著名な作家アイトマートフ氏は、私との対談集『大いなる魂の詩』のなかで、この言葉をロシア文学全体の題字エピグラフとしたい、と語っている。

1
1