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日蓮大聖人・池田大作

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古代都市の栄光と悲劇 リットン『ボンベイ最後の日』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
1  今から千九百年まえ──西暦七九年八月下旬のことである。ローマ帝国の植民都市ポンぺイの市民は、数日まえから感じられた不気味な地鳴りにおびえながらも、きょうもまた燦々と降りそそぐ南国の明るい太陽の下、陽気で自由な生活を送っていた。
 ポンベイの人口は二万から三万、南イタリアの中都市である。ベスビオ山の南麓に沿って展開し、世界でもっとも美しいといわれるナポリ湾に面していた。なにしろ「ナポリを見て死ね」といわれるほどの風光明媚の地である。当時のローマ帝国の富豪たちも、この地に別荘を持っていた。
2  市民の一日の生活は夜明けとともに始まる。地中海各地とイタリア半島の内陸諸都市とを結ぶ物資の集散地でもあったポンペイは、にぎやかな商業の町でもあった。ほとんど午前中に一日の仕事をすませ、午後は市内に三つはあった大きな公衆浴場へ出かけていく。スポーツで汗を流しては浴場に入り、温水プールで泳いではサロンで談論の花をさかす。さながら浴場は市民の社交場でもあった。
 豊かなポンぺイ市民の生活は、いささか享楽的であったようだ。街路は舗装され、各戸に水道も引かれている。市の東部にある円形闘技場は二万人以上を収容でき、そこで奴隷の剣闘士の試合や、ライオンや猛牛と戦う剣士のショーが見られた。アイシャドーを塗って現代風の化粧をほどこした貴婦人たちが、強くて眉目秀麗な剣の闘士に熱狂的な声援を送る。野獣の鮮血が流れ、残酷にも奴隷や罪人が殺されたのである。
 その是非はともあれ、当時のポンベイ市民は、日々このような生活を過ごしていたようだ。一見、将来には何の不安もないように見えていた。
 ところが、ユリウス暦(陰暦)で八月二十四日のことである。昼ごろ、まるで松の木のような形をした灰色の雲が、ベスビオ山から、いきなり空高く湧き上がった。と見るや、天地も裂けるかのような爆発音とともに、軽石や焼けた土砂が雨のように降りそそいできた。街は見るまに灰と岩石で埋めつくされていく。
 その日の模様を伝える小プリニウスの手紙によると、恐怖で顔をひきつらせた市民が、先を争って逃げだす。地面は絶え間ない地震で波うつように揺れに揺れ、両足がすくむ思いであったという。
 ベスビオ山の噴火は夜になってもやまず、地震は相変わらず続き、時折、不気味な火柱が夜空を焦がす。翌日になっても空は夜のように暗く、人びとは松明の明かりをたよりに海岸から船に乗って脱出したという。
 栄光と繁栄の高みにあった古代都市ポンぺイは、こうして一夜にして地獄のどん底に突き落とされ、忽然として視界から消えていったのである。
3  私がボンペイ市の悲劇の物語を知ったのは、少年のころである。戦前、改造社版の「世界大衆文学全集」のなかに、リットン卿の『ポンペイ最後の日』という歴史小説が小池寛次訳で収められ、それを夢中になって読んだ。たしか、映画も輸入されて日本で上映され、友人と一緒に観た記憶がある。
 戦後、昭和二十八年(一九五三年)になって、新たに堀田正亮訳の『ポンベイ最後の日』が三笠書房の「百万人の世界文学」シリーズの一巻として出版された。戸田先生もこの小説を愛読されたことがあるらしく、華陽会の求めに応じて教材に取り上げられている。

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