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日蓮大聖人・池田大作

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信念に生きる青年のドラマ デュマ『モンテ・クリスト伯』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
1  世界的な小説をつねに読んでいきたまえ。──思師の戸田城聖先生が、いつも青年に教えられていた読書の基本である。
 水滸会の教材は、この恩師の精神にそい、慎重にえらばれた。師もまた厳格であった。会員の企画した案が、師の構想に適わない場合もある。そんなとき、戸田先生は容赦なく「レベルが低い。主人公も二流、三流の人物だ。一流のものを学ばなければならない」と言下に叱咤された。
 恩師はまた「書を読め、書に読まれるな」とも薫陶されていた。なるほど水滸会は、とおりいっぺんの読書会ではない。明確なる思想と信念を持つ者が、一書の紙背にまで徹して思想を読みとるのである。そこには、まさしく思想と思想との激越な戦闘を思わせるような、真剣なる気合の熱気がこもっていた。
 いったい、「書を読む」とは、いかなることであるか。──恩師は、それを身をもって青年に教えられたのである。
 たとえば、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』が教材に取り上げられたことがある。戦時下の悪法たる治安維持法によって、故なく獄につながれた恩師は、そのときの獄中生活を語り、およそ政治犯と呼ばれる者の苦衷の心事を吐露されていた。
 エドモン・ダンテスは、その獄中での無念を晴らすために、復讐の鬼と化した。しかし恩師は、二年近くの獄中での苦闘と思索を発条とし、仏法者として偉大な人間革命を遂げていったのである。
2  さて『モンテ・クリスト伯』は、一八四六年に完成した大デュマの代表作である。もとは新聞の連載小説で、たまたま一日でも休載すると、パリ市民はむろんのこと、フランス全土が陰欝の気につつまれたほどであるという。今でも国境を越え、世紀をこえて、広く人びとに親しまれている世界文学だ。
 わが国に紹介されたのは明治の中期、関直彦によって『西洋復讐奇譚』の題で翻案されたのが最初であるという。それから十数年して、かの黒岩涙香が『巌窟王』という見事な題をつけ、一世を風靡する国民愛読の書としてしまった。
 内容は復讐物語であるが、血なまぐさい陰湿さは、この本にはない。不動の意志と信念を体して、計画どおり目的を果たす。ロマンに溢れ、詩情豊かな海の香り、エキゾチックな雰囲気も、ゆったりと全篇に流れている。軽妙な展開、そして時にはスーパーマンのように痛快な主人公の活躍は、思わず読者の血を沸きたたせずにはおかない。
 いつしか読者は、あたかも自分が小説の主人公であるかのような錯覚にとらわれてしまう。エドモン・ダンテスの人間心理は、まことに複雑微妙に揺れながら、必死に復讐に生きる。まるで悪人懲罰を命令された神の使徒のように‥‥。実際、牢から出て、モンテ・クリスト島で無限の財宝を手にしたときの彼は、そう確信していたにちがいない。
3  エドモン・ダンテス──彼は十九設の純粋無垢な青年航海士であった。およそ人を疑うということなど知らない種類の若者である。その青年が「巌窟王」に変身するには、それなりに重大な理由があった。
 物語は、彼が一つの航海を終え、マルセユに帰港したところから始まる。航海中、船長が急死した。そのあとを船長代理として統率してきたダンテスが帰港後、船主から船長昇格の命を受ける。
 恩師は、このような冒頭の一節から、はやくも作者の意図を読み取り、次のように述べている。
 「デュマは、最初、ほんとうの青年らしさを書きたかったのであろうと思う。ダンテスは、若々しい若木そのものである。学問はないが、頭が良い。船長が死んだときに、船長代理を堂々とやってのけたということは、その頭の良さを示している。
 青年には、純真さがなければならない。デュマは、生気みなぎる青年の、フランスの熱血を書き切ったのである。
 およそ人間には、肉体年齢と精神年齢とがある。デュマは、ことで若々しい生命に向かって、一つの人生の嵐を吹きかけ、生きるか死ぬかの思いをさせた。肉体的にも精神的にも、人生の苦しみを味わったものが強くなる。故に青年は、安逸を求めてはいけない」

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