Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

貧しい人びとへの共鳴 ユゴー『レ・ミゼラブル』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
1  ヴイクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』を初めて読んだのは、私が十四、五歳のころであった。『噫無情』と題した黒岩涙香の抄訳と、豊島輿志雄の完訳が出ていたが、私は豊島の完訳をえらんだ。全三巻、原稿枚数四千枚にのぼるという大作である。『レ・ミゼラプル』は、一般には、原題より主人公ジャン・ヴァルジャンのほうが有名であった。あるいは『噫無情』という黒岩涙香のつけた題名によって、広く知られていた。
 私の記憶では、たしか三回、読みかえしている。「日記」を繰ると、昭和二十五年(一九五〇年)八月三十日に「『レ・ミゼラプル』を読み終わる」と末尾に一行の記述があった。
 これが三回目の読了であるが、真夏のある夜、雑司ヶ谷の墓地へ行って席の上に坐り、月光の下で、懐中電灯をつけながら読んだこともあった。人気のない墓地の静けさが、絶好の読書空間を提供してくれたのである。
 「二度読む価値のない本は、一度読む価値もない」という名著の定義があるが、私は『レ・ミゼラブル』を三度読み、なお時の経つのさえ忘れ去っていたわけである。それから二カ月ほど経ったころであろうか、映画化された『レ・ミゼラプル』が上映されていた。私も早速、新橋の映画館へ観に行ったことが「日記」に記されている。
2  『レ・ミゼラブル』は、十九世紀はじめのフランスを舞台にした大河小説である。
 ルイ十六世が処刑され、王制が崩壊して、ナポレオンが登場する。全ヨーロッパ席捲を夢見るこの英雄は、ロシア遠征に失敗し、再起むなしくワーテルローの戦いで、ウェリントンの率いるイギリス軍に敗れている。──こうした十八世紀末に端を発する、激動期の歴史が克明に描写され、作品の要所に挿入されている。
 時代は王制から帝政へ、さらに共和制へと、その鼓動を高めつつ推移していく。だが、ここで考えねばならぬことは、時代がどのように展開しようと、政体が、いかに理想に近づこうと、いつの世にも、社会の片隅に押しやられ、懸命に生き続ける「みじめな人びと」がいるという事実である。
 『レ・ミゼラブル』とは「みじめな人びと」という意味であるが、ユゴーのぺンのきっさきは、こうした貧しい人びとの心情に共鳴しつつ、悲惨を凝然と見つめ「人為的に文明社会のなかに地獄をつくだしている、さまざまな社会悪を糾弾してやまない。
3  物語の粗筋は、すでに多くの人に知られている。
 たったひときれのパンを盗んで牢に入れられ、脱走と反抗の罪が加わり、十九年の牢獄生活を強いられた主人公ジャン・ヴァルジャン。刑期を終え、出獄した彼に、人間精神の気高さを身をもって教えたミリエル司教。
 猟犬のようにジャン・ヴァルジャンを追いかけまわす警官ジャヴェール。不幸な境遇にあって、母性のすさまじさをみせるファンチーヌ。彼女の死後、ジャン・ヴァルジャンにひきとられ、美しく成長する娘のコゼットと、その恋人マリユス青年。
 無頼の徒のような性格を憎々しいまでに演ずる宿の主人テナルディエ。修道院の庭番で、ジャン・ヴァルジャンをかくまうフォーシュルヴァン老人。
 ユゴー得意の二元的筆致が冴え、登場人物は皆、それぞれ鮮烈な個性を輝かせる。人間内面の善性と魔性が白日の下に顕にされる。
 ミリエル司教に救われ、回心したジャン・ヴァルジャンは、マドレーヌと変名し、モントルイユ・シュル・メールという小さな都市で事業に成功する。みずからは質素を保ち、貧しい人びとには最大の愛の援助を惜しまない。この徳行で彼は市長に推され、愛と善行に終始する日常は輝くばかりであった。

1
1