Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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人間共和の旗を掲げて ホール・ケイン『永遠の都』

「若き日の読書」「続・若き日の読書」(池田大作全集第23巻)

前後
1  昭和二十六年(一九五一年)新春のことであった。ある日、戸田先生は「この本を君にあげよう」と言われ、私に一冊の本を差しだされたのである。
 「もし、よかったら、君と仲の良い同志十数名に、順番に読ませてあげてはどうだろう。みんなが読みおわったところで、その感想発表会をもつのも、いいだろう」
 そう言われながら、先生が私に渡された本は、赤い布装のホール・ケイン作『永遠の都』であった。
 私は丁重にお礼を述べ、幾人かの若い同志の顔を思い浮かべながら「さっそく、表紙の裏に名前を書いて、一人二日ないし三日で読むように伝達します」と、お答えした。
 そのころ、戸田先生の事業面は、依然として苦しい状態にあった。しかし、先生の眼差しは来るべき広布の地平を遥かに眺望して、人材育成の一点に絞られつつあった。
 すでに先生の年齢も、人生五十の坂を越えていた。戦前から信仰の火を持続してきた周囲の幹部も、それぞれ戦後のインフレ経済の波に呑まれて、各自の生活闘争に精いっぱいの苦闘を続けていたのである。
 新しい宗教革命の扱い手として、青年の成長が急務となってきていた。あたかも時の到来を感知されたかのように、このころから戸田先生の青年に対する訓練が猛然と始められたのである。
 私がえらんだ十四名を対象に、戸田先生は日蓮大聖人の御書を拝しつつ、人生万般の書をテキストに用い、ときに烈しく、深く強靭な楔を打ち込んでいかれた。なかでも『永遠の都』こそは、若き革命家として生きるべき同志の絆を、より強固に結ぶための恰好の教材となったのである。
2  物語の時代背景は、西暦一九〇〇年のローマを舞台としている。南国の熱い太陽の下、きらめく古代遺跡の点在する「永遠の都」ローマに、新しい世紀の到来が告げられようとしていた。
 当時のイタリア王国は、ヨーロッパ列強諸国の圧倒的な影響下にあった。一国の独立は絶えず脅かされ、国内では専制権力と教会権力との二重の圧政によって、人びとの生活も極度に疲弊していた。
 小説では、独裁者ポネリ宰相に執拗に狙われる革命家、デイヴィド・ロッシが主人公である。おなじ数奇な運命の星の下に生まれた「永遠の女性」ドンナ・ローマがヒロインに配され、二人のロマンスを織りこんで壮大な革命劇が描かれていく。
 若き革命児ロッシは、新しい社会の理想に「人間共和」の旗を高々と掲げ、時の権力の暴政に敢然と挑戦する。彼の前途には、幾多の困難と迫害、そして苛酷な弾圧が待ちかまえていた。
 議会におけるロッシの政府弾劾演説は、飢餓と重税に苦しむ民衆の声を代弁するものであった。だが議会は、こぞって彼の案を否決する。民衆は、やむなくローマのコロセウムで国民大会を開き、政府に反抗していった。暴動を煽動したとする罪に問われたロッシは、広場から逃れ、亡命の人となる。
 彼には無二の同志があった。その名はブルーノ・ロッコである。ロッシほど華々しい存在ではないが、その信念と正義感、友情においては誰よりも信頼すべき人物であった。
 そのブルーノが捕えられた。拷問につぐ拷問によっても、彼の信念は、いささかも揺るがない。
 ボネリ男爵は、さらに陰険きわまりない策略を案ずる。ニセの手紙をつくって、ロッシがブルーノの妻と通じていると思わせ、裏切りを強要するのである。
 しかし、ブルーノのロッシに対する信頼の一念は、鋼鉄よりも固い。彼こそ真実の革命に生きる闘士であった。その最期にいたるまで同志を信じ、必ずや革命の成就を確信して、彼は「ロッシ万歳!」と叫んで、息絶えたのである。
 ブルーノの壮絶な死は、ロッシにとって衝撃であった。かけがえのない同志を失うことほど、革命家にとって無念のことはない。だが、その肉体は滅んでも、ブルーノの魂はロッシの心に、そして民衆のなかに、気高くも生き続けていよう。彼は悲しみを油として、革命運動のさらなるエネルギーに点火していった。
 ついにボネリ政権の倒れる日がきた。ロッシは国王から首班の指名をうけ、地下のブルーノも夢見た人間共和、永遠の都への扉を開く──以上が小説の粗筋ストーリーである。
3  ロッシの如く、ブルーノの如く
 ロッシとブルーノの生き方に学ぶところは、じつに大きく、重いものがあった。仮にも二人とおなじ運命に遭遇したとき、はたして何人の青年が苛酷な弾圧に耐えられようか。
 二人が身を挺した革命と、われわれがめざす宗教革命とは、むろん質的にも大いに異なりはするけれども、ひとたび民衆のために起ち上がった、彼らの天晴れな姿に、心からの拍手を送らずにはいられなかった。
 一緒に廻し読みした十四名の同志も、みな「ロッシの如く、ブルーノの如く」と、互いに頷きあって決意を固めた。まことに不思議なことであるが、一書の読破が心と心を結びあい、血のつながりよりも濃い同志の命脈をかよわすことになったのである。
 全員が読了すると、私たちは戸田先生を囲んで感想発表の会をもった。当時の「日記」によると、それは昭和二十六年二月八日、木曜、快晴の日である。

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